55話 四つの耳と、堂々たる大嘘
その日の夜。
私は久しぶりにクロに呼ばれ、彼女のベッドに横になった。いつものように首筋に牙を立てられるのかと思っていたが、今日は違った。
クロは私の頭を膝に乗せると、おもむろに小さな薬瓶を取り出した。中には淡く透き通った液体が揺れている。
「……え、クロ? それって……?」
「うん、悪党から巻き上げたポーション」
「いや、ポーションなんて金貨が何枚も飛んでいくような高級品を、この状況で何に……?」
「今からこれでブランの耳掃除をするんだけど、これを使ってみるの」
「……はい?」
私の呆け顔をよそに、クロは淡々と説明を続ける。
「猫の耳はL字に曲がってるから、奥の汚れを浮かせる液体が必要なんだよね。耳掃除専用の薬はないんだけど、どこの誰だったか……『ポーションを耳に垂らして揉むと、見えない細かい傷も治るし、信じられないくらい気持ちいい』って噂を聞いたから、試してみようと思って」
「えーと、それを私で試すってこっ、ぉっ――ひゃっ!?」
ツッコミを入れる間もなく、クロは私の猫耳の奥へと、高級なポーションを躊躇いなくドバッと大量に流し込んできた。
最初はひんやりとした液体にビクッと肩が跳ねたが、直後、ポーション特有の傷を癒やす魔力がじんわりと耳の奥に広がり、細胞が活性化するような不思議な温かさに包まれる。
「動かないで」
クロは私の耳の付け根を外側から指で挟み、クチュクチュ、と音を立てて揉み解し始めた。液体と汚れが混ざる妙な音が頭の中に響く。
普通なら不快なはずのその音が、ポーションの過剰なヒーリング効果とクロの絶妙な力加減のせいで、背筋がゾクゾクするほどの快感に変わっていく。
「……っ、あ……」(体が思わず動く……)
「うわ、きったね」
「…………」(くすぐったい……)
「……きったね」
「…………っ」(無意識に耳を閉じようとしたら、なんか指で抑えられてる感覚がある)
「んえ……」
時々、何かで耳の中を拭かれている感触だけは分かった。
結局、10分ほどの間に何度か「きったね」と小言を言われていた気がするが、ポーションを使った前代未聞の耳掃除の心地よさに抗えず、私はいつの間にか深い眠りに落ちていた。
翌朝。
目を覚ました私は、部屋の窓の外から聞こえる遠くの鳥の羽ばたきまでが、異常なほど鮮明に聞こえることに気づいた。聞こうと意識すれば拾えるのは昨日と同じだが、明らかに昨日より調子が良い。
(……というか)
人生初の『猫耳の耳掃除』を受けて、私はある重大な事実に思い至ってしまった。
私の頭には、元々あった『人間の耳』と、自分で移植した『猫耳』の両方がついている。
(ってことは、今の私、合計で耳が4つあるんだよね!?)
あまりのシュールな事実に、一人で勝手にパニックになる。普通の獣人はどうなっているのだろうか?
クロやラメを観察しようにも、二人とも私よりは髪が短いとはいえ、耳の横の毛で隠れていて見えない。今まで出会った他の獣人たちも、【なぜだか】【全員が髪を長く】【伸ばしている】ため、人間特有の耳の存在がどうなっているのか、確認できたことがなかった。
(これ、普通はどうなってるの? 私の人間の耳は最悪、切り落としちゃった方がいい……?)
だが、正解がわからない以上、変に弄るのは危険だ。私は長い白髪を下ろし、人間の耳の部分を完全に隠して誤魔化す方向性でいくことに決めた。
朝食後、私たちは計画を実行に移した。
クロにギルドの職員を家まで呼び出してもらい、私は玄関先で、職員を前に堂々と『嘘の報告』を行った。
「実は、現場近くの猫の遺棄現場を調査していた時、近くに落ちていた変な本を何となく調べてみたんです。そうしたら、突然本が燃え出して目の前が眩しくなり……視界が戻ったと思ったら、猫の耳や尻尾が私にくっ付いていたんです。信じてもらえないかもしれませんが、耳も尻尾も、完全に私自身の身体と同じ感覚で……」
エリートとしての真面目な顔を作り、正々堂々と大嘘を吐き切る。
職員は目を丸くして驚愕していたが、「呪いの本」や「遺棄現場の怪奇現象」という要素が彼らの想像力を都合よく刺激したのか、様々な勘違いをしてくれた末に「なんて痛ましい……ギルドとしても調査を続けます!」と深く同情してくれた。
これで事なきを得た。
ギルドや表の街に出向く際も、変装でコソコソする必要がなくなる。私は心の底からホッと息をついたのだった。




