2話 捕食と副産物、そして群れない獣
森の奥。たまに私――クロが一人になりたい時に使っていた小さな洞窟。
そこに引きずり込まれた人間の女、討伐隊四人組の一人であるヒーラーは、大した抵抗すらできなかった。
理由は簡単だ。吸血鬼としての本能がもたらす『吸血による思考の麻痺』と、狼の血がもたらす『声すら出させない圧倒的な腕力』。
首筋に牙を立てられた瞬間、女の体は強烈な快楽によって気を失いかけ、視点が定まらなくなる。布で口を押さえられているため、もう何もできない。
「おーい、どこ行ったんだ!?」
「流石に遅すぎるぞ!」
遠くから、残された三人組が慌てふためく声が聞こえてくる。数分経っても戻らない仲間に焦っているのだろうが、そんなドタバタ劇に私は微塵も興味がなかった。
私が彼女を狙ったのは、親の仇だからといった「憎しみ」からではない。
魔物を狩って食べるのもいいが、人間を襲う方が圧倒的に効率がいいからだ。人間を捕食すれば、ついでに『金』や『情報』といった旨味(副産物)が手に入る。
実は、時々親の知らないところで野良の人間を捕食していた。一人の犯行なので、始末は後からでもよかった。親に狩りを教わったことはないが、体が勝手に『いい感じ』に動けてしまうのだ。
そして今回彼女を狙った最大の理由は、その服装にあった。
家で暇つぶしに読んでいた本で薄々知っていたが、彼女が『回復魔法を使いこなす者』の装束を着ていたからだ。
「……ぁ…ぅ…。」
目の焦点が合っていない。意識は確実に曖昧だ。
ここで逃したら、回復魔法の術式を知ることも難しくなるだろう。知識だけなら本で読んだから知っているが、どうせなら実物を見て真似したほうが早い。
回復魔法というものは、傷付いている他人がいて初めて練習が成り立つ。そのため、自分のメイン属性のついでに使える程度ならともかく、本職として使いこなせる人間は希少なのだ。
だが、今の彼女に何を言っても返事は曖昧だろう。
二、三十分待っただろうか。まだ意識は薄いが、受け答えはできそうだ。
「回復魔法を教えて」
純粋な生存本能と効率のためだけに、私は吸血の快楽で彼女の精神を支配したまま問いかける。
吸血のせいで体が重いのだろう。彼女は頭だけを僅かに動かして周りを見渡し、状況を確認したようだった。
「いいですけど……教えたら、帰してくれますか?」
との返しに、私は迷わず「はい」と普段のトーンで返す。
もちろん帰すつもりはない。ただの餌だ。副産物が多い、美味しい餌。
時々洞窟の出口を見ているので、逃げられないように吸血行為を調整し、体が重く意識がはっきりしない程度に留めておく。
恍惚とした表情を浮かべる彼女から、私は回復魔法の術式と、ついでに人間の街について知っている事を徹底的に吐き出させた。
彼女は意識が少しはっきりした時に、回復魔法で自分自身を治そうとしていたようだが、無駄だった。
知識として症状を理解できていなければ治せない。回復魔法とはそういうものだ。人や生き物の構造をしっかり理解しているのが大前提であり、原因がはっきりしていない不調は治せないという常識が本には書いてあった。
吸血行為による状態異常は、彼女には治せないだろうと考えていたが、正解だった。
だが、見様見真似の回復魔法を使った私なら治せた。それが完全に理屈の根拠となった。
その後、練習として彼女から少し吸血しては恍惚状態にし、私が回復魔法で治す。それを繰り返してみたら、思ったよりすぐに回復魔法の感覚を理解できた。
意識がはっきりした時、彼女に「ねえ君……吸血鬼だったりする?」と聞かれたが、回復魔法の構造について考えていたので完全に無視した。
そして必要な情報をすべて聞き出し、練習台としての役目も終わった後――一切の躊躇いなく、残さず捕食した。
最期は意識がはっきりしていなかったので、彼女自身、自分が死ぬことすら気づいていない様子だった。
静かになった洞窟の中で、私は本日の『副産物』を整理していた。
残ったのは、血を吸い尽くされた女の死体と、いくつかの持ち物。
立派な杖や上質なローブは副産物として魅力的だったが、今の私のような十歳の子供の体格では大きすぎて扱えない。それに、こんなものを人間の街に持ち込めば確実に目立ってしまう。
これらはもしもの時のために後で回収できるよう、洞窟の奥深くに隠しておくことにした。今は金貨など、最低限の小さくて価値のあるものだけを持ち去るのが最も効率的だ。
血に濡れた硬貨を拭きながら、ふと考える。
狼は群れを作る習性がある。
だが、私には『群れる』という感覚がまったく理解できなかった。他者と共にいることのメリットが計算できない。
吸血鬼と狼のハーフのせいだろうか。だが、そもそもこの世界において、吸血鬼という存在はおとぎ話の世界にしか登場しないはずだ。吸血鬼の本能が何なのかはわからないが、多分、狼の習性とぶつかり合っているせいだろう。
死んだ両親については、残念だと思う。
『親』という言葉の概念や意味は、知識として知っている。だが、それに伴うはずの感情というものが、私には一切理解できない。
私にとって親とは、愛情を注いでくれる存在などではなく、ただ『私に生きる術を教えてくれた存在』であり、『食事や物を与えてくれた存在』というだけの認識でしかなかった。
だから、親が亡くなって悲しいとか、そういう感情はよくあるらしいが、私にはわからない。
ただ、与えてくれる存在がいなくなったから、これからは自分で狩りをして生きていくだけだ。
ふと、死ぬ前に父から吸血鬼について聞いておけばよかったと思った。
おとぎ話の中なら、蝙蝠っぽい羽があり、銀が苦手で、夜が得意で、太陽に当たると消えるらしい。だが、父は太陽に当たっても問題なかったし、見た目もただの人間だった。
そもそも父の経歴は? 吸血鬼は存在しないはずなのに、なぜハーフとして私がいるのか。わからない。
回想しながら整理した数枚の金貨をポケットにしまい、私は立ち上がった。
頭の中には先ほど奪い取ったばかりの、完璧な『回復魔法』のやり方が刻まれている。回復魔法の適性がここまであるのは予想外だった。
私はその日は事切れたヒーラーの隣で睡眠を取り、翌日、話に聞いた街へと歩き出した。




