突然の出来事で心の整理がつかないと思う
今回、衝撃的な描写があるのでご注意ください。
その日もいつもと変わらない朝のはずだった。クラスメイトの話題といえば、昨日に出された宿題のことだったり、有名なタレントのことだったり。即物的な題材に流されて笑い合う。いつもやっていることだった。
けれども、夢の中での出来事が糸を引き、真帆はどうにも心ここにあらずといった呈であった。友人から「朝からボケっとしてどうしたの」と追及される始末だ。「何でもない」と返したものの、親友までもごまかすには至らなかった。
「やっぱり気になっているの。あの出来事」
二人きりになったタイミングを計り、サクヤがこっそり話しかける。左右を確認したのち、真帆はゆっくりと首を縦に振る。
彼女らの不安を助長しているのは、文がまだ登校していないという事実だった。彼女は遅刻とは無縁で、真帆たちが教室に入るころには既に席について本を読んでいる。ならば、病欠だろうか。
確かめようとするが、彼女の事情を把握していそうな人物を探るのは困難だった。なにせ、真帆と時雨以外で交流を持っている級友が思いつかない。
「大したことなければいいけど」
ポツリと漏らした言葉は小雨に還元され、窓ガラスを濡らした。
やがて、担任の和田先生がやってくる。いつもならば、始業開始しているにも関わらず騒いでいる教え子を一喝する場面である。だが、入室してからというものの、一言も発していない。陰鬱な態度に不気味さを感じ取ったのか、自然と生徒たちの口数は少なくなっていく。
全員が着席し、号令を済ませたところで、先生は教室全体を見渡した。この時点でもまだ文は登校していない。
やつれた顔を隠そうともせず、先生は大きく息を吸った。
「朝一番ではあるが、こんな話をしなくてはならないのは非常に残念に思う。これから先生が話すことにショックを受ける者もいるだろう。でも、これは重要なことなんだ。できれば頑張って聞いてほしい」
不穏な忠告に誰しも口を開くことはできなかった。嫌が上でも視線は先生に集中する。
「今日、欠席となっている綾小路だが、朝一番に学校に連絡が入った。なんでも、自宅のベッドで眠ったまま意識を失ったらしい」
その説明に多くの生徒が息を呑んだ。まさかという悪寒がよぎる。冗談であってほしい。儚い切望をよそに、淡々と事実が告げられる。
「すぐに病院に搬送され、検査が行われた。だが、病院に着いた時にはもう」
これ以上は聞きたくなかった。できることなら先生の口を塞ぎたかった。だが、いかなる抵抗も無意味だ。決定的な事実は如何に抗おうと変えることはできない。せめてできるのは現実を否定しようと首を振ることばかり。
浅はかな反抗もむなしく、ついに最も聞きたくなかった事実が語られてしまう。
「綾小路さんは息をひきとっていたとのことだ」
突如語られた級友の死。ざわめきたち、時折嗚咽も混じる。文は級友との交流が多いとは言えなかった。それでも、昨日まで一緒に勉強していた仲間が突如として命を失ったのだ。年端のいかない少年、少女にとって、その衝撃は計り知れない。
「原因はまだ調査中だが、外傷が無いことから事件性は低いらしい。しかし、状況から察するに」
そこで言葉が切られた。黒板に背を向け、目元をハンカチで拭う。その先も予期はできていた。でも、改めて語ってほしくは無かった。淡い願望などつゆ知らず、先生は気難しい顔で向き直る。
「最近報道されている若年者の不審死である可能性が高いとのことだ」
これほどまでに絶望に突き落とされることがあっていいものだろうか。「クラスメイトが死にました。原因は分かりません」と告げられているも同義なのだ。やり場のない悲しみと怒りは奇声となるしかなかった。
どうにか落ち着きを取り戻したのは一時間目の数学の担当教師が到着する頃だった。事情を察したか、教壇で無言のまま待機している。
「突然の出来事で心の整理がつかないと思う。できることがあるとするなら、短いながらも彼女と一緒に過ごした時間を忘れないようにすることだ。今後については決まり次第追って連絡する。こんな時に言う言葉ではないかもしれないが、授業はきちんと受けるように」
