第7話「発注の山は、店内の隙間を埋め尽くす」
ゴールデンウィーク後半戦に突入した。
ARX PLAZ白神店は、連日過去最高売上を更新するお祭り騒ぎの中にあった。……はずだった。
だが、園芸館の裏手にある従業員用の狭い喫煙所だけは、この世の終わりのような重苦しい空気が漂っている。
「ふぅ……」
蓮は、コンクリートの壁に背中を預け、死んだ魚の目を限界まで濁らせながら、本日4回目のサボりタバコを深く吸い込んでいた。
連日の激務で、体力的にも精神的にも完全に限界を迎えている。スマホで自作の「病害虫フローチャート」を眺める指先すら動かしたくない。
ガラッ!!
引き戸が勢いよく開き、案の定、猪狩誠マネージャーが突っ込んできた。手にはいつもの冷たい微糖の缶コーヒー。だが、今日のおでこの困りシワは、おでこ自体が陥没しそうなほどの深さで刻まれており、完全にパニック状態だった。
「大宮くぅん! 助けてぇぇ! バックヤードの在庫が! 全然減ってないんだよぉ!」
大宮はため息すらつかず、ジッポのフタを指先で弾いた。
「猪狩さん。GWの後半戦ですよ? この稼ぎ時になんで在庫が残ってるんですか」
「それがさぁ、今年は大宮くんがすっっっごいいい売場作ってくれたから運送会社がお休みになる前にたくさん発注しちゃったんだよねぇ……殺虫剤も、肥料も、除草剤も、山積みのままバックヤードをガッツリ圧迫してるんだよぉ!」
「……おい、そこ。何をもみ合っている」
地鳴りのような低い声が、二人の背中に突き刺さった。
現れたのは、アイロンの効いた白シャツに黒いアークベスト、一分の乱れもないオールバック。
「動く弾道ミサイル」こと大河内店長だ。目が一切笑っていない強面の顔が、猪狩の胸ぐらを掴みかねない勢いで近づいてくる。
「猪狩。……バックヤードのあの在庫の山は何だ。最盛期のGW後半だぞ。なぜ殺虫剤も肥料も動いていない」
「ひぃっ! て、店長! あれは、その、決っして売れていない訳ではなくてですね」
「言い訳は要らん! 明日のGW最終日までに、あのバックの在庫を『全部』売り切れ! 1ケースでも残したら、お前たちの来月のシフトをすべて早朝6時の品出し刑にし、有給を向こう3年間消滅させる!」
「「ひぃえええ!!」」
店長の容赦のない怒号に、猪狩と大宮が同時に悲鳴をあげた。
店長が嵐のように去っていった後、大宮のプロサボり魔(保身)のスイッチがオンになった。死んだ魚の目が、鋭く怜悧な光を宿す。
「猪狩さん。床でガタガタ震えてる暇があったら動いてください。こうなったら小売業の禁じ手、『多箇所展開』の限界突破を仕掛けます。園芸館だけじゃ捌ききれない。他力本願でいきます。おい、宇佐美!」
「れんれん! 呼んだ!?」
インカムの声を嗅ぎつけて、売場から両手にスッポンと養生テープを握りしめた同期の宇佐美結衣が走ってきた。
「宇佐美、お前の日用品の売り場を貸せ。バックに眠ってるハチ、蚊、カメムシ用の殺虫剤と除草剤を店中の隙間にねじ込む」
「えっ、日用品に園芸用品!? マネージャーに怒られないかなぁ……」
「俺の有給がかかってるんだ。お前がよく使う『同期のよしみ』を今ここで発動させろ」
「分かった! れんれんの有給(とサボり時間)のためなら、私の売り場、全部使っていいよ!」
「よし、犬飼! 動け! 10倍の速さでバックから在庫を引っ張り出せ!」
「ウッス!! 進級を果たした2年生のド根性、今ここで見せますッ!!」
