第51話黄金の舞台と、疑いのない喝采
グラドマウンテンの濃い霧に呑まれ、俺は再びあの館へと訪れた。
霧の奥から姿を現した館は、前に来た時よりも小さく見えた。
それが距離の問題なのか、それとも――中身が壊れ始めているせいなのか、俺には判断がつかなかった。
手紙の内容は"助けてくれ"の一言。
あいつに貸しなどないが、俺をここまで進ませてくれたのは確実にあの女のおかげだ。
ここで見捨てるほど、俺は腐ってない。
館の門の鐘を鳴らそうとすると、門が開いているのがわかった。
襲撃されたのか?状況だけ見て無理だったら帰るか。
門を潜り、館の玄関を開いて中に入ると、床には割れた薬瓶と書類が散乱し、鼻を刺すような薬臭と、微かに焦げた匂いが混じっていた。
ただ荒らされたというより、"ただ感情的に暴れた"ようにも見える。
「一体……」
無意識に言葉が出ると、視界の端から幽霊の執事が出てきた。
「か、カイさん!」
執事は俺に近づき、生温い手で俺の手を取った。
「じゅ、呪詛師様が!」
「殺されたか?それとも、実験で死んだか?」
執事が口を開き、何か言うと思ったが何も言わない。
ただ、着いてこいと言わんばかりに進み始めた。
「見た方が早いです…」
先日とは違く、二階に上がってすぐ左の部屋へと招かれた。
扉を開け、俺は疑うことなく部屋へと入る。
部屋は薄暗く、女性の啜り声が大きく響く。
寝室か?
奥に進むと、ベッドで丸くなった呪詛師を見つけた。
全身を覆い隠す黒い衣装は着けておらず、青白い不気味な肌と、男を惑わすような美貌が現れた。
その姿を見た瞬間、胸の奥が僅かにざわついた。
いつも余裕と狂気を纏っていた彼女から、完全に“強者の気配”が消えていたからだ。
もし今ここで刃を向けられても、彼女は避けられない。
そんな確信が、嫌になるほど自然に浮かんだ。
「来てくれたか……」
「恋人の愚痴なら帰るぞ」
「い、いや、ただ、手助けをして欲しいのだ。お前にも当然、利はある」
「なんだ?」
呪詛師が涙を拭うと、またボロボロと泣きながら喋り出した。
「私の娘が――愛しき娘が独り立ちをして、演劇の場へと向かったのだ。だが、そこにいる雇用主が不安でな……」
「あー、わかった。それで?」
まるでどうでも良い母親の愚痴を聞くように、俺は適当に受け流した。
「雇用主が五帝の1人、"美帝"なのだ……」
「美帝?」
その名を聞いただけで、頭の中に嫌な予感が広がる。
五帝の中でも、彼女だけは意図的に接触を避けてきた存在だった。
「ああ……」
魔法帝を調べた時に、関連として彼女も出ていた。
確か、魔法帝の元妻だった女性だ。
だが、力帝や毒帝と違い、彼女はただの善人。悪い噂も聞いたことがない。
「俺に何をして欲しいんだ?」
「話が早くて助かるよ……」
呪詛師は話を続ける。
ふと、目に入った娘との写真が、呪詛師との関係を表していた。
「あの娘は呪詛師としての才能が無くてな…"あの人"に似て剣術が得意なのだ。そして、成熟した我が娘は演技の道を進んだ」
「だが、彼女が選んだ先は美帝の王国、"アウレリア王国"」
「何がそんなに心配なんだ?」
「幾年も私の元に離れなかった娘が、世で上手くやっていけると思うか?」
こいつの子か…確かに無理だろうな。
「いいや。上手くやっていけないだろうな」
「だろう?それに、私が様子見をしようとしたら、酷く断られてしまってな……だから、カイ。君が行ってくれないか?美帝にも会えて、情報も聞き出せる」
「そうだな……」
俺は悩む。
理屈だけで言えば、断る理由はいくらでもある。
だが、この話を逃せば、俺は一生“美帝”と向き合う機会を失うかもしれない。
こんな本当にどうでもいい事に時間を裂きたくないが、唯一コンタクトを諦めた美帝と話せる可能性がある……
