どうしたの、早く魔法を撃って
それに、易々と安寧を貪ることもできそうにない。不穏な気配を察し、ドロシーとサクヤは肩を寄せ合う。ビルの合間を縫って、ゆっくりと接近してくる影があるのだ。
逃げようにも、どの物陰から出現するか予想がつかない。下手に動いて真正面から鉢合わせするのは避けたい。不本意だが、一旦エンカウントするのが安全策といえた。
ややあって細長い胴体が地面を這いずり、鎌首をもたげて威嚇して来た。獰猛な牙からはぬったりとした唾液が滴り落ちている。
恐怖と嫌悪感が一緒くたになり、すっかり腰が抜けてしまう。かろうじて夢魔バイパーLV9の文字列だけは確認することができた。サクヤよりもレベルは一つ上。単独で挑んで倒せない相手ではない。
敵前逃亡という選択肢もあった。だが、バイパーは長い胴体で規制線を作り出し、二人の退路を断っている。運動会で使うゴールテープぐらいの体長はあるだろうか。蛇にしては巨体だというのは言うまでもない。
下手に逃げ回ろうとしても、既に敵の手中にあるのだ。こうなればむしろ、真正面から突破したほうが実害は少ない。
「仕方ないな。やるよ、ドロシー」
サクヤは発破をかける。だが、ドロシーは浮かない顔をしたまま、武器すら出せずにいた。
「どうしたの、ドロシー」
「ご、ごめん、サクヤちゃん」
叱咤され、やっとのことで杖を構える。夢魔には戦闘開始の合図と認識したのか、あぎとを広げて威圧してくる。
「飛翔斬」
斬撃を飛ばす魔法でサクヤが先手を打つ。じっくりと腰を据えて追い詰めようという魂胆だったか、バイパーに回避する意思はない。人間でいうところの胸にあたる部分を切り裂き、体力ゲージを減少させる。
全身を覆う鱗はそのまま防具の役割を果たしているのだろう。普通の蛇ならナイフで切られれば即座にお陀仏だが、体表に一筋の切り傷を作るにしか至らなかった。
おまけに、中途半端なダメージがバイパーの気に障ったのか、牙をむき出しにして覆いかぶさって来る。小動物であればあっけなく丸呑みにされるだろう。魔法少女の場合、捕食されることはなくとも、ギロチンにかけられるぐらいの深手は覚悟しなければならない。
大人しく攻撃を受ける義理は無い。跳躍してバイパーの顎を地面と接触させる。反撃とばかりに腰を低くするが、額からは嫌な汗が流れる。
女性は爬虫類や両生類が苦手という通説があるが、例に漏れずサクヤも爬虫類は得意とはしていなかった。触れないほど苦手というわけではないが、能動的にちょっかいを出そうというほどの精神は持ち合わせていない。
なので、知らずのうちに最大火力の出せる「剛切斬」の使用をためらっていた。うねりくるう胴体を直接切りつけるなど、できればご免被りたい。
そうなると、長期戦になるだろうが、「飛翔斬」で地道にダメージを重ねていくしかなかった。
せめて「エンハンス」を使うことができれば。無いものねだりをしたところで、失った者を取り戻せるはずもない。闇雲に斬撃を飛ばすものの、未だ決定打を与えられずにいた。
牙にばかり執着していたのが失敗だった。動きを牽制するだけと思い込んでいた尻尾で強打されたのだ。対人戦を想定してみても、パンチだけではなくキックも警戒してしかるべきだ。
相手が巨大なだけに、プロボクサーに殴られたぐらいの衝撃が走る。
「サクヤ!」
うずくまるサクヤにドロシーは駆け寄る。体力はどうにか半分を保っているとはいえ、激しい痛覚は防ぎようがない。強打された左腕を庇っており、ドロシーは必死にその個所をさする。
こんな時にヒーリングを使うことができれば。「エカトリーナ」と名前だけ呼んで、同じ轍を踏むところだったと自覚する。回復魔法を使うことができれば、痛みぐらいは和らげられるかもしれない。左腕の痺れにサクヤは歯を食いしばるのだった。
二人の内、最大の火力を出せるサクヤが負傷したというのが大きく響いていた。短期での決着は望むべくもなく、地道に攻撃の機会をうかがう羽目になる。どうにか動かすことのできる右手でサクヤは「飛翔斬」を放つ。だが、巧みに胴体をうねらせ、斬撃は回避されてしまう。相手は能動的に攻撃を仕掛けてこない。二人が根負けしたところをじっくりいたぶるつもりであろう。
「このままじゃジリ貧じゃん。ドロシー、あなたも攻撃して」
「う、うん」
サクヤに尻を押され、ドロシーは杖を握る。深く息を吸って魔法を詠唱しようとする。
魔法弾を命中させようとするなら、真正面から敵を捉えなくてはならない。だが、そうすると嫌が上でも相手の得物が視界に入ることになる。今回は鋭利な牙だ。途端、ドロシーの両手におびただしい量の汗が滲む。
エカトリーナの命を奪ったかぎ爪。形こそ似てはいるが、バイパーの牙とは別種のものである。だが、恐怖の影がちらついて仕方がない。たった一言「シューティングスター」と紡ぎだせばいい。そうすれば、星形の魔法弾が相手を貫く。
頭では分かっているはずなのに、彼女の口は一向に思い通りの言葉を発しようとはしてくれない。
「どうしたの、早く魔法を撃って」
サクヤに急かされるが、意識すればするほど手汗が滲んでくる。挙句の果てには眩暈すら併発した。魔法を撃ちたくても撃てない。そう伝えたいのに、しゃべることすらままならなかった。
反撃の様子が無いことで、バイパーを調子づかせてしまう。ひときわ大きくあぎとを開くと、頭から丸呑みにしようと襲撃してきたのだ。狙いはサクヤ。一切攻撃してこなかったドロシーは簡単に倒せると踏んだ結果だった。
自分は後回しにされているとはつゆ知らず、急接近してくる牙にドロシーはけたたましい悲鳴を上げる。脳裏にフラッシュバックするあの光景。本来なら自分が命を落としていたはずなのに、無惨に鮮血を散らしたエカトリーナ。悪夢が再現される。激しい動悸に胸を押さえ、涙で顔が歪む。
もはや絶体絶命。そんな窮地を救ったのは一発の弾丸だった。
「モノブラスト」
淡白な口調とともに放たれた一撃。それはバイパーの首元を貫いた。




