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毎日、緑のエプロン  作者: Garden


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第2話後編 洗剤タワーは前兆なく崩れる

 大宮が息を切らせて中央アクションに滑り込むと、そこには文字通り「静止した地獄」が広がっていた。

メイン通路のエンド(端の棚)。そこにそびえ立っていたのは、宇佐美結衣作、全高約2メートルの「洗剤のバベルの塔」だった。

 新商品の液体洗剤『マキシマムクリーン』は、結衣の言った通り、丸みを帯びたペンギン型のツルツルとしたプラスチックボトル。それがピラミッド状に美しく、しかし信じられないほど不均等なバランスで積み上げられている。

 タワーは、右に約5度傾いていた。

 そのすぐ前で、結衣が両手を前に突き出し、まるで超能力でタワーを支えるかのような格好で硬直している。


「れ、れんれん……!」


大宮の姿を見つけた結衣の目が、涙で潤んだ。


「最後の1本をてっぺんに置いた瞬間から、なんか、ピキピキって……。私が手を離したら、これ、全部いっちゃう……!」


「……だから言っただろ」


 大宮は頭痛をこらえるように額を押さえた。


「大宮くぅん! どうしよう、どうしよう!」


 隣では、野次馬として様子を見にきて完全に巻き込まれた猪狩が、非喫煙者なのに酸欠のような顔でオロオロと往復走を繰り返している。


「……ちょっと待ってください。猪狩さん、なんであんたがここにいるんですか。あんた園芸・農業資材の担当でしょ。日用品売場で何ステップ踏んでるんですか」


「ひ、ひどいなぁ! 僕はただ、お昼休みに宇佐美さんが『洗剤のバベルの塔を作る』って言ってたから、面白そうだなと思ってコッソリ野次馬に見に来ただけだよぉ!」


「完全に自業自得じゃないですか。暇なんですか? 園芸館に戻って除草剤でも飲んでてください」


「そんなこと言ってる場合じゃないんだよぉ! 触ったら一瞬で崩壊だよ! 床に落ちたらボトルが割れて中身が漏れたら日用品売場が泡の海になっちゃうよぉ!」


「猪狩さん落ち着いてください。泡の心配より、あと3分で店長が本部のエリアマネージャーを連れてここを通ります。ストアウォーク(店舗視察)のルートです」


大宮の冷徹な一言に、猪狩と結衣の顔が同時に引きつった。

動く弾道ミサイルこと大河内店長が、本部の偉い人を案内している最中に、2メートルの洗剤タワーが自爆する。そんなものを見せたら、白神店全体の給料が消し飛ぶ。


「あと、宇佐美」


「ひゃい!」


「お前が両手をかざしたところで、サイコキネシスでも出ない限りタワーの自重は支えられない。無駄なポーズをやめて、1ミリも振動を与えずにそこから離れろ」


「う、うん……」


 結衣がすり足でゆっくりとタワーから距離を取る。タワーが「みしり」と音を立て、さらに2ミリほど右に傾いた。


「大宮くん! あと2分! 通路の向こうに店長たちのオールバックが見えたよぉ!」

 

 通路の曲がり角を警戒していた猪狩が、悲壮な顔で手信号を送ってくる。


「チッ、時間がないな。……宇佐美、そこの棚の下から『POP用の両面テープ』と『透明の梱包用養生テープ』、あと『陳列用の透明アクリル仕切り板』をありったけ出せ」


「わ、分かった!」


 大宮の脳内クロックが加速する。

 特殊な知識はいらない。必要なのは、今ここにある小売業の道具で、摩擦と荷重のバランスを一時的にハメ殺すことだ。

 大宮は結衣から受け取った透明のアクリル仕切り板の底面に、素早い手つきで強力両面テープを貼り付けた。解体する時間はない。タワーが傾いている右側の「一番負荷がかかっているボトルの隙間」に、クサビのように滑り込ませ、棚板にガチッと固定する。


「よし、これで右側へのスライドは止まった。猪狩さん、タワーの裏側に回って、見えない位置から透明な養生テープで、中段のボトル同士をグルッと1周バインド(緊結)してください! 見栄えは後回しです、とにかく横ブレを止める!」


