イベントの通知というやつかな
それはまさに神からのお告げだった。理不尽な仕事を押し付けられている自分への救済なのかもしれない。
西岡雄二は都内のIT系会社で働くプログラマーである。就職氷河期真っただ中、内定が得られずに苦労したが、やっとの思いで就職を決めたのが現在の会社だ。
面接においては社長の人辺りもよく、ここでなら安心して働けると思った。だが、あまりにも離職率が高いために猫を被っていたと実感するのに時間はかからなかった。
入社して早々、右も左も分からない状態からの仕事の応酬。プログラミングは大学時代にかじったことはあるとはいえ、実務に耐えうるには勉強が不足していた。それを承知しているのかどうか。投げかけられるのは「遅い」だの「ミスが多い」だの罵倒ばかり。
慣れない仕事をしているのだから、当然のことながら時間を要する。残業時間も増える一方だが、「残業をするのは能力が足りないからだ」と残業代も認められない。同期も次々と退職願を出し、ついに残るは雄二だけになった。
自分が入ったのはブラック企業だった。後悔したところで後の祭りだ。ひと月生活するのにギリギリな賃金しか支払われないため、貯金もままならない。そもそも、入社して半年程度の若造を受け入れてくれるところなどあるのか。相変わらずの不況で、どこかしこも採用を渋っていると聞く。
このまま、地獄のような待遇で耐え忍ばなければならないのか。ベッドを涙でぬらしつつも眠りの世界へと誘われていく。そんな時に耳に届いたのがくぐもった声だった。
「つらいのだろう。ならば、我慢することは無い。元凶を排除すればいいのだ」
ゆらめく炎のような影。ぼんやりとした意識の中、その言葉だけがはっきりと脳裏に残った。そうか。あいつさえ排除できれば現状を打開できる。狂気にかられた彼を止められる者は誰もいなかった。
翌朝、雄二は鏡に向かって不気味に笑いかける。俺は救世主になる。大それた野望を胸に、通勤用カバンの中に果物ナイフを仕込むのであった。
起床したところで倦怠感は無い。むしろ、十分すぎる睡眠をとったぐらいだ。時雨の家に宿泊し、ネムから必然的にドリームワールドに赴く体質になっていると聞かされて数日が経つ。清々しい朝を迎えているはずなのに、なぜか心は晴れない。目をつむると、異形の影がちらつく。少し前なら楽に倒せていたはずの雑魚。なのに、ろくに魔法が使えないために必死に逃げて来たのだ。
この先も終わることのない逃亡劇を続けるのか。のっそりとベッドから這い上がり、パジャマのボタンに手をかける。早くしないと遅刻すると分かっているのに、指は言うことを聞いてくれなかった。
もそもそと朝食をとりつつ、ニュース番組を流し見する。真帆の気分を反映しているわけではないだろうが、陰鬱な話題が続いている。どうにかパンを牛乳で流し込んだところで、最後のトピックが放映された。
「次です。相生市のIT会社で経営者の東山剛史さんが殺傷された事件で、警察は会社の従業員の男を殺人未遂の疑いで逮捕しました。
逮捕されたのは西岡雄二容疑者二十三歳です。西岡容疑者は十二日午前十時ごろ、東山さんが経営している会社で、東山さんの胸を果物ナイフで刺した疑いがもたれています。東山さんは搬送先の病院で死亡が確認されました。
警察の調べに対して西岡容疑者は『奴は生かしてはおけない男だった。俺が救世主になるんだ』などと訳の分からないことを供述しており、精神鑑定も視野に入れて取り調べを進めているとのことです。西岡容疑者は東山さんが経営している会社の従業員だということで、仕事上でのトラブルが原因だと見られています」
淡々と事実を読み上げるキャスターに、母親は「また殺人事件。嫌ね」と独り言ちた。相生市は真帆が住む鹿岡市の隣の県にある都市だ。だからといって、被疑者、被害者ともに縁もゆかりもなく、よくある殺人事件という印象しか持てなかった。
その日の学校でも特筆するような出来事は無く、午後十時を迎える。最近はこの時間帯になると自然と眠気が襲ってくる。抗って無理やり夜更かししようとしたが、三十分と絶たずに夢の世界に旅立つのがオチだ。なので、諦めて素直に布団をかぶる。
ややあってドロシーへと変身を果たしたところ、早々にネムが待ち受けていた。うやうやしく鼻を折りたたんでいる。一礼しているつもりだろうか。
「ようやくやってきたね、ドロシー。最近はレベルが上がっていないみたいだけど、調子が悪いのかな」
「あなたには関係ない」
レベルが上がっていないもなにも、夢魔を倒していないのだから当然だ。「いつまで経ってもLV99にはなれないよ」とおせっかいをやかれたが、ドロシーはそっぽを向くのだった。
彼に構うつもりはなかったが、無視したところでやるべきことも見いだせない。とにかく、夢魔に遭遇しないよう、無為に時間を過ごすだけだ。歩き去ろうとするが、ネムは彼女の前に先回りしてきた。魔法少女に変身して身体能力が向上しているはずだが、彼の動きを捉えることはできなかった。
「あまりつっけんどんにしないでほしいな。今日は君に大事なお知らせがあるんだ。イベントの通知というやつかな」
首を傾げていると、ネムは鼻を一直線に伸ばす。
「参加する、しないはともかく、君の命に関わることだから聞いておいて損はないと思うよ」
命を持ち出されては無碍にすることなどできない。諦めてドロシーはネムへと向き直った。
「簡単に言えばレイドボスイベントの開催通知だ」
「レイドボス?」
聞きなれない言葉に困惑していると、ネムは円を描くように飛びまわる。
「ソーシャルゲームでは定番のイベントさ。複数のプレイヤーが協力して、強力な敵を倒す。あ、今の『きょうりょく』がかかっていたけど、シャレじゃないからね」
お茶らけるが笑う気になれなかった。無言でスルーしていると、ネムは大人しく地表付近に降りてくる。
「やれやれ、ノリが悪いな。サクヤは反応してくれたのに」
「サクヤにはもう話したの」
「友達のこととなると食いつくんだね。サクヤだけじゃなく、ここらで活動している魔法少女には一通り話してあるよ。さて、本題に戻ろうか。
実は、強力な夢魔が接近しているんだ。そいつはあまりにも強すぎて、はっきり言って魔法少女単独の力では倒せそうもない。ボクとしても、魔法少女が簡単にやられるのは本望じゃないからね」
嘆かわしく瞼を下げるが、どうにもわざとらしかった。無言を貫いていると、ネムは再び大きく旋回する。
「そこで、魔法少女みんなで協力して、強大な夢魔を退治してほしいんだ。相手が相手だから、多くの経験値が稼げるチャンスさ。それに、サクヤやバレットは参加を表明しているみたいだよ」
「バレットも」
更に知り合いの名前を出され、反応せざるを得なくなる。強大な夢魔というのはご免被りたいが、他の魔法少女の動向は気になった。とはいえ、あと一歩が踏み出せずにいる。思慮していると、ネムは更に顔を迫らせる。
「参加したくないなら無理強いはしない。でも、不利益しかないと思うよ。今回の作戦で討伐しきれなかった場合、単独で夢魔に挑むしかなくなる。そうなれば、ここらの魔法少女が根絶やしにされることだってありうるんだ。そうなる前に、力を貸しておくのがベストなんじゃないかな」
半ば脅迫だった。ここで首を横に触れるほど、ドロシーは強情ではない。反論しないことを肯定だと受け取ったのか、ネムは破顔する。




