5. 危機
深夜二時。
ドーム状の空に描かれた人工の月が、無機質な青白い光を街に投げかけていた。
静まり返った室内で、私は深い眠りの底にいた。
昼間の保健室でのレオン先輩とのやり取りや、お風呂場でのゴンゴンの切実な言葉が胸につかえて、浅い夢とうつつを行き来していたその時――。
「危険を察知! レイチェル! 起きろ!!」
耳元で響いた怒号のような大声に、私は跳ね起きるように目を覚ました。
「ひゃいっ!? な、なに、ゴンゴン!?」
枕元に立っていた雪男のぬいぐるみ『ゴンゴン』が、いつもとまるで違う雰囲気を纏っていた。
プラスチックのつぶらな瞳の奥で、赤い光が警告灯のように点滅している。
「敵襲だ! 警戒レベル最大! 早く服を着ろ!」
「えっ、敵って・・・ここ、自宅の二階だよ!?」
困惑する私の耳に、ドンドンドンッ! と玄関のドアを激しく叩く音が届いた。
ただ事ではない。私は急いで羽織を引っかけると、ゴンゴンを小脇に抱えて階段を駆け下りた。
両親は他府県への出張中で不在だ。
「だ、誰ですか・・・!?」
ドア越しに問いかけると、外から荒い息遣いと、泣きじゃくるような声が聞こえてきた。
「レイちゃん・・・っ! お願い、開けて! たすけて・・・っ!」
「その声・・・ユミちゃん!?」
ルミちゃんの双子の妹で、優秀な成績で『魔法科』に進学したはずのユミエラちゃんだった。
私が慌てて鍵を解錠し、チェーンを外してドアを開けると、雪崩のように彼女が飛び込んできた。
「ユミちゃん!? 一体どうしたの、そんな泥だらけで――」
ユミちゃんの制服はあちこちが破れ、煤と血で汚れていた。
その顔は恐怖で蒼白になり、歯をガチガチと鳴らしている。
「逃げて・・・レイちゃん、逃げて! あいつらが、追ってくる・・・っ!」
「あいつら・・・?」
私の問いに答えるように、夜の静寂を切り裂いて『ガシャン・・・ギチチ・・・』と嫌な金属摩擦音が響いた。
暗闇の庭先に現れたのは、人型の影――いや、人間ではない。
全身を黒く鈍い金属で覆われた、体長二メートルほどの機械兵だった。
目にあたる部分には血のような赤色に発光するレンズが埋め込まれ、その手には禍々しい単分子ブレードが握られている。
「逃亡者コード・ユミエラを捕獲。・・・および、接触者コード・エミルナを検知。排除モードへ移行」
合成音声のような無機質な声が響く。
「な・・・機械!? なんでこんなものが街の中に・・・!?」
「魔法科の宿舎から、ずっと追ってきたの・・・! 捕まったら、みんなみたいに・・・っ!」
ユミちゃんが金切り声を上げる。
機械兵が容赦なく腕を持ち上げ、鋭い刃を私たちに向かって振り下ろした。
「くっ、走れレイチェル! 屋外へ出ろ!」
ゴンゴンの指示で、私はユミちゃんの腕を引いて一転して夜の路地へと飛び出した。
背後で我が家の玄関が軽々と叩き切られる不快な破壊音が響く。
「ハァ、ハァ・・・! なんなのこれ、魔法で追い払えないの!?」
「無理よ! 魔法科に入っても、実用的な魔法なんて何ひとつ教えてもらえないの・・・! 毎日毎日、ただ魔力を練り上げるトレーニングばかりで・・・戦う方法なんて知らない・・・っ!」
ユミちゃんが泣き叫ぶ。
憧れの魔法科で学んでいたはずの彼女が、まともな攻撃魔法すら放てないという異常な事実。
前世の知識に頼ってきた私たちの無力が、残酷なまでに浮き彫りになる。
ついに袋小路の路地裏へと追い詰められた。
背後は高い防護壁。振り返れば、二体の機械兵がゆっくりと間合いを詰めてきていた。赤いレンズが暗闇で鋭く光る。
「警告。抵抗を停止せよ」
「嫌・・・嫌ぁぁぁっ!」
ユミちゃんが頭を抱えてしゃがみ込む。
私もまた、身を竦ませてゴンゴンを抱きしめることしかできなかった。
(やっぱり、私は何もできない・・・! エミルナの記憶があっても、魔法少女なんて名ばかりで・・・今世でもまた、こうやって惨めに終わるの・・・!?)
死を覚悟し、深く目を閉じた――その瞬間。
『——TARGET LOCKED. 排除を開始する』
頭上から響き渡ったのは、重厚な排気音と、聞き覚えのある少年の毅然とした声だった。
ズドォォォンッ!!
