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毎日、緑のエプロン  作者: Garden


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第9話 畳の上の猪突猛進、5月の風、たまに鈍臭い追伸」

 宇佐美と秩父行った2日後。ARX PLAZA白神店のバックヤードには、いつもより一段と濃い「気」が満ちていた。

 その中心で、園芸館のアルバイト・犬飼が、珍しくソワソワと落ち着かない様子で大宮の背後をうろついている。普段の能天気で底抜けに明るい表情はどこへやら、今の彼はどこか遠くを見つめていた。


「……犬飼。その場所で反復横跳びをするな。在庫データの入力に支障が出る」


 大宮がキーボードを叩く指を止めず、背後の気配に冷たく言い放つ。犬飼はビクリと肩を跳ね上げ、申し訳なさそうにペコリと頭を下げた。


「……すみません、れんさん。あの、明日、県大会なんすよ。柔道の。俺、去年のこの大会で優勝相手にベスト8で負けて。今年こそは……って思ってたら、なんか急に心臓の音がうるさくて……」


 犬飼は普段の能天気な様子とは裏腹に、心なしか手が震えている。彼にとって、この大会はただの部活動の延長ではなく、ずっと目標にしてきた場所だった。大宮はキーボードから手を離し、椅子を回転させて犬飼の方を向いた。


「……大会か。怪我には気をつけろよ。無理な受け身は関節を破壊する」


「はい……! あの、もし、ほんとに暇で、もしよかったらでいいんすけど……応援に来てくれませんか? 試合会場、この駅からすぐの武道館なんすよ。……れんさんがそこにいてくれるだけで、俺、すげー頑張れる気がして……」


 犬飼は、まるで飼い主に甘える大型犬のような切実な眼差しで大宮を見つめた。瞳が潤んでいるように見えるのは、朝日が射し込んでいるせいだけではないだろう。大宮は少しの間だけペンを止め、ため息をつくと、手帳を開いて午後のスケジュールを再確認した。

「……明日の午後なら、在庫データの入力作業しかない……わかった。昼過ぎには向かう」


 その言葉を聞いた瞬間、犬飼の顔がパッと輝き、全身で喜びを爆発させた。


「れんさん!! ありがとうございます! 俺、絶対優勝ちます! 今日の晩飯は牛丼おごります! いや、特盛っす! 特盛にするっす!」


「……牛丼は自分で食え。それより、まずは初戦だ」


 武道館の観客席。半休をとった大宮、もともと定休日だった佐藤、そしてなぜか特大のメガホンを持った宇佐美の三人が、硬いパイプ椅子に並んで座っていた。

 水野のはというと、一応声をかけたのが「大宮さんと犬飼くんがいない園芸館に私まで抜けたら猪狩さんが泣き崩れるのが目に見えてるので、遠慮させて頂こうと思います。」ときっぱり断られた。

 アルバイトながらここまで店のことを考えてくれる簡単には見つからない。実によくできた部下だ。


「れんれん、犬飼くんの試合ってもうすぐだよね! ドキドキするー!」


「……宇佐美、その巨大メガホンはどこから持ち出したんだ。そもそも、そんなデカいものをカバンに入れてどうやって持ってきた」


「えへへ、佐藤くんに『これ、応援に絶対必要だよね!』って言ったら、『……好きにしろ』って言われて」


「……俺は持っていけなんて行った覚えはない。ただ、あいつが駅のコインロッカーに忘れてきたのを見つけたから、ついでに持ってきただけだ。あいつは本当に学習能力というものがない」


 佐藤は無言で、手作りの応援ボードを膝に乗せている。そこには達筆すぎて逆に凄みを感じる『園芸館の虎』の四文字。会場の静寂を切り裂くような、あまりに場違いな熱量だった。


