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毎日、緑のエプロン  作者: Garden


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10/11

第8話「緑のエプロンを脱いだ日、秩父の風は少し冷たい」

 GWの激闘(殺虫剤、肥料、除草剤の多箇所展開大作戦)で見事な売上を叩き出し、大河内店長から勝ち取った「奇跡の有給」。

5連休のバタバタが嘘のように静まり返った5月上旬の平日、大宮蓮(24)は蓮沼駅のロータリーにいた。

話は、この日の数日前に遡る。

それはGWの最終日、あの大量の殺虫剤と肥料を店中にねじ込んで奇跡の完売を果たした、あの過酷な日の夜のことだった。

閉店後、いつもの狭い喫煙所で大宮が灰皿を片付けていると、日用品、インテリア担当の宇佐美結衣(24)がトボトボと近づいてきた。珍しくスッポンもマジックも持たず、緑のエプロンを両手でぎゅっと握りしめている。

「……ねぇ、れんれん。今回の有給さ、もし予定ないなら、私とお出かけしない?」

「断る。俺は家から1歩も出ずに、天井のシミの数を数えて過ごす」

「冷たいなぁ! でも、今回は私の日用品の売場を貸したから、れんれんの有給が守られたんでしょ!? 同期のよしみで、GWのご褒美に秩父の長瀞ながとろへ連れてってよ。新緑がすっごく綺麗なんだって!」

「……はぁ。お前、池に落ちるなよ」

結衣の必死な目力と、確かに彼女の売場のおかげで店長のミサイルを回避できたという貸しもあり、大宮は観念して首を縦に振ったのだった。

――そして、有給の朝。白神駅のロータリー。

大宮は愛車の無骨な黒いSUVの運転席に座り、タバコに火をつけようとして窓を開けた。

今日の彼は、作業着にエプロン姿ではなく、シンプルな黒のポロシャツに少しダボっとした迷彩柄のデニムという完全な私服姿だ。左耳の2連のピアスもより目立ち、ネックレスまでも身に付けてしまっている。

「れんれーーん! おまたせ!」

聞き慣れた元気な声に振り返ると、結衣が走ってくるところだった。胸ポケットに油性マジックもなければ、手首に養生テープのブレスレットもない。フリルたっぷりの白いオフショルに、ミニ丈のデニムスカートサロペットを合わせた甘めなカジュアルスタイル。完全に「普通の可愛い女の子」な同期の姿が、SUVの助手席に乗り込んでくる。大宮はほんの一瞬だけドギマギした。

「……おう。お前、サロペットの右の紐、ねじれてるぞ」

「えっ、嘘!? どこどこ? やだ、言ってよぉ!」

大宮はいつもの冷徹なツッコミで、自分の小さな動揺を器用に隠蔽した。

大宮のSUVのアクセルを踏み込み、埼玉の定番観光地、秩父・長瀞へと車を走らせる。埼玉なんてここぐらいしかないからな。

車内では、GW中に犬飼が「ウッス!」と言いながら肥料袋を何往復運んだか、水野の就活のエントリーシートを緑川さんがスピリチュアルな力で添削しようとして水野が冷たくあしらったか、といったいつもの白神店の話題で盛り上がっていた。

だが、目的地まであと数キロというところで、不穏な看板が二人の目に飛び込んできた。

『ローカルホームセンター・ちちぶ店』の文字。

「……」

「……」

二人は無言で顔を見合わせ、引き寄せられるようにその店舗の駐車場へとSUVを滑り込ませた。有給のはずなのに、小売業の悲しい習性が体を動かしていた。

自動ドアをくぐった瞬間、二人の目がプロのそれに変わる。

「見てれんれん! この店、ハチ用スプレーのポップが手書きで超可愛い! 白神店でもマネしよ!」

「いや、動線が甘いな。この入り口の立地なら、今は夏野菜の肥料をフロントに出すべきだ。それにこの木材の積み方、佐藤が見たら、にミリ単位で文句を言うぞ」

デート風のドライブのはずが、さっそく他社店舗視察ストアウォークを始めてしまう。一通り棚を査定し終えて店を出たときには、すでに長瀞の美しい新緑の山々が目の前に迫っていた。

荒川の流れに沿って広がる長瀞の河川敷に到着すると、そこは目にも鮮やかな5月の新緑に包まれていた。見上げる空は抜けるように青く、そびえ立つ秩父の山々は生き生きとした若葉色に染まっている。目の前には、長瀞の名物である国指定天然記念物の「岩畳いわだたみ」が、まるで巨大なパイ生地を重ねたかのように荒川の清流に沿って広がっていた。

「わぁ……! すごい、マイナスイオンって感じ!」

結衣がSUVの助手席から身を乗り出して歓声をあげる。

二人はさっそく、岩畳の平らな木陰を見つけてデイキャンプとバーベキューの準備を始めた。だが、SUVの広いラゲッジスペースから荷物を降ろす段階で、大宮は本日最大のため息をついた。