それだけ言い残すと、和田先生は数学教師にバトンを渡し、教室を去っていった。
もちろんのこと、授業に身が入るはずはなかった。授業で指名されても、誤答が相次いだ。ただ、事情を察しているのか、必要以上に追及されることはなかった。
決定的な出来事が起こったのは体育の授業の後である。授業事態も、時雨が確実にゴールできる場面でボールを取りこぼして逆転されるという失態を犯してしまった。いつもの時雨だったらあり得ぬこと。むしろ、普段と変わらない調子でスリーポイントシュートを成功させた里奈が異常ともいえた。
更衣室で着替えを済ませたのち、教室に戻るといつも以上にざわめいていた。その原因は机の上に飾られていた一輪の菊の花にあった。
机に飾られる菊の花。それが意味するのは二つだ。一つはひどいいじめを受けている生徒の上にからかい半分で置くこと。だが、文が普段いじめを受けていた様子はなく、受けていたとしても今朝にあんな話があったばかりだ。冗談では済まされない暴挙を犯すほど性根がねじ曲がった人物はいないはずである。
ならば、残る可能性は一つだった。本来の意味。第一、文が亡くなったと知らされたのは今朝のこと。そこから急ごしらえで花を用意し、体育の授業中に飾ったと考えるのが自然だろう。
理屈では分かっているはずなのに、沸き立つ感情を抑えることはできなかった。真帆が口を開くより先に、時雨は花瓶を手で払いのけた。
床に落とされて砕け散る花瓶。菊の花を踏みつけようとするが、傍にいた男子生徒に羽交い絞めにされてしまう。
「邪魔するんじゃないわよ! 放せって」
「何してんだよ霧崎! やっていいことと悪いことがあるだろ」
時雨を拘束している生徒の友人が怒鳴り散らす。賛同して時雨を批難する声が上がる。一瞬でクラス中を敵に回してもなお、時雨はあらんばかりの声をあげる。
「冗談もいい加減にしてよ! 文が、文が死ぬわけないじゃない。昨日まであんなに元気だったのに。それがいきなり眠ったようにしてもう目を覚まさないなんて。そんなの夢でもなくちゃあり得ないじゃない」
喚き散らす彼女に誰も反論できずにいた。その場にいる全員の心を代弁していたからだ。時雨はガラスの破片で右手が傷つくのを厭わず、幾度となく菊の茎に拳を打ち付ける。花瓶に入っていた水に彼女の涙が交じり合った。
あまりの剣幕に誰しも、近づくことすらできずにいる。だが、一人の女生徒が時雨の前に立ちふさがった。顔を上げた途端、いきなり平手打ちがかまされた。
誰しも息を呑む中、その女生徒、里奈は時雨を睥睨している。一瞬、時雨は自分が何をされたか把握できずにいた。だが、頬に走る痛みから、いきりたって里奈へとつかみかかった。
男子生徒も協力して引きはがそうとするが、人間離れしているかの腕力に逆らうことはできない。怒りを隠そうともせず、ともすればそのまま殴り倒してもおかしくは無かった。だが、里奈は、
「落ち着きなさい!」
たった一言の怒声だけで時雨の勢いを削ぐのであった。
「あなたが喚いたところで事態が好転するわけはないでしょう。少しは頭を冷やしなさい」
「うるさい! あんたに何が分かるのよ。こんな、こんなことって」
時雨の声には嗚咽が混じる。里奈の制服を強く握りしめ、歯を食いしばっていた。
すると、時雨の背中が優しく包まれる。時折聞こえるすすり泣く声。
「真帆、か」
問いに答えることはなかった。真帆は時雨の背後から抱き着きながら、ずっと涙を流していた。悲しみは伝播し、そこかしこで泣き声があがる。
力なく制服から手が離される。白いワイシャツには赤黒い染みがべったりと付着していた。里奈は制服を摘まむと、廊下へと視線を送った。
「ガラスで手を怪我しているようね。とりあえず、保健室に連れていくわ。花瓶の片づけは任せていいかしら」
「お、おう」
有無も言わさず仕事を押し付けられ、近くにいた男子生徒は頷くしかなかった。
さっさと教室を出ていく里奈に、「私も行きます」と真帆も同行を申し出る。特に反応を示さず、わき目も降らずに保健室へと向かっていくのだった。




