104話 弘農の戦い
東晋軍の中ではユウが不在なことはかん口令が出され、エンをはじめ主要な将校しか知らなかった。それは同盟を組む夏の将軍アリにも伝えられてなかった。
「ユウが戻らないことには攻撃は出来ないわ」
留守を預かるエンの判断に、コハンもフリョウも頷いた。ボクスウの武に対抗できるのはユウしかいない。エンとドウサイたちが連携をすれば勝てるかもしれないが、敵はボクスウだけでなく、ブクレンもいるし、シトウという魏の中でも名将とされる武将も参戦している。正直なところアリがどの程度、戦ってくれるのかも分からない。
東晋は二週間ほど陣を堅くし動かなかった。睨みあったまま、矢の応酬も探りもなく戦場は静かなものであった。
「なぜ東晋は動かないのか」
アリはさすがに痺れを切らして来た。もう二週間もこのままだ。こちらは攻める側なのだ。大同を奪えば、魏の領土を深く抉ることが出来る。そのまま北に進み、柔然と挟み討ちにすることも現実的になってくる。それは東晋も分かっているはずだ。
「何かあったな....探れ」
◆
「リュウユウが居ないだと!」
何十万という兵がひしめく戦場の中に敵の大将が居ない。ボクスウもブクレンも驚きの表情でその報告を聞いた。
女帝ヨウカの麾下の諜報部隊が調べあげた情報である。新野にいるリュウユウの妻が何者かに襲撃され、戦場を離れた。下手人は不明であったが、リュウユウは戦より妻を選ぶ男だと分かった。
「......この程度のことで戦場を離れるとは。大将の器ではないのか」
ボクスウは腕組みし、かつての魏王ケイならどうしたであろうかと考えた。あの男は表面上は優しいが、どこか冷めており人と距離を取っている。妻帯こそしたが政略結婚であり子も設けなかった。最後はハクエンとの男女の感情のもつれで殺されたが、まだケイの方が大将としての非情さを持っている。
「これは攻撃する機会が来たな」
シトウは布で剣を手入れしながら言った。遠く北から来たのに剣を振るう機会が無いことに苛立っていた。ブクレンは我慢強い男だ。敵が全く動かなくても焦っていなかった。
「さぐりを入れるか」
「そうであれば強烈な一撃を加えよう」
◆
「敵が動いたですって!」
「まさかユウが不在のことを知られたのか」
「わからないわ。こうも動かないのを怪しんで探りを入れてきたのでしょうね」
魏は二千の騎馬を繰り出してきた。軽騎兵だ。動きが速い。
「弓隊構えよ!」
軽い探りだ。エンはそう感じ、矢であしらう程度とカンシュクの弓隊に合図を送った。
弓が放たれた。魏の軍の騎馬は反転し矢をかわす。それを三度繰り返した。
「明らかな誘いね...」
「無視することは出来ないわ。長いこと動いていないことで兵の士気も揺らいでいるわよ」
「分かっている。あれを叩いて戻るわ」
「え!?待ちなさい!」
エンはコハンが制止するのも聞かず二千の騎馬で飛び出した。魏の騎馬隊に襲い掛かる。
「おい!コハン!明らかな誘いなのに何でエン様を出すのだ!」
フリョウはエンが討たれてしまうと喚いた。コハンは「黙りなさい!勝手に出たのよ!」と叫び、ケイシャンに合図を送りエンを追わせた。
「来たぞ。相変わらず血気盛んなお嬢さんだ。いや、お嬢さんと呼ぶ歳でもないか」
ボクスウは騎馬隊をエンにぶつけた。おそらくこれはあっさり崩される。絡みつけるだけだ。エンの動きは想定通りであった。目の前の敵を追いかけて、周りが見えなくなる。それで窮地に陥ったこともあるはずだが、何も学んでいないなと思った。
「軽いわ...やはり囮ね。いいわ、このまま敵の主力も討ってあげる」
地が轟き、馬蹄の音が空気を振動させる。
魏の馬戦車が来た。
「な!?ここで戦車隊なの!?」
エンはしまったと思った。騎馬を展開させづらい地形で、馬戦車など動かしようがないと思っていた。だが、あたりはこの地形の中で唯一平坦で、馬戦車が動く余地があるのに気が付いた。
「退却!」
敵の騎馬隊はほどほどに討った。馬戦車まで相手にする必要はない。だが、馬戦車は巨大な弩を積んでおり、矢がエンの騎兵を撃ち落としていった。
「くっ!」
エンは水流剣で矢を撃ち落としたが、矢の勢いが強く全て落とすことは出来なかった。矢が顔を掠める。馬戦車がその間にも距離を詰めて来た。荷台に乗る兵が矛を振りかざす。
受けた。力を振り絞り、荷台の兵を斬っていく。だが、味方は総崩れし、エンだけが取り残された。
「潔く降参しろ」
「エン!」
ケイシャンの騎馬隊五千が来た。エンは馬戦車の包囲を脱し自陣へ駆ける。
「待て!ハクエン!貴様はゆるさんぞ!」
ボクスウが追ってきた。ケイシャンが間に入るが、ボクスウの攻撃に吹き飛ばされた。
「な....なんだ、あの化け物は....」
ケイシャンは味方に助けられ後退していく。五千の騎馬隊は完全に蹂躙されていた。ボクスウはなおもエンを追いかける。
「おい!コハン!エン様が危ないぞ!」
「分かっている!黙ってみていて!」
ドウサイの歩兵隊が前に出て槍を構えた。「ふん!」と地面に土魔法でひびを入れた。魏の騎馬隊は足場が一気に悪くなり、勢いが落ちた。エンが歩兵の中に飛び込んだ。
「こざかしい真似をする!」
ボクスウはそれでも止まらなかった。鉄錐を構え炎を噴き出す。
ぶつかった。馬が宙を舞い、槍がへし折れる。足場の悪さをものともしないボクスウの突撃に、ドウサイの歩兵隊は揺らいだ。
「耐えろ!」
ドウサイは叫んだ。コウビも歯を食いしばっている。
第二波
ボクスウは突撃しては引くのを繰り返す。その度に東晋の歩兵隊は削れていった。
「このままでは崩れるぞ!」
「分かっているわよ!フリョウ!下がる準備をしなさい!」
「下がるのか!」
「見て分からないの!この軍師気取りの学者風情が!」
フリョウは痛い所をつかれ、唇を噛んで悔しがった。何も言い返せない。エンが戻ってきた。激闘でかなり疲弊しているようであったが駆け寄ることも出来なかった。
いよいよドウサイの歩兵隊は危なくなってきていた。