「はぁ……。犬飼がいないと、この20kgの木炭の箱を運ぶのがこんなにダルいのか。あいつのゴリラ並みのフィジカルが恋しいな」

「あはは、犬飼くんはフォークリフト代わりだもんね。よし、私はテント(ポップアップ式)を広げるよ!」

結衣が丸いケースからワンタッチテントを取り出し、地面に置いた、その瞬間だった。

不器用な結衣が手を離すタイミングを誤り、収納バネの強力な勢いを解放されたテントが、ボフッ! という鈍い音と共に結衣の顔面を直撃した。

「痛っ! うぅ……テントに張り手されたぁ……」

「お前は本当に期待を裏切らない時限トラップだな。宇佐美、どけ、俺がやる」

大宮は呆れながら、愛用の5万円のインパクト……ではなく、今日は手動のハンマーを握りしめ、要領よくテントを地面に固定(ペグ打ち)していった。結衣が手伝おうとして、自分のスニーカーのつま先を地面にペグで固定しそうになったのは言うまでもない。大宮の機転がなければ、彼女は長瀞の地面と同化するところだった。

大宮が炭に火を起こすと、パチパチという心地よい音と共に、香ばしい煙が立ち上る。

「ほら、お前が肉を焦がす前に早く食え」

大宮がトングで網の上の牛カルビを皿に引き上げる。

「おいしいー! れんれん、火起こすの天才的だね! この網、ARX PLAZAのPBプライベートブランドのやつよりお肉がくっつかなくて優秀かも!」

「外にきてまで自社の競合製品の品評をするな」

タレをたっぷりつけたお肉を口いっぱいに頬張り、幸せそうに笑う結衣を見て、大宮は心の中で少しだけ連休の疲れが癒えていくのを感じていた。

お腹がいっぱいになった後は、楽しみにしていた「長瀞ライン下り」へと向かった。

木造の伝統的な和船に乗り込み、船頭さんが長い竹竿を器用に操って川を下っていく。

最初は緩やかだった川の流れが、急流スポット「小滝のおたきのせ」に差し掛かると一変した。船が大きく上下に揺れ、ゴゴゴと激しい水音が轟く。

「キャー! 楽しいー!」

船の側面に張られたビニールシートを、結衣が慌てて持ち上げる。その瞬間、バシャァァン! と頭上から激しい川の水しぶきが降り注ぎ、二人は頭からびしょ濡れになった。

「冷たーーい! でも最高!」

濡れた茶髪のショートボブを振り乱して笑う結衣につられ、大宮も普段のサボるための計算や店長からのプレッシャーを完全に忘れ、心から声を上げて笑っていた。川の冷たさとスリルが、体の中に残っていたGWの激務のおりをすべて洗い流していくようだった。

夕方、川沿いのベンチ。

少し濡れた髪をタオルで拭きながら、自動販売機で買った冷たい缶ジュースを飲む時間。オレンジ色の夕日が、荒川の穏やかな水面をキラキラと黄金色に照らし、岩畳に長い影を落としていた。秩父の川風は、少しだけ肌寒い。

結衣がジュースの缶を見つめながら、少しだけ真面目な声で呟いた。

「入社して3年目になって、毎日すっごく大変だし、後輩もできてプレッシャーもあるけど……今日れんれんとここに来られて、明日からまたARX PLAZAで頑張れそうな気がする。私、やっぱりれんれんが同期でよかったな」

以前、居酒屋で酔い潰れたときのデレを思い出し、大宮は少しだけ耳を赤くした。

「……俺はお前が売場で洗剤タワーを崩さないなら、それでいい」

「もう! まだその話するの!? 照れ隠しでしょー!」

結衣が笑いながら大宮の肩を小突く。いつもの蓮沼店の距離感が、そこにはあった。

――翌日の土曜日、13時。

大宮がいつもの狭い喫煙所でタバコを吸っていると、猪狩マネージャーが冷たい缶コーヒーを持って現れた。おでこの困りシワを、今日はどこかニヤニヤとした形に変形させている。

「大宮くん! お疲れ様ぁ! 聞いたよぉ、宇佐美さんと二人で秩父の長瀞に行ったんだって?」

「……誰から聞いたんですか」大宮が死んだ魚の目で睨む。

「日用品のマネージャーだよぉ! 『宇佐美が朝からニヤニヤしながら、長瀞のライン下りはARX PLAZAの水遊びグッズ売り場の参考になるって、レジの横にバカでかい特製ポップを書いてる』って言ってたよ!」

大宮は携帯灰皿に灰を落とし、SUVのキーをポケットの中で転がしながら、フッと口元を緩めた。休日が終わっても、結局あの同期はホームセンターの脳みそから抜け出せていないらしい。

「猪狩さん。宇佐美のあの無駄な元気が園芸館に漏れてきてうるさいので、今すぐあいつに除草剤の品出しを手伝わせてきてください。10倍の速さで」

「あはは、完全に照れ隠しだねぇ! 分かったよぉ!」

大宮の吐き出した紫煙が、春の埼玉の青空へと溶けていく。

エプロンを脱いだ休日を経て、ほんの少しだけ縮まった二人の距離感を乗せて。

ARX PLAZA白神店の、騒がしくも愛おしい「要領のいい」日常は、明日も、その先も、ずっと続いていくのだった。

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