「こんなの、いつ作っただよ。1番気合い入ってんじゃねえか」


 試合開始の合図。マットに立った犬飼は、いつものへらへらした表情を消し去っていた。気迫の籠もった鋭い眼光。対戦相手は、体格も良く県内屈指の実力者だ。


「いっけー!! 犬飼くーん!!」


 宇佐美の叫び声が武道館に響き渡る。その音圧は、周囲の選手が思わずビクッとするほどだった。犬飼はその声を聞き、ふっと口角を上げると、一瞬の隙を見逃さず相手の懐へと一直線に飛び込んだ。


「せいっ!!」


 轟音と共に相手が豪快に宙を舞い、完璧な一本背負いが決まる。


「一本!!」


 会場がどよめく中、犬飼は立ち上がると真っ先に観客席を見上げた。大宮を見つけるや否や、あの駄犬のような笑顔に戻り、ブンブンと手を振る。

 その時だった。張り切りすぎた犬飼が、マットの境界線で足がもつれ、盛大にズッコケた。そのまま勢い余って隣の畳に突っ込み、審判の足元で「あわわ」と情けなく転がり続ける。


「……あいつ、かっこいい決まり手の直後に、なぜあんなに間抜けな動きをするんだ。さっきの技とのギャップが台無しだな」


「……犬飼らしい。完璧な締めくくりだな。あれこそが園芸館のクオリティだ」


「わわわ! れんれん、見て! 犬飼くんが畳の角に頭ぶつけてる! 審判さんも苦笑いしてるよ!」


 観客の熱気が一瞬で「笑い」に変わる中、犬飼は顔を真っ赤にして審判に平謝りしながら立ち上がる。大宮は手で顔を覆い、深い溜息をついた。

 その後も、犬飼は危なっかしいながらも勝ち進んでいった。準決勝では、相手の投げを背中で受けてから反転させて上を取り返すという、「軸を入れ替える」動きを完璧に(そして多少ドタバタと)実行し、ついに決勝へ進出した。


「れんれん、すごいよ! 犬飼くん、あと一つで優勝だよ!」


「……ああ。あいつの脳筋スタイルが、今日は奇跡的にかみ合っている」


 決勝戦。相手は去年の覇者だ。激しい組み手の攻防。犬飼の体力が削られていくのが、素人目にもわかった。残り時間、あとわずか。犬飼がふと、観客席の自分たちの方を向く。


 大宮は、無意識に立ち上がっていた。


「……あいつ、守りに入ったら負けるぞ。最後まで前に出ろ!」


 大宮の短い檄が届いたのか、犬飼が最後の一撃を放つ。それは、泥臭くて、力任せで、それでも誰よりも真っ直ぐな、園芸館の駄犬そのものの投げだった。

 見事に一本。武道館の空気が震える。

 試合を終えてに大宮達の元に戻ってきた犬飼は、大宮の前に立ち、恥ずかしそうに、でも誇らしげに頭をかいた。


「れんさん……応援ありがとうございました。……最後のあの掛け声、聞こえました! 本当に、めちゃくちゃ力になりました!」


「……勝因は俺ではない。お前の努力だよ」


 大宮はそう言って、自販機で買ったスポーツドリンクを犬飼の頭にコツンと当てる。

 犬飼は嬉しさのあまり、大宮の手を握りしめようと勢いよく手を伸ばした……が、その手が、なんとそのまま会場の扉に激突した。


「うぐぁっ!?」


 勢いよく頭をぶつけた犬飼が、床に崩れ落ちる。

 大宮は無言でそれを見下ろし、佐藤に向かって一言。


「……帰るぞ、佐藤」


「……ああ。あいつの脳筋と鈍臭さは、もう一生治らん。牛丼は奢らせる」


「あれっ? れんさん? 佐藤さん? まだ試合中っすか……?」


 床の上で目を回す犬飼を残し、三人は武道館を後にする。5月の爽やかな風が、大宮のコートを揺らす。

 騒がしくも温かい、ARX PLAZA白神店の日常が、犬飼の快進撃(と、その後の盛大な間抜けっぷり)とともに、また明日も繰り返されるのだ。

(9話・完)

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