「が、がんばるよぉ!」


 猪狩が泥臭くタワーの裏へ潜り込み、テープを引っ張り出す。


「宇佐美は俺の影に隠れて、このデカい『新発売!』の吊り下げPOPの裏に、さらにアクリル板を仕込んでタワーの正面を物理的に押さえろ!」


「了解!」


 店長たちの足音が、カツン、カツンと床を叩いて近づいてくる。

 曲がり角まで、あと数メートル。

 大宮は腰袋からカッターを抜き出し、飛び出たテープの端を鮮やかにカット。結衣がPOPの角度を微調整し、猪狩がタワーの裏から這い出た瞬間――。


「――ここが日用品のメイン通路になります」


 大河内店長の、低く威厳のある声が響いた。

白シャツに黒いアークベストを着た店長と、スーツ姿の本部のエリアマネージャーが、ゆっくりと中央アクションに姿を現す。

 その目の前には、完璧な(補強だらけの)洗剤タワーと、何事もなかったかのように「いらっしゃいませ!」と一礼する大宮、結衣、猪狩の3人が並んでいた。

 エリアマネージャーが足を止め、洗剤タワーを見上げる。


「ほう……これは見事なディスプレイだ。新商品のボリューム感が一目で伝わる。素晴らしいVMDビジュアルマーチャンダイジングだね、大河内店長」


 大河内店長は、タワーの右下に不自然に差し込まれたアクリル板と、裏側からうっすら見える養生テープの存在を、その鋭い眼光で見逃さなかった。

 しかし、店長は何も言わず、ただフッと口元をかすかに歪めた。


「ええ。我が蓮沼店のスタッフは、安全管理と見栄えの『両立』に、並々ならぬこだわりを持っていますから」


「素晴らしい。他の店舗にも見習わせたいな」


 エリアマネージャーは満足そうに頷き、大河内店長と共に次の通路へと歩いていく。


「ふぅぅぅ……っ」


 結衣が本気で胸をなでおろした、その瞬間だった。


ピキッ。


 静まり返った通路に、プラスチックが悲鳴をあげる乾いた音が響く。

 突貫工事で貼った両面テープが、洗剤の自重に耐えかねてズルリと剥がれていく。


「あ」


大宮が声を漏らした時には、すべてが遅かった。


ガッシャアアアアアアアアアアアアアアアン!!!


 それは見事な大崩壊だった。

 2メートルの高さから、ペンギン型のボトルがボウリングのピンのように四方八方へ飛び散る。数本のボトルが衝撃で破裂し、中から濃縮液体洗剤のブルーの液体が溢れ出た。通路は一瞬にして、柑橘系の強烈な香りが漂う「洗剤の池」へと変貌する。

 そして最悪なことに、その大爆音を聞きつけた大河内店長が、エリアマネージャーを角に残したまま、もの凄いスピードで引き返してきた。

オールバックの髪をほんの少し逆立てた店長が、泡立つ通路の惨状と、そこに立ち尽くす3人を冷徹に見下ろす。


「……猪狩、宇佐美、大宮」


 地獄の底から響くような声だった。


「エリアマネージャーが駐車場を出るまで、あと15分だ。……それまでにここを元通りに磨き上げ、洗剤を『常識的な高さ』に並べ替えろ。終わったら、3人まとめて店長室(処刑場)へ来い」


「「「ひゃい……っ!!」」」


 そこからの15分間は、ARX PLAZA白神店の歴史に残るレベルの、泥臭いモップ掛けレースとなった。



1時間後。

 店長室でみっちり30分、大河内店長から「動く弾道ミサイル」の直撃(お説教)を喰らった3人は、ゾンビのような足取りでいつもの狭い喫煙所へと辿り着いた。


「うぅ……足がしびれたぁ……」


 結衣がコンクリートの床にへたり込み、魂の抜けた顔で嘆く。エプロンは洗剤のシミだらけだ。


「僕……もう今月の有給申請、絶対に出せないよぉ……」


 猪狩は壁に頭を打ち付けながら、自販機で買ってきた冷たい微糖の缶コーヒーを大宮と結衣に手渡した。タバコは吸わないが、彼はもう、ここで大宮の煙に巻かれている時が一番落ち着く体になっていた。

大宮は無言で缶コーヒーを受け取り、プルタブを開けて一口飲むと、震える指でタバコに火をつけた。本日最大級の、濃い紫煙が埼玉の夕空へと昇っていく。


「宇佐美」


「……はい」


「お前、次からタワーを組む時は、おとなしく四角い箱の商品にしろ。あと、俺のサボり時間をこれ以上削るな。連帯責任で怒られる俺の身にもなれ」


「うぅ、本当にごめんね、れんれん……。でも、アクリル板を差し込んだ時のれんれん、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけカッコよかったよ?」


 結衣が缶コーヒーの缶で自分の顔を隠しながら、小さく呟く。


「……お世辞はいらん。次から店長がストアウォークに来る時間を、事前にインカムでコッソリ俺に流せ。サボり時間を完璧に調整する。それが今回の担保だ」


「それ完全に業務命令違反だよぉ、大宮くん!」


 猪狩が横から、いつも通りの情けない声をあげる。


「あはは! 分かった、任せてよれんれん! 店長の動向を完全マークする有能なスパイになってあげる!」


「声がデカい、宇佐美。店長に聞こえたら、今度こそ俺がお前を不燃ゴミに出すからな」


 大宮の吐き出す紫煙と、猪狩の持つコーヒーの湯気。そして、結衣の少しバカっぽくて、でもどこか救われる笑い声。

 怒られてボロボロになったはずの3人の影が、オレンジ色に染まるホームセンターの搬入口に、長く、仲良く伸びていた。

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