帰還
学院の正門をくぐった瞬間、足裏の音が変わった。
砂利の不揃いな粒立ちが消えて、磨かれた石畳の硬い反響に切り替わると、肩から力が抜けた。日常、というやつが空気の方から戻ってくる。
歩きながら、レンは頭の中で土産を仕舞いはじめた。実戦の感触。剣の手応えの遠さ。あとは教団という名前と、ノートの新しい余白。どれも輪郭が立っていて、棚の隅に置く前にひとつずつ撫でておきたい気がした。
中庭の分かれ道。隣の足音が、わずかに遅れて止まった。シオンの口元がかすかに開きかける。レンは振り返る。
「——また」
言いかけて呑み込まれた何かの代わりに、その一語だけが置かれていった。
「おう、また」
研究室か、とだけ思って手を振る。シオンの背中が並木の方へ折れていき、レンは練武場のある方角へ歩きだした。
◇
夕方の練武場。木剣の打ち下ろす音が、規則的に空気を区切っていた。
壁際に他の生徒の気配は遠く、奥ではカイが一人、素振りを続けている。レンは腰の短剣を、鞘ごと抜いた。
「これ、返す。助かった」
カイは振りの途中で木剣を止め、こちらを見ずに左手だけ伸ばす。短剣が手に渡り、また腰の革帯に音もなく差し直された。素振りが再開される。
「報告。森で大型の獣型が出た。C級じゃ通らなくて、剣で詰めた。手応えは——まだ遠かった」
うん、と相槌だけがある。
「シオンが地形ごと処理する戦い方をしてた。火、雷、氷を切り替えて。すごかった」
木剣の音が続く。
「それから、白い法衣の男が出てきた。教団の巡回者と名乗ってた」
打ち下ろす音の間隔が、わずかに伸びた。次の振りが、遅れて落ちる。木剣は中段で止まり、カイはこちらを見ない。
「……教団か」
声が低い。レンは続きを待つ。
沈黙のあと、カイは構えを直した。
「気をつけろ。それだけだ」
また素振りが戻る。木剣の打音は、もう普段の間隔だった。
レンは口を閉じる。何を聞いても返ってこないという形が、カイの背中にきっぱりと出ていた。
「次の修行、また頼む」
とだけ置いて、練武場を出た。
◇
自室の机に戻り、窓の外がもう暗くなった頃、ノートを開く。
新しい名前を走り書きで作っていくと、墨が乗ったあとに、横へ薄く一行を足すようになっていた。
「中距離・草叢・夜」「対飛行・短距離」。
使う場面の方を先に思い浮かべている。森の藪で減衰した白い斬線の感触が、ペン先の角度を勝手に決めていた。指が止まるたび、余白が埋まる。
書き終えてから、一冊目を開き直してみる。横線で塞がれた古い名前のあいだ、白く残っていた行間に、後付けの状況メモが滲んで増えていた。書いた覚えのないものまである。書いた手の方が、先に変わっていたらしい。
翌日。実技授業では、新作は使わなかった。詠唱の地味な反復だけで時間を終え、指先で構えを確かめてから、ノートには触れずに教室を出た。
◇
午後の終わり。教師室。
報告書の束が机に置かれ、教師がそれを閉じてから口を開く。
「アシュフォード。次の遠征は——少し遠い」
窓の外で、夕方の光が斜めに伸びていた。
「そして、お前だけに声をかけている」
レンは頷きながら、頭の中で次の名前を作りかけていた。遠い場所、ということは地形の幅が広がるということで、だとすれば中距離以上の名前がもう一本欲しい。
「お、新しい場所だ」
ペン先を握りたくなる指を、膝の上で軽く握り直した。
次回「二回目の遠征」
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