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私をクビにした会社は私がいないので、クライアントを無くしたみたいです。

新しいデスクに向かって一週間。

私のPCモニターには、次々とプロジェクトの承認通知が並んでいる。

今日、チームで行っているのは大手飲料メーカーの新作リブランディングプロジェクトだ。社内の精鋭が集まる会議室で、私は静かに資料をプロジェクターに映し出した。

「ターゲット層の購買行動データを分析した結果、従来のターゲットである30代男性だけでなく、実は20代の女性層に需要が急伸しています。この層に刺さるパッケージデザインに変更すれば、初動の売り上げは最低でも20%向上するはずです」

会議室に沈黙が流れる。私の提案は、これまでの慣習を覆すものだ。

前の会社なら、ここで部長が「勝手なことをするな」と怒鳴り散らし、美穂が「女心を分かってない」と鼻で笑って握りつぶされていただろう。

しかし、ここは違った。

「……なるほど。如月さん、君の分析は非常に説得力があるな」

チームリーダーが唸り、他のメンバーたちも次々と頷く。彼らは私を無視しない。私の言葉の裏にある「なぜそうなるのか」という論理に真摯に耳を傾け、それをチームの力に変えようとしてくれる。

「これならいける。如月さん、このプランで一気に進めよう。君に主導権を任せる」

「……ありがとうございます」

ミーティングが終わると、リーダーが私の肩を軽く叩いてくれた。

「君が来てくれて、本当に助かっているよ。今までの俺たちは、数字の裏付けが弱かったからね」

その言葉一つで、胸のつかえが取れたような気がした。

私の努力は、誰かに評価されるためにあったんだ。自分の知識や経験が、誰かの役に立ち、チームを前進させている。その充実感は、前の会社では決して味わえなかった、プロフェッショナルとしての誇りそのものだった。

その頃、『アド・シンクロ』のオフィスは、まるで時が止まったまま腐敗していく死体のような有様だった。

オフィスの中は、かつて私が清潔に保っていた時とは別人のような汚さだ。あちこちに脱ぎ捨てられた書類、誰かがこぼしたコーヒーの茶色い染み、そして山積みになった期限切れの資料。

「ふざけるな! なんでこの入稿データ、誤字だらけなんだよ!!」

鏡部長の怒鳴り声が、再び響く。

彼の目の前には、印刷所から突き返された大量のチラシがある。私が抜けた後、誰も「校正の二重チェック」という仕組みを維持できなかった結果だ。

「わ、私じゃないです! 美穂さんが『私がやるから触るな』って言うから……!」

「黙れ! どっちでもいいから今すぐ直せ! クライアントの入稿時間は一時間後だぞ!」

オフィスには、責任の擦り付け合いだけが充満している。

彼らは私がいなくなった後、私のやっていた業務を「誰か」に割り振ったつもりでいたが、実は誰もその責任を負える能力を持っていなかったのだ。

そして、致命的なトラブルが起きた。

「部長……大変です。先方の『サンライト』の担当者から、正式に契約解除の通達が来ました……」

一人の部下が、真っ青な顔で端末を差し出す。

「理由を聞いたら、『以前担当していた如月さん以外とは、質の高い仕事ができると思えない。彼女がいない今の貴社に、プロジェクトを預けるリスクは冒せない』と……」

オフィスが静まり返る。

『サンライト』は、社の収益の四割を占める大口顧客だ。それが失われたということは、会社の存続に関わる大打撃を意味する。

鏡部長は、呆然と自分のデスクの椅子に崩れ落ちた。

彼の視線の先には、空席になったままの、私のデスクがある。

かつてそこには、誰よりも早く出社し、誰よりも完璧に資料を作り、誰よりも深くクライアントを思いやっていた女性が座っていた。

「俺は……何をしていたんだ……」

鏡部長が小さく呟く。その言葉に答える者はいない。

美穂は自分のデスクで、顔を覆って泣きじゃくっている。彼女が必死に隠そうとした自分の無能さは、もう誰の目にも明らかだった。

私がいない。

ただそれだけで、彼らの「砂の城」は、脆くも崩れ去った。

彼らは今、ようやく気づいたのだ。

自分が蔑んでいた「脳無し」が、実は自分たちの未来を繋ぎ止めていた唯一の生命線だったことに。

だが、その生命線はもう、別の場所で、新しい輝きを放ち始めている。


彼らはもう、二度と私の影すら踏むことはできない。

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