夢魔は君たちの事情なんてお構いなしだ
ドロシーたちは絶句した。冗談にしてはたちが悪すぎる。だが、ネムはからかうように両者の間を飛空する。
「さすがにボクとて、肉体が滅んだのに精神だけこの世界に閉じ込めるなんて残虐な真似はするつもりはない。それに、管理者権限で好きなように魔法少女を殺すなんてこともできないから安心したまえ。むしろ、そんな力を使うことが出来たら、ゲームがつまらなくなっちゃうじゃないか。
だから、目覚めたら包丁を胸に突き刺すなり、高層ビルの屋上から飛び降りるなりするがいい。そうすれば二度とこの世界に来ることは無い。まあ、現実の世界にも二度と帰ることができなくなるけどね」
真帆たちがいる世界は現実と夢のはざまの世界。何らかの原因で夢を見ることができなくなったら、ゲームに参加することはできなくなる。最も手っ取り早いのが脳死判定されること。だが、あまりに無意味な方法なのは考えずとも分かる。
「死ぬのが嫌だというのなら残された方法は一つ。素直にゲームに参加してLV99を目指すことだね。一度願いを叶えた魔法少女は二度とこの世界に立ち寄れなくなる。どうだい。別に理不尽なことを言っているわけではないだろう」
ほぞを噛む魔法少女両者。ネムの言葉を額面通りに受け取るつもりはなかった。ネムとしてもそのことは分かっているはずだが、念を押すかのように鼻を近づけて来た。
「尤も、LV99に至るためには強力な夢魔たちを倒さなければならない。君たちが苦戦していた夢魔コカトリスはまだまだ序の口さ。あのレベルの夢魔が束になっても勝てない奴なんてごまんといるからね」
一方的に言いたいことだけ言うと、ネムは空中へと飛び上がっていく。反論を避けるため。それだけではないことは、直後に届いた雄たけびが証明した。
「ほら、夢魔は君たちの事情なんてお構いなしだ。ぼやついていると、すぐにゲームオーバーになっちゃうぞ」
突進してくるのは夢魔ハウンドLV9。茶褐色の毛並みに覆われたシェパード犬に似た夢魔であった。
勝てない相手ではないが、ネムからあんな話を聞かされた後に本調子を出せるわけがない。野犬よろしく、やみくもに突進を繰り返すばかりだから回避はできる。もちろん、防御一辺倒で勝てないのも自明だ。
「仕方ない、やるよドロシー」
「う、うん」
日本刀を構えるサクヤに、ドロシーは遅れて付き従う。
サクヤは「飛翔斬」で狙い撃ちを試みるが、ハウンドはスピード重視の夢魔のようだ。巧みにビルの壁を伝い、真空波を空振りさせる。
「ああもう、ちょこまかと」
「こんな時は、エカトリーナ、エンハンスを……」
途中まで言いかけてドロシーは口を押えた。もう彼女はいない。頭では分かっていたはずだが、空振りした言葉に心まで風穴を開けられた心地だった。
後方支援型の魔法少女が欠けたという余波は予想以上に大きかった。格上の相手でも、「エンハンス」で能力を底上げすればある程度渡り合うことができた。それに、ダメージを受けても回復できるという後ろ盾を失ったのは痛い。
何より、彼女を頼ろうとするたび、その存在がもういないという事実を突きつけられるのが酷だった。これまでならとっくの昔に倒せた相手だが、二人とも体力値を半分まで減らされるほど苦戦を強いられていた。
相手が大したことないと判断するや、ハウンドは調子に乗る。無意味なまでに走り回ってからの突進。己のスピードを誇示するためだけだが、ドロシーたちは見事なまでに翻弄させられていた。
「ええい! いつまでもワンコに付き合ってられないわ。マジカルポーション、パワトリン」
やけを起こしたサクヤが筋力上昇効果の増強剤を使用する。ドロシーも負けじと星形の魔法弾を放とうとする。
だが、呪文を紡ごうとしたときに違和感があった。たった一言「シューティングスター」と叫べばいい。なのに、口がうまく動いてくれないのだ。
まごついている間に、ハウンドはドロシーへと飛び掛かってくる。むき出しにされる牙。瞬間、巨大なかぎ爪がフラッシュバックする。エカトリーナの命を奪った凶器。発したのはけたたましい悲鳴だった。足がすくみ、杖はだらしなく手から零れ落ちる。
「剛切斬!」
窮地を救ったのはサクヤだった。ドロシーの前に割り込むと、横なぎでハウンドの胴体を一閃する。油断していた隙を突いたうえ、ポーションで腕力を強化していたのが大きかった。
ハウンドの肉体が粒子と化して消滅する。直後、ファンファーレ音が響き渡った。肩で息をするサクヤの周囲をネムが嬉々として飛び回る。
「サクヤ、君は今回の戦いでLV8に上がったようだね。コカトリス戦での経験値の蓄積が大きかったか。ドロシーはまだLV5のようだね。もう少しでレベルアップできるはずだから頑張りたまえよ」
二人とも聞く耳を持たなかった。どうにか夢魔を撃退できたものの、倒した相手のレベルは9。最大レベルが99だという前提からすると、途方のなさに愕然とするばかりである。
そして、ドロシーは地面に転がる杖を拾う気すら起きなかった。ひたすらに掌に視線を落としている。あの時、どうして魔法を放つことができなかったのか。自問自答しても答えを見出すことはできない。
その後、二人は背中をくっつけ、無言のまま座り込んでいた。その間、遭遇したのがLV2程度の雑魚ばかりというのが救いだった。




