剣と声
練武場の奥に踏み入ると、夕方の光が斜めに差し込んで、石床に長い影を作っていた。
壁際に他の生徒の気配はない。空気は乾いていて、足音だけがよく響く。
カイは木剣を一旦壁に立てかけ、腰の鞘から練習用の短剣を抜いた。柄を先にして、レンに差し出してくる。
「これを使え」
革巻きの柄。木製の鞘。掌に載せると、思っていたより刃の重さが手首の芯に乗った。あの時の——カイから預かった短剣とは、別の一本だ。
カイは数歩離れて、腕を組んだ。
レンが構えを取ろうとした、その動作の途中で、カイの声が低く落ちてきた。
「名前を放つな。剣に留めろ。剣と一緒に振れ」
それきり、口は閉じられた。
レンは指で柄を握りなおす。古塔で刃身に細い光が走った瞬間の感触が、掌の奥に薄く立ち上がってくる。あの夜、『初閃剣』を試して、刃をすり抜けて魔法だけが前へ飛んだ。次に『留刃剣』で、ようやく刃の腹に線香花火より細い光が一筋、走って消えた。
あの感触を、今度こそ留める。
◇
息を整えて、もう一段だけ深く構え直した。
声は出さない。ただ、剣を振る。刃が空気を裂く音が、低く落ちた。何も起きない。当然のように見える動作の内側で、レンは「叫ぶ瞬間」の重心を仮想的に置こうとしていた。声と振りを揃えるための、感覚調整。
次の振りに移る。
呼吸を入れ替える。鋭く息を吸ってから振り下ろした。剣先の軌道は綺麗に通る。だが手首から先には、何の手応えも残らない。
また、振る。
刃を振り下ろしてから、息を吐く。叫ぶ瞬間に合わせる呼吸を、声を出さずに作ってみる。吐く息の長さ、腹の押し方、肩の落ち方。ひとつずつ合わせにいく。
刃の腹は、光らずに静かに止まった。
——叫ぶ瞬間と剣を振る瞬間が、ほんの少しだけズレている。
声を出していないのに、身体だけがそれを予感していた。確信の法則は分かっている。実戦で「使う場面を先に想像する」のも身についている。だが「剣と一緒に振れ」の身体感覚だけが、最後の一寸で届かない。
カイは何も言わない。腕を組んで、ただ見ている。
レンは短剣を下ろし、息を吸い直した。
◇
声を、剣の動きの内側で鳴らす——そう決めた。
外へ放るのではなく、振り下ろしていく刃の軌道の中に、叫びを置く。同じ一拍に乗せる。
踏み込んだ。
「『斉刃剣』ッ」
声と振りが、揃った。
短剣の刃の腹に、白い線が一本、滲むようにして留まった。前方へ抜けない。空気が縦に裂け、見えない何かを切った感触が、指の関節に残る。
線は、そのままの位置で消えた。
「……これが、言霊剣」
呟きが、自分のためでも、カイのためでもない場所に落ちる。
同じ呼吸で振り直してみる。今度は声を入れない。同じ名前は、もう使えない。刃は綺麗に空を切ったが、白い線は走らなかった。息のタイミングだけを揃えて、また振る。やはり、何も乗らない。
それでも、繋がった事実だけは、指の関節に残った感触が保証している。
◇
レンが短剣を下ろす。カイが、腕組みを解いた。
「お前は、魔法と剣の両方に名前を乗せられる」
ひと呼吸の間。
「俺にはできない。お前にしかできない戦い方がある」
カイは木剣を壁から取って、先に練武場の出口へ歩き出した。背中越しに、
「次は、自分で続けろ」
とだけ落として、扉の外に消えていく。
レンは短剣を見つめたまま、しばらく動かなかった。
ノートは、開かなかった。
次回「次の舞台」
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