前の世界
「ずっと憧れてたから」
レンは練習場の壁に背をつけたまま、天井を見上げた。
「なぜか昔から、別の記憶があるんだ。そっちには魔法なんてなくて、代わりに物語がたくさんあった。その中に、技を叫んで敵を倒すやつがいてさ。ずっと——あれがやりたかった」
「……ふうん」
「信じてないだろ」
「別に。嘘をつく理由がない」
驚く。もう少し突っ込まれると思っていた。だがシオンの興味は別の場所にあるらしい。
「……その記憶は、いつから」
前の世界の記憶は、全部ある。画面の向こうで指を突き出して叫ぶ少年。あの姿に、胸の奥が熱くなった。——だが、そこまでは言わない。
「物心ついた時には、もうあった。でも魔法はずっと使えなかった」
声のトーンが少しだけ落ちた。
「生活魔法って誰でも使えるだろ? 周りの子は遊びで火花飛ばしたりしてたけど、俺だけ何もできなかった。理由もわからない。ただ、できない」
「…………」
「でもノートは書いてた。畑の隅で、麦の匂いがするなかで。使えるかどうかもわかんないのに、ずっと名前を考えてた」
レンがノートのページを叩く。びっしり並んだ文字。横線が引かれたもの、白紙のまま残っているもの。
「いつか叫べる日が来るって、勝手に思ってたんだよな。学院に来たのも、鑑定だけでも受けてみたくて」
ノートが楽しかった、とレンは言う。声は軽い。目が細くなっている。語っている内容の重さに、本人だけが気づいていない。
シオンの視線がノートの上を漂い、やがて一点で止まった。指が伸びる。
「……この文字」
「ん?」
「……どの言語にもない。古代語にも近似しない」
「ああ——昔から頭にある文字で書いてるんだ。なんていうか、こう書くのがしっくり来る」
「……その文字だから、威力が出る?」
「わかんない。カッコいいからじゃない?」
シオンの口元がわずかに動いた。笑ったのかどうか、レンにはわからない。
間。
「……面白い」
シオンの目が、練習場の天井に向いている。
「あなたの才能は、理論では説明できない」
——あなた。さっきまで名前すら呼ばなかった。
レンは聞き返さない。ただ、空気が少しだけ変わったことに気づいていた。
次回「研究対象 ―シオン―」
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