41話 破格の対価と、這い寄る噂
私は、ラメの行動を止めるべきか否か迷い、声をかける言葉を探した。けれど、最終的には「もう成り行きに任せてしまおう」と諦めることにした。少なくともラメは、私の常識が通じる相手ではないのだ。
少しの間、家の中をうろつきながら分かりやすく何かを考えていたラメは、ふと近くにいたリュエの手を取り、硬貨六枚を彼女の手のひらへと無理やり押し付けた。
「これね、昨日一日で稼いだんだけど、うっかり忘れてポケットに入れっぱなしにしてたの。これ二人にまるごとあげるから、私のお願いを聞いて?」
拒否権など一切与えない、捕食者特有の絶対的な距離感での交渉。リュエは突然手渡された大金に、ただ困惑して固まっている。
なるほど、ただ施すのではなく「仕事の対価」として金を渡したわけだ。けれど、その内容に対して、表の平民の約一〜二週間分、スラムの住人にとっては一〜二ヶ月分にも相当するこの大金が適正なのかどうか、私には全く判断がつかなかった。
傍観していると、ラメが口を開いた。
「最近スラムの周辺とかで、何か気になる噂や耳にしたことってある?」
リュエは手元の大金を見つめたまま固まり、チチはラメと目を合わせないよう少し視線を下げている。やがて、リュエがぽつりと話し始めた。
「変な噂なら、いくつかあるよ。……一つは、もう亡くなったはずの、あの有名な英雄のヒーラーの人が、本当は生きていて色んな街で大怪我や病気を治して回っているって噂がある……。他には……」
その言葉に、意味もなく私の心臓が少し跳ねた。あの有名なヒーラーの存在が、なんとなくクロの使う回復魔法と重なった気がしたからだ。いや、関係ないはずだ……。そうやって私が思考を巡らせていると、リュエが言葉に詰まったのを見計らい、今度はチチが口を開いた。
「最近は変な『異形の魔物』の騒ぎが、無くなったことだね。ホントにそうなったのか知らないけど……。あと、ホントに私の知り合いの中でしか話していないんだけどね……」
チチは少し不安そうに声を潜めながら言葉を継いだ。
「スラムの同じ場所に、『猫の獣人』の遺体が、五人もまとめて放置されていたのを見たと言っていた。耳と尻尾を切り取られたのもいたとのことだ。そもそもスラムには、猫の獣人なんて住んでいると聞いた事も見た事もないはずなんだ……たまに外からやって来る姿を見かけることはあってもね」
「ふーん……」
ラメは静かにその話を聞き終えると、少しだけ何かを考える素振りを見せた。そして、リュエに向かってにっこりと笑いかける。
「ふふ、ありがと! またどっかで来るから、その時も教えてね。もしかしたら夜かもしれないし、今日みたいに明るい時間かもしれないけど、とにかくいつか来るから! じゃあ、今日はもう帰るね!」
ラメは私をその場に置き去りにしたまま、早歩きで家の外へと走り去っていった。
「えっ!? あ、ちょっと……」
私は少し慌てたが、一呼吸置いて考えを巡らせた後、リュエたちに頭を下げた。
「ごめんなさい、なんだか慌ただしくなっちゃって。私も今日はこれで帰るね!」
家を出たものの、そこそこ時間が経過しているため当たり前だが、すでにラメの影も形もなかった。追いかける気はないが、目的地は一緒のはずだ。私は一人で溜息を吐きながら帰路につく。
歩きながら、私は心の中で、ラメについて考えていた。
(よく考えたら、一日でスラムの一、二ヶ月分の給料を手に入れていたってことだよね? ラメは昨日、私が寝ている時か、あるいは昼間の明るい時間にでも、裏で誰かを『狩って』きたの……? いや、昼寝はしていなかったから明るい時間帯に……? まぁ、あの子ならいつも通りのことか)
一方、二人が嵐のように去っていった家の中では、チチとリュエが呆然とした様子で玄関の扉を見つめていた。
リュエが我に返り、動こうとしたその時――突然手渡された大金の現実味と驚きから、両手に持っていた六枚の硬貨を、うっかり床へと落としてしまった。
チャリン、と虚しい音が響き、硬貨が床の上で静止する。
その六枚は、偶然にも、すべてが「裏」を向いて並んでいた。
けれど、今の彼らにとって、そんな不吉な偶然などどうでもよかった。リュエは慌てて地面に這いつくばり、硬貨を拾い集める。
その背中を見つめながら、チチは娘に言い聞かせるように、けれど自分自身を落ち着かせるように声を絞り出した。
「……リュエ。私たちは、自分の仕事をちゃんと、真面目にやらなきゃいけないね。……これからは、お前にも少し、仕事を手伝ってもらうことがあるかもしれない」
「うん、分かった……」
チチは、娘には決して悟られないよう、全身から溢れ出そうになる恐怖と震えを、必死に押し殺して立ち尽くしていた。