エプロンを泥だらけにした大学2年生の駄犬・犬飼陸が、両手に殺虫剤と除草剤の段ボールを脇に担いでバックヤードから爆走してきた。
ここから、ARX PLAZA白神店を舞台にした「狂気の多箇所展開レース」が始まった。
大宮の冷徹な指示のもと、犬飼の筋肉が火を噴く。
結衣の協力により、日用品の中央アクションに異例の「害虫対策・合同特設コーナー」が急造された。園芸館のガチな「ハチ・蚊・カメムシ用屋外殺虫スプレー」がズラリと並ぶ。
「宇佐美、網戸用スプレーの横に『ベランダのカメムシにはこれ!』ってポップを書いて園芸の殺虫剤を並べろ! あと、洗濯洗剤の横にも置け!」「それ意味ある!?ま、いっか!了解っ! 洗濯物にカメムシ付いたら最悪だもんね!」
結衣は日用品売場のあらゆる隙間に、無茶苦茶ながらも妙に説得力のあるポップを貼ってボトルを乱列させた。
さらに蓮は、芝生の肥料や除草剤を資材館石材売場のガーデンストーンの横や、佐藤の工具棚の隙間にまで「お庭のメンテナンスに!」とねじ込んでいった。
もはや、白神店は「どこを向いても虫除けスプレーと除草剤が目に入る」という、強烈な視覚的プレッシャーを与える魔境と化していた。
――そして迎えた、GW最終日。
店内のあらゆる隙間に仕掛けられた多箇所展開の罠が、ついに牙を剥いた。
連休最終日、自宅の庭の手入れや片付けを意識し始めたお客様たちが、店内のあちこちで同じ商品を目にすることで、次々とカゴへ放り込んでいったのだ。
「あなた、網戸用スプレー買いに来たんだけど、このベランダ用の強力カメムシ殺虫剤も一緒に買っておこうかしら。今年の春、変な虫多いし……」
「お、庭造りするのにガーデンストーンを買いに来たけど、横に除草剤が置いてあるな。明日から仕事だし、今日のうちに庭の草むしりやっとくか。これ1本くれ、あと芝生の肥料もたまにはエサでもやらんとな。」
日用品の圧倒的な客数と、大宮の計算されたクロス展開が完全に噛み合った。バラバラに置いてあったら素通りされていたはずの在庫が、GW最終日の爆発的なお買い物カゴへ次々と吸い込まれていく。
夕方の17時。
大宮がインカムの売上データを確認すると、驚異的な数字が弾き出されていた。
「……マジか。バックヤードを埋め尽くしていた殺虫剤も肥料も除草剤も、ほぼ空っぽだぞ」
「大宮くぅん!! 本当にありがとうぉぉ!」
バックヤードで、猪狩マネージャーが泥と汗まみれになりながら泣きついてきた。
「店長がさっきデータを見て、一瞬だけニヤッとしてたよぉ! 有給もシフトも守られたぁぁ!」
「猪狩さん、俺の服に涙を付けないでください。今回はあの大河内ミサイルが直撃してガチで死ぬかと思いましたからね。明日の午前中はみっちりサボらせてもらいます」
「あはは、10倍の長さでサボっていいよぉ!」
18時、いつもの狭い喫煙所。
大宮は缶コーヒーを一口飲むと、ようやく本日まともなタバコに火をつけた。
隣には、非喫煙者なのにやりきった顔をした上司の猪狩が座り、結衣がスッポンを小脇に抱えて満足げにジュースを飲んでいる。
「れんれん、私の売り場のおかげでたくさん売れたね!」
結衣が夕空を見上げながら、嬉しそうに笑う。
大宮が吐き出した濃い紫煙が、オレンジ色に染まる埼玉の夕空へと溶けていく。
ARX PLAZA白神店のゴールデンウィークは、営業不振のピンチを同期のチームワーク(力技)でねじ伏せ、過去最高の売上と共に最高に騒がしく幕を閉じるのだった。