アウレリア王国は北西にある離れた大きな島国。
気候もよく、美帝を崇拝しているのを除けば、俺でも住みたいと思える場所だ。
「受けてやる」
「本当か!?」
呪詛師は俺が数回見た中で、初めてとてつもない笑顔を見せてきた。
「移動は――」
「もちろん私が送迎する!魔法馬車でひとっ飛びさ!」
呪詛師のテンションにドン引きしながらも、返事をしてアウレリア王国へすぐ向かう事になった。
魔法馬車は他の馬車とは違く、馬が紫色の魔力で形成されていて、何処かいい匂いのする木製の座席に乗り、アウレリア王国へ出発した。
「ところでカイ」
「ん?」
出発してそろそろというところ。
呪詛師は真面目な顔をして話し掛けてきた。
「私の代わりに娘に謝ってくれないか?」
「いいが、一体何したらそこまで嫌われるんだ?」
「私が…そのな。しつこく言い過ぎたのだ」
「そうか」
それ以上聞くことはなく、魔法馬車はアウレリア王国の正門のすぐ隣に着地した。
帰る時は呪詛師がくれた石を破壊すればいいらしい。
そして別れを告げることもなく、俺は魔法馬車を降りる。
「ここがアウレリア王国か」
澄んだ空気と穏やかな風が、これまで訪れたどの国とも違う印象を与えていた。
美帝を崇拝する国――その言葉とは裏腹に、平和そのものの景色が広がっている。
まるでパレードが行われているのかと、そう錯覚するほど賑やかだ。
一番怖いのは、ここにいる皆、全員が本当に幸せそうにしていること。
不満を口にする者が、一人もいない。
それが、この国の異常さだった。
饗宴島と比較すると、天と地以上の差がある。
「そこの兄ちゃん!旅の者だろ。食ってけ」
ハゲの商人がりんごを投げ渡し、反射的に受け取ってしまった。
毒もなく、呪いもない。
ただの、甘いりんごだった。
その商人はすぐ人混みに呑まれ、俺はなにも言えず、りんごを持ちながら目的地へと辿り着いた。
大きな演劇場にある広告には美帝のモデル写真が、バカみたいに掲載されている。
こうして見てみると……確かに美しい。
彼女の下で働けば――
な、なんだ?今のは。
ドキドキと心臓が跳ね上がり、この感覚が何か知っている。
美帝のスキルも未知数。こいつの顔を見るのはやめておくか。
入り口付近には、12時に公演予定と掲載されている。
確かめる術はないが、この公演に娘は出るだろう。
もうすぐ公演だ。なんとかして会わなければ。
演劇場の中に一歩足を踏み入れた瞬間、外の喧騒が嘘のように途切れた。
高い天井から垂れ下がる魔導照明が、柔らかな金色の光を落としている。
派手ではない。だが、どこか“計算された美しさ”があった。
赤を基調とした客席は段状に広がり、既に多くの観客が腰を下ろしている。
貴族らしき装いの者、平民風の家族連れ、旅人――
身分の差はあれど、皆の表情は妙に揃っていた。
期待。
高揚。
そして、疑いのなさ。
ざわめきはある。だが、不快ではない。
むしろ心地よい。
この空間にいるだけで、感情が“整えられていく”感覚があった。
……嫌な感じだ。
舞台上にはまだ幕が下りている。
厚手の緋色の幕には、金糸で施された紋章。
王冠を模したその意匠を見ただけで、胸の奥が微かに熱を帯びた。
意識して目を逸らす。
客席の通路を進むと、舞台裏へと続く扉が見えた。
役者や関係者が出入りしているのだろう、警備は甘い。
だが――
誰もが俺を気にも留めない。
それが逆に不自然だった。
視線を向けられないのではない。
「問題ない存在」として、最初から舞台の外に分類されている。
この演劇場全体が、一つの意識を持っているみたいだ。
幕が、微かに揺れた。
もうすぐ始まる。
その確信だけが、理由もなく胸に落ちてきた。




