第52話薔薇に選ばれた男
客席のざわめきが、波のように揺れていた。
貴族らしき着飾った男女、商人、平民――身分の差など最初から存在しないかのように、皆が同じ方向を見つめている。
舞台の天井から無数の魔導灯が垂れ下がった。
光量はゆっくりと落ちていく。
観客の視線は、いつの間にか一点に集まっていた。
――カン
どこかで小さく、澄んだ音が鳴る。
それを合図に、重厚な幕が軋む音を立てながら、左右へと開いていった。
現れたのは、豪奢という言葉では足りない舞台装置だった。
石造りの城壁、深く描き込まれた森の背景、床には淡く魔力が流れ、まるで“本物の世界”が切り取られたかのような錯覚を覚える。
舞台中央に一人の少女が立っていた。
背筋はまっすぐ、剣を模した小道具を携え、呼吸一つで空気が変わった。
次の瞬間、音楽が流れ出す。
低く、重い旋律。
少女は一歩、前へ踏み出した。
そして――語り始める。
声は澄んでいて、震えがない。
言葉一つひとつが、客席の奥まで正確に届き、観客の意識を物語の中へ引きずり込んでいく。
剣を振る仕草は無駄がなく、身体の軸が一切ぶれない。
演技というより、訓練された“動き”だ。
剣術が得意だと言っていたのは、伊達じゃない。
舞台が進むにつれ、観客の反応が変わっていく。
息を呑む音。
誰かが涙を拭う気配。
笑い声すら、計算された間で自然に引き出されていた。
そして、クライマックス。
少女は天を仰ぎ、叫んだ。
その声に合わせるように、魔導灯が一斉に輝く。
舞台全体が黄金色に染まった瞬間、カイの胸は高鳴り、思わず息を止めて見入ってしまった。
幕がゆっくりと降りる。
一拍の沈黙。
次の瞬間、割れんばかりの喝采が劇場を満たした。
歓声、拍手、称賛の嵐。
誰もが心から満足そうに笑っている。
ここはおかしい。
こんなにも完璧で、こんなにも幸福で。
その中心に、五帝の一人――美帝がいるという事実だけが、どうしても喉に引っかかった。
演劇が終わると、照明が照らされ観客達は、席から立ち上がって帰っていく。
とりあえず呪詛師の娘に会うか……
演劇場の観客席に清掃員が入ってくる。
素早く席に身を潜め、薄暗い視界のおかげで奇跡的にバレてはいない。
そして、スタッフや役者達の休憩場に侵入し、聴覚を変化させて娘を探る。
あの鼓動、声、呼吸。
これを覚えていれば、大抵は見分けがつく。
部屋には一人、化粧直しをしてるのか。
楽屋の扉を開け、椅子に座って鼻唄を歌っている女の子に近づく。
「スタッフさん?あたし、言いましたよね?美帝さんに言いつけますよ」
そうして不機嫌な様子の少女は、後ろを振り向いた。
母に似た黒い瞳に写る男の姿は、まるで人間の皮を被ったバケモノのように見えた。
俺と少女の視線がぶつかる。互いに一瞬、言葉を失った。
ここで声をかけるべきか、立ち止まるべきか――瞬間の判断で、この場の全てが決まりそうな緊張が体中を駆け抜けた。
「だ、誰……」
だが、少女はその男に見覚えがある。
「お前…」
俺も同様、少女に既視感を覚えていた。
初めて呪詛師に会った時、背後にいた少女だ。
「あなた、お母様とお話をしてた……というか、どうしてここに?」
「お前の母に言われてきた」
言い終えると、彼女は立ち上がり、手元の小道具のハサミを握った。
「お母様に、『連れてこい』って言われたんでしょ!あたし……もう帰らないから!」
小さく震える声が漏れる。眉間に皺を寄せながらも、瞳は強く光り、心の中で揺れる不安と覚悟を隠し切れていなかった。
「お前の母に伝言を頼まれた。すまなかったって」
「……あたしはもう帰らないと伝えてください」
なぜそこまでして母を拒絶するのか。
初めて呪詛師に会ったとき、背後でじっと見守っていた少女は、まるで騎士に守られる姫のように見えた。
「俺には関係ないかもしれないが、どうして……家出を?」
「家出なんかじゃない!夢を叶えるために出て行ったんです!」
少女は声を震わせながらも、眉間に力を入れ、目を逸らさなかった。
返す言葉はなかった。ここはただ相槌を打つしかない。
「わかった。ところで名前は?」
彼女は一向に言わず、その眼は先に名乗れと言わんばかりであった。
「カイだ」
「あたしはマリエル。美帝さんの一番弟子です」
一番弟子?
