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毎日、緑のエプロン  作者: Garden


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2話前編 洗剤タワーは前兆なく崩れる

 「ARX PLAZA白神店」の従業員休憩室は、1分1秒でも長く現実逃避したい社員たちのオアシスであり、同時にささやかな人間模様が交錯する場所でもある。


 平日の13時15分。

 蓮は、誰もいない休憩室の最奥、自動販売機の影にある席を陣取っていた。

お湯を注いでジャスト3分。フタを開けると、ジャンクなソースの香りが湯気と共に立ち上る。大宮の今日の昼食は、定番の大盛りソース焼きそばだ。


「よし……」


 付属の特製マヨネーズを、工学的な美しさできれいな格子状に絞り出す。

 お気に入りのワイヤレスイヤホンを耳に装着し、アニメでも見ながら完全に「無」の状態で1時間を過ごす――はずだった。


 ガラッ!!


 休憩室の引き戸が、勢いよく開いた。


「お疲れ様ですぅ……。あぁ、もう無理! 今日のお客さんみんな『あれどこ? これどこ?』って聞きすぎだよぉ。私の体は白神店のGoogleマップじゃないんだからね……」


 入ってきたのは、日用品、インテリア担当の同期、宇佐美結衣(うさみ ゆい)(24)。

 茶髪のショートボブを揺らし、緑のエプロンをパタパタとはためかせている。その胸ポケットには、メモ帳と、太さの違う黒の油性マジックが4本、さらに謎の養生テープの芯が手首にブレスレットのように嵌まっていた。

 結衣は蓮の姿を見つけると、ホッとしたように直進してきた。

 そして、大宮の対面の席に、持っていたコンビニの袋をトントンと整えて置く。


「あーっ、れんれん発見。隣いーい? っていうかもう座るね」


「よくない。国会答弁並みに何度も却下しているが、その不名誉なあだ名で呼ぶなと言ったはずだ、宇佐美」


 大宮はイヤホンを片耳だけ外し、死んだ魚の目で結衣を睨んだ。

「れんれん」というおぞましい呼称は、入社直後の新入社員研修で同じ班になって以来、結衣が頑なに使い続けている呪いの言葉だ。大宮のモットーである「目立たずサボる」にとって、この親しげな呼び名は社会的暗殺に等しい。


「いーじゃん、2年間一緒に泥水すすってきた同期のよしみでしょ。あ、それ一口ちょうだい」


「絶対に嫌だ。他人の唾液が入った焼きそばなど、俺のデリケートな胃壁が拒絶反応を起こす」


「ケチ! じゃあ私の『ちぎりミルクパン』一切れあげるから交換ね」


「断る。物々交換のレートが成立していない」


 大宮が冷徹に焼きそばを口に運ぶ横で、結衣は「むぅ」と頬を膨らませながら、コンビニパンの袋を開けた。

 結衣はパンを少しずつもぐもぐと食べながら、急に声を潜めて大宮のほうへ身を乗り出してきた。


「ねぇ、聞いてよれんれん。さっきさぁ、うちのマネージャーがさ……」


「(声がデカい)」


「あっ、ごめん。……あのマネージャーがさ、本部の指示だからって、柔軟剤の棚の並びを急に変えろって言ってきてさ。マジで現場の動線とか全然分かってないんだよね。あのおっさん、絶対家でも奥さんに『あなたの配置、邪魔だから粗大ゴミに出すわよ』って言われてるタイプだよ」


「お前の悪口、たまに切れ味が鋭すぎて引くわ」


 大宮が呆れながらお茶を飲むと、結衣は「それよりさ!」と、急に声を弾ませて胸を張った。


「見てよこれ! 私、午後のシフトで、日用品の中央アクションのトップエンドに、新商品の『ウルトラ濃縮超液体洗剤・マキシマムクリーン』の特設ディスプレイを任されたんだよね」


「へぇ。よかったな」


「ただ普通に並べるんじゃなくて、ちょっと目立たせたいなと思ってさ。天井に届くくらいの『巨大洗剤タワー』を作っちゃおうと思って!」


「……洗剤タワー?」


 大宮の箸がピタリと止まった。嫌な予感しかしない。

「そう! ボトルを交互に組んでいってさ、ピラミッドみたいにするの。題して『白神店・洗剤のバベルの塔』! これでお客さんの目を引いて、売上ドッカーンだよ」


「宇佐美。その洗剤、ボトルの形状は?」


「え? 丸っこくて可愛い、ペンギンみたいな形のやつ。プラスチックの」


「…………」


 大宮は静かに天を仰いだ。


「球体に近くて滑りやすいプラスチックボトルを、素人が自重の計算もせずに天井まで積み上げる……。それはディスプレイではなく、ただの『時限式物理トラップ』だ。今すぐやめろ。お前がやると、高確率で棚が崩壊する」


「失礼な。私だって2年目だよ? 計算くらいできるもん。交互にちゃんと噛み合わせれば、絶対いけるって」


「その根拠のない自信が一番怖い。……まぁ、俺の売場じゃないからいいけどな」


ピー、ピー、ピー。

 無情にも、大宮のスマートウォッチが休憩時間の終了を告げた。

 大宮は残った焼きそばの容器を綺麗に片付け、立ち上がる。


「じゃあな。俺は午後、園芸館の奥でマルチシートの在庫を数えるという名の合法的な昼寝に戻る。お前は大人しく、常識の範囲内で棚を組めよ」


「おっけー。任せて、れんれん! 素敵なタワー作ってくるからね!」


 結衣の、いつもの猪突猛進な笑顔に一抹の不安を覚えつつも、大宮は休憩室を後にした。

――15時45分。

 大宮は園芸館の裏で、予定通り冷たいコンクリートの壁に寄りかかり、心地よい微睡みの中にいた。埼玉のうららかな春の陽気が、サボり魔の体温を優しく奪っていく。

 しかし、その平穏は、腰のインカム(無線機)から鳴り響いた悲鳴によって、無惨にも打ち砕かれた。


『――ッ、手、手が空いてる人!、中央アクションへ急行してください!! 宇佐美さんが、宇佐美さんが、大変なことに……あぁぁ! 触るな! 触ったら死ぬ!!』


インカムの向こうで、狂ったように叫んでいるのは、なぜか園芸担当の猪狩マネージャーだった。野次馬として現場に行ってパニックになったらしい。


「……あのバカ、本当にやりやがったな」


 大宮は深く、本日最大のため息をつくと、作業着のポケットから手を抜き、全力で日用品館へと走り出した。


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