爆音とともに天から降り立ったのは、体高三メートルを超える銀色の機動兵器――人型ロボット『アルカ・フレーム』だった。
流線型の美しい装甲と、高出力のブースターから吐き出される青い粒子が夜の路地を眩しく照らし出す。
「レオン・・・先輩・・・!?」
コクピットのキャノピー越しに見えたのは、騎士科の制服を身にまとったレオン・フェルメリア先輩の姿だった。
「下がっていろ、ヴァルシェイン!」
アルカ・フレームが巨体からは想像もつかない俊敏さで踏み込み、腰部に装備されていた大剣『アーク・ブレード』を一閃させる。
ガキィィィンッ!
一体の機械兵の刃を完璧に受け止め、そのまま力任せに壁へと押しつぶした。
金属が歪む不快な悲鳴が上がる。
「自動追撃兵器『クロノス・ドローン』か・・・街の中にまで侵入を許すとは、管理局の目も落ちたものだな!」
残る一体がレオン先輩の背後から襲いかかるが、アルカ・フレームは背部のスラスターを逆噴射させて空中に跳躍。
空中で美しく反転しながら、胸部のジェネレーターが過熱し、眩い光を放ち始める。
「貫け――『アーク・ドライブ・セイバー』!!」
高密度のエネルギーを纏った大剣が、夜空を裂いて一直線に振り下ろされた。
ドゴォォォォンッ!!
一閃。
機械兵は垂直に真っ二つに両断され、内部の回路から激しい火花と黒煙を吹き散らして爆発した。
残った一体も、レオン先輩が背を向けたまま放った脚部アンカーによってコアを撃ち抜かれ、完全に沈黙した。
静寂が戻ってきた路地に、アルカ・フレームの冷却ファンが回る音だけが虚しく響く。
「はぁ・・・はぁ・・・」
呆然と立ち尽くす私たちの前に、アルカ・フレームが膝をつき、コクピットハッチが開いた。
中から飛び降りてきたレオン先輩は、乱れた髪をそのままに私へと駆け寄ってきた。
「無事か、ヴァルシェイン! 怪我はないか!?」
「あ、はい・・・大丈夫です・・・。でも、レオン先輩・・・なんでロボットなんて・・・それに、どうしてここが・・・?」
あまりの非現実的な光景に、私の頭は追いつかなかった。
騎士科の生徒が、なぜこんな兵器を乗り回し、私たちの危機に完璧なタイミングで現れることができるのか。
おそるおそる尋ねる私に、レオン先輩は一瞬だけ表情を曇らせ、固い口調で答えた。
「・・・君の家の近くを、ずっと監視していたんだ。不快に思ったらすまない」
「監視・・・? どうして・・・」
「約束なんだ」
レオン先輩のまっすぐな瞳が、私を射抜く。
「僕がこの『アルカ・フレーム』を駆り、君・・・レイチェル・ヴァルシェインを守ることは、僕にとって何よりも優先されるべき『大切な約束』なんだ」
「約束・・・? 誰との・・・?」
私の脳裏に疑問が渦巻く。私はレオン先輩とそんな約束をした覚えはない。
お父さんやお母さんだろうか? それとも、前世の記憶に関係する誰か・・・?
「それは――」
レオン先輩が口を開きかけた、その時だった。
「おい、そこまでにしろ。お前は何も知らなくていい」
冷ややかな声が遮った。
私の腕の中で、雪男のぬいぐるみ『ゴンゴン』が光を失った目でレオン先輩を睨みつけていた。
「ゴンゴン・・・?」
「これ以上、レイチェルを巻き込むな、レオン。お前たちの『事情』に、この子を引っ張り込むんじゃない」
「・・・ゴンゴンと言ったか。君が『エミルナ』のナビゲーターであったことは知っている。だが、世界の崩壊が始まっている今、彼女だけを蚊帳の外に置くことなど不可能だ」
レオン先輩とゴンゴンの間に、バチバチとした緊張感が走る。
「・・・それより・・・」
沈黙を破ったのは、地面にへたり込んだまま震えていたユミちゃんだった。
ユミちゃんは涙と煤でぐちゃぐちゃになった顔を上げ、私とレオン先輩を交互に見つめると、掠れた声でポツリと呟いた。
「そんなこと・・・どうでもいいよ・・・。それより・・・魔法科に行ったらダメ・・・」
「ユミちゃん・・・? 魔法科で、一体何があったの・・・?」
私が屈み込み、ユミちゃんの肩を抱きしめる。
ユミちゃんは怯えたように空を仰ぎ、この世の地獄を見てきたかのような瞳で、絶望を口にした。
「魔法科は・・・学校なんかじゃない・・・。あそこは、前世の記憶を持った女の子たちを・・・『燃料』にするための、処理場だったの・・・」
暗闇の中に、ユミちゃんの絞り出すような告白が落ちた。
世界の境界線の歪み。
消えた優秀な女子生徒たち。
そして、私の中に眠る「10歳で死んだ魔法少女」の記憶。
バラバラだった謎が、最悪の形でひとつに繋がろうとしていた。