美帝のスキルか何かで、洗脳されてるに違いない。
「演じるのは好きか?」
「はい!」
その輝かしい笑顔を、洗脳されているというのには無理があるな。
流石に今回ばかりは呪詛師が彼女を束縛し過ぎている。
帰ったら一言文句言ってやるか。
マリエルの言葉を聞いて、あとは美帝と接触をしようとマリエルに背を向けた瞬間。
黄金に輝く髪に、青い目をした絶世の美女が扉を開けて現れた。
胸元が空いたロングドレスに、謎に美帝の周りに黄金が纏っている。
「美帝さん!」
マリエルは満面の笑みを見せながら、美帝の胴へと抱きついた。
「やあ、こんにちわ」
「"カイ・アルベルト"」
なぜ俺の名前を知っている。
焦りや混乱より、先に殺気が生まれる。
ここでヤツを殺さなければ、また面倒事に巻き込まれる。
ここで仕留めなければ、また同じことの繰り返しになる。
そういう予感だけが、胸の奥で蠢いていた。
それを感じ取った美帝は慌てて両手を振って否定し始めた。
「違う違う!私は微塵も敵対するつもりはないよ!」
こんな必死に否定するとはな……
「それに…あなたは、もう十分に壊れてる。これ以上壊す理由が、私にはない」
すると一瞬の間に、美帝は俺の耳元で囁く。
「わざわざ、気に入ってる男の子襲うわけないでしょう?」
「敵に色目を使うほど哀れな女だったとはな」
「び、美帝さんに酷いこと言わないでください!」
マリエルがそう言うと、美帝はまるでマリエルを妹のように、優しく頭を撫でた。
その姿は、五帝だとは思えない。
何処か、汚れを知らない町娘のようだった。
「コラコラ。そんなにシワを寄せちゃ、可愛い顔が見れないじゃないか」
撫でられたマリエルは妬ましい表情を浮かべ、俺に見せつけてくる。
「どうも思わねぇよ」
美帝は撫でる手を止め、両手を合わせて一見変わって真面目そうに言う。
「それじゃあ、私がここに来た理由を説明しよう」
確かに、美帝がわざわざこの小娘のために、時間を割くとは考えづらい。
偶然ではなく、必然だったのか……
「私に会いに来たんじゃないんですか?」
「それもあるけど、6割位はあなた目当て」
美帝は俺のこめかみに指先を当て、後ろへ回り込む。
「私について来て」
「"取り引き"しましょ」
酒に酔うような感覚だった。
心地よい、というより――危険なのに、目が離せない。
「じゃ、行きましょ。マリエルちゃんも、他のみんなに元気か伝えといてー」
「はい!"一番弟子"である私にお任せを!」
俺と美帝は楽屋から出て、黒く上品な扉を閉めた。
「ほーら、私のVIPルームに連れてってあげる」
美帝は俺の手を取り、廊下を進み始めた。
なぜだ。なぜ、さっきからコイツの殺意を感じない?
きっと何か裏がある。今まで相手をしてきたヤツらはみんなそうだった!
だが敵意がない人を――ましては、スキルを使っている気配も感じない女を、ただの直感で殺すのか!?
そんな事を考えているうちに、VIPルームへと辿り着いた。
客間であるここには、フカフカのソファーに、ワイングラス、それに加え、一面のガラス張りからの日差しが、彼女を明るく照らしていた。
「お高いワインがいい?それとも、水?」
「何か入ってそうだからな」
彼女はにやりと微笑み、ピンク色の唇から放たれる言葉が、刃のような鋭さを放つ。
「毒帝のスキルも効かないクセに……」
口元を手に当てて笑うその姿は、絵画で今後も語り継がれそうなほど、美しい。
「お前何処まで知ってやがる」
「大丈夫、アルダさんもハンさんも、私にとってはただの雑草」
美帝は互いの鼻息が当たる距離まで近づき、真っ直ぐ俺の茶色の瞳を見た。
「私はね?一輪の薔薇にしか興味ないの」




