4話 血と骨の暇つぶし、愚かな商人
「少し小銭を持っていそうな小さな女の子」という擬態は、私が思っていた以上に優秀な餌だった。
少しスラムを散歩するだけで面白いように悪党が釣れるため、最初の丸一ヶ月ほどは、食料にも金にも全く困らなかった。
むしろ、狩りが手早く終わりすぎるせいで、圧倒的に時間を持て余していた。
私はその有り余る暇な時間を、家でひたすら『魔法の効率化』に費やすことにした。
やり方は至ってシンプルだ。
自らの体をナイフで傷つけ、流れた血を『血魔法』で操作する。そして、傷ついた肉体をヒーラーから奪った『回復魔法』で瞬時に治癒し、また自傷する。これを延々と繰り返すだけだ。
最初は痛みもあったが、死ぬわけではないし、魔力は吸血鬼の血のおかげで無尽蔵に近い。
結果として、二週間ほどこのループを繰り返しただけで、私の回復魔法は人間であればそれだけで一生金に困らないであろう、上級から最上級の領域にまで到達してしまった。
痛覚の麻痺という『副産物』も得た。肉体が損壊したという事実は認識できるが、苦痛はほとんど感じない。
血魔法の練度も上がった。比較対象がいないので客観的な評価はできないが、今では手を使わずに、ナイフ三本程度なら空間に浮かべて自在に操作できる。まだ狙いは少し外れるが、実戦でも十分に使えるレベルだ。
私の血魔法は、自分自身の血に染まった武器を操る仕組みだ。重量のある凶器は無理だが、ナイフや剣程度なら自在に動かせる。
逆に言えば、血を綺麗に洗い流されたり、武器そのものに『回復魔法』をかけられて血を浄化されたりすると、操作権を失って使い物にならなくなる。
もっとも、吸血鬼が存在しないとされているこの世界で、宙を舞うナイフの動力源が『血』だと見抜く者などいないだろうし、敵の武器に回復魔法を撃つという発想に至る人間もまずいない。
とはいえ、弱点であることには変わりない。現に、血が流れてしまう『雨の日』はこの戦い方が著しく制限されると理解した。まあ、雨の日はそもそも狩りの後始末が面倒だし、一日や二日食事を抜いても死にはしないので、大人しく家に居ればいいだけだ。
もう一つの応用法として、あえて相手の攻撃を受けて自分の血を浴びせれば、相手の武器ごと操作して奪い取ることも理論上は可能だろう。敵が強くてどうしても回避できない時の手札として残しておく。……まあ、そもそもそんなリスクの高い正面勝負を選ぶつもりはないが。
「……こんなものか」
薄暗い家の中。私は片手に、いつかの食事の残りである『人間の骨』を持ちながら呟いた。
もう片方の手には何も持っていない。ただ視線と魔力だけで空間にナイフを浮かべ、骨の表面を削り出している。
適当に思いついた簡単な図案――クマやナイフなどの輪郭を骨に彫刻してみる。遠隔操作するナイフで、意図した通りの『線』を描くための精密な切削練習だ。ふと思いついた手慰みだったが、案外悪くない。
骨はどうしても細くて小さいので、後日、手頃な大きさの木切れを拾い帰って木彫りも試してみた。
固定するために片手で木を持ち変えながら作業するが、彫刻自体はすべて空中に浮かせたナイフだけで行っている。題材として、母と同じ狼の獣人や猫などを彫ってみる。手元に絵の資料がなく、記憶だけを頼りに造形したため出来上がったものには何やら違和感があったが、目的はあくまで精密な操作の反復なので、芸術性などどうでもいい。
時間はいくらでもあった。だが、ある日ふと気づいた。
このスラムで狩れる人間が持っている情報や知識は、どれも似たり寄ったりなのだ。マシな知識を持っている者でさえ、せいぜいあの一人目の男と同等レベル。同じ底辺で這いつくばっている連中から、これ以上有益な情報を引き出すのは不可能だと限界を悟った。
一ヶ月間、一日一人のペースで悪党を狩り続けた結果、家の近辺で活動していた分かりやすい悪党はあらかた片付いてしまったか、怯えて息を潜めているのだろう。スラムは広いからあと数ヶ月はここに留まっても食いつなぐだけなら問題ないが、確実に『次の狩場』へ移動する準備を始めるべき時期が来ている。
次の段階に進むには、表の街――普通の人間が暮らす区画へ出る必要がある。
しかし、ここにも一つ問題があった。狩った連中から得た副産物の中に、表の街を歩いても違和感がない服などあるはずがないし、何より十歳前後の子供の体格に合う服など皆無だった。
服はないが、金だけはある。
金の価値というものが最初は曖昧だったため、確信するまでに少し時間がかかったが、今の手持ちを計算すると、この街で半年から一年は難なく暮らせる程度の額が貯まっていた。
普段スラムにいないような身なりの人間や、手慣れた悪党からの『収穫』は意外なほど大きかった。逆に、食べ物の価値にすら満たない何も持っていない底辺もいるため、獲物による当たり外れの差は激しい。だが、それも数をこなせば平均化される。
服と、表の街の新しい情報。それらを手に入れるための最も効率的な手段は、『金で人を黙らせて動かす』ことだ。
目をつけたのは、一人の商人だった。
上手くやれていなさそうな細身で痩せ顔の男。彼は時々このスラムに訪れては、貧しい子供たちにこっそりと食べ物などを与えているのを知っている。
私から見れば、明らかな異常者だ。自身の利益にならない慈善活動など、いずれ必ず破綻する。だが、そういう『愚かなお人好し』は、利用しやすく、そして脅しやすい。
私は彼が一人になり、周囲の目がない場所に入るタイミングを見計らって声を掛けた。
獣の耳と尻尾、そして顔の半分を、この一ヶ月で手に入れた中では比較的マシな(それでも私には大きすぎる)フードで上手く隠し、薄暗い路地裏に立つ。
「ひっ……! な、なんだ君は……?」
「静かに。仕事の依頼」
怯える商人の胸に、私は重みのある革袋を強引に押し付けた。
中に入っているのは、平民が半年は暮らせるであろう額の金だ。
「……っ!? こ、これは……!」
「表の街を歩いても違和感のない、私サイズの服。それから、この街の正確な情報と、集められる限りの噂。三日後のこの時間帯、あの廃屋の裏に持ってきて」
先ほどまで自分が哀れんで食べ物を与えていた子供たちと同年代の少女から、前払いで大金を渡されるという異常事態に思考が追いついていないのだろう。男の目は、私と革袋を交互に見ながら完全に釘付けになっていた。
「もし逃げたり、誰かに話したりしたら、必ず殺す」
一応、脅し文句も添えておく。それと同時に、血魔法で操作したナイフを空中に滑らせ、男の首元にピタリと突きつけて『いつでも殺せる』という物理的なアピールもしておいた。
だが、そんな言葉や行動よりも、私が押し付けた暴力的なまでの『金』の影響力の方が絶大だった。彼のような貧弱な商人にとって、この大金は恐怖と同時に、絶対に手放せない命綱となる。
震える手で革袋を握りしめたまま、商人は黙って頷くしかなかった。
これで三日後には、表の街へ出る準備が整うはずだ。




