私がお兄ちゃんの病気を治せるとしたら、どう
学校を出た時雨がその足で赴いたのは鹿岡総合病院だった。市街地にあり、自転車で全力疾走して二十分ほどの距離にある。
市内最大の病院だけあり、病気になった時はここを訪れれば間違いないとまで評されている。ただ、病気とは無縁の彼女が来訪したのには別の理由があった。
既に顔なじみとなっており、ほとんど顔パスで受付を済ませる。諳んじられるほど通った道なりで入院患者が集まる病棟へと到着した。
「霧崎日向」とプレートがかかっており、二、三度ノックすると「どうぞ」と声がかけられる。
ベッドの中で半身だけ起こしていたのは純朴そうな少年だった。痩せこけてはいるが、目元からは芯の強さがうかがえる。栗毛の短髪ということもあり、下手をすると時雨とうり二つの双子と誤認されてもおかしくは無かった。
「時雨、また来たのかい」
「お兄ちゃん、いつも病院だから退屈してるっしょ。やってきてあげたんだから感謝してほしいわ」
そんなに発育していない胸を張る。日向が手招きすると、飼い主に呼ばれた犬のごとくすり寄っていった。
「調子はどう、お兄ちゃん」
「大分よくなってきた気がするよ。お医者さんも、うまくいけば退院できるかもってさ」
詭弁であることは分かっているのだが、努めて和やかに振る舞ってみせる。時雨はベッドのわきに腰かけると、頭の後ろで手を組んだ。
「今日も試合で大活躍だったんだからね。お兄ちゃんに見せてあげたかったな、私の勇姿」
「時雨はいつも大活躍だね。活躍しないときはないのかい」
「ひどいな。私が失敗するのを望んでいるみたいじゃない」
「ハハハ、一本取られたな」
二人して笑い合う。こんな時がいつまでも続けばいいのに。叶えられそうで叶えられない願いに時雨はもどかしくなるのだった。
兄である日向が病院に搬送されたのは二年前だった。時雨以上に卓越したバスケの腕前を持ち、全国大会常連のチームに入っても遜色ないとさえ評された。そんな兄は時雨のあこがれでもあり、彼女がバスケをやっているのもその影響に他ならない。
そんな彼に病魔が襲ったのは突然のことだった。試合帰りに道端で倒れた彼は救急搬送される。医師から告げられたのは「突発性の心臓病」とのことだった。これまで病気らしい病気をしたことがない彼にとって、それは絶望にも等しい宣告であった。
最初は入退院を繰り返していたのだが、ここ最近は長期に渡る入院生活を余儀なくされている。まともにバスケができないのみならず、人並みに学校生活を送ることすら危ぶまれていた。
彼にとって一番のショックだったのは、確約とされたバスケの名門校への進学が絶たれたことだろう。病状が安定しているうちに入試を受け、どうにか地元の一般公立に進学することはできたのだが、それすらもろくに通えずにいる。表面上では明るく振る舞っているが、内心に渦巻く後悔は計り知れない。
「ねえ、お兄ちゃん」
普段の中学では決して出すことは無い猫なで声で時雨は尋ねる。
「もし、私がお兄ちゃんの病気を治せるとしたら、どう」
日向は「まさか」とおどける。ただ、時雨の顔は笑ってはいなかった。
「もし、そんな方法があるならそれこそ夢物語だ。そのうち治るだろうから、時雨は心配しなくていいよ」
矛盾をはらんだ発言だと悟らせないよう、日向は妹の頭をなでる。追及することなく、時雨は為されるがままになっていた。
冗談を飛ばせるぐらいには回復しているというのは嬉しい。しかし、予断を許さない状態になったことも幾度となくあった。そのたびに時雨は自らの命を削られる心地がした。
そんな折にあの老婆と出会ったのは僥倖だった。あまりにも胡散臭い誘いに、最初は無視しようとも思った。
だが、老婆ははっきりと宣告したのだ。
「魔法少女になれば、お兄さんの病気を治せるかもしれないよ」
彼女がゲームに参加するのに、それ以外の動機は必要なかった。
もう一度お兄ちゃんとバスケがしたい。帰宅して床に就いた時雨は、その一心で今日もドリームワールドへ旅立っていくのであった。




