学院の外
学院の門が、背後に遠ざかっていく。
石畳が途切れて足裏が土を踏みはじめると、整えられた並木はいつのまにか背の高い雑木に変わっていた。葉の隙間から、木漏れ日が斜めに差し込んでくる。空気の匂いが違う——草と湿った腐葉土と、まだ名前のつかない何か。
隣にシオンがいる。門前の応酬は、歩き出してしまえば互いに忘れたふりをしていた。
前を行くのは、引率の教師と遠征隊の数名。レンの肩にはいつもの鞄、内ポケットにはノート、腰にはカイから預かった短剣が差さっている。柄の革の馴染みが、歩くたびに腰骨に触れてくるのがわかる。
——初めての外だ。
ノートの表紙を、内ポケットの布越しにそっと押さえた。B級五発、C級六発、A級一発。頭の中の台帳は、きっちり閉じている。
森林地帯の縁に入ると、引率者が片手を挙げて足を止めた。散開、と視線だけで指示が回ってくる。
レンは息を一段深く吸い込んだ。呼吸が、そのまま森の奥へ落ちていく。
◇
下草を踏む音が、こちらに近づいてくる。
藪の向こうで枝がしなり、影が膨れた。木立の合間から割り出てきたのは、肩の高さまである黒い毛並みだった。大型の獣型だ。
レンは、前に出た。
「『裂斬』」
声が、空気を刻んだ。白い斬線が斜めに走り——途中の幹に食い込んで、減衰していく。魔獣の肩に届いた時には、毛の束をいくらか裂いただけに終わった。闘技場の、直線の視界じゃない。
魔獣が跳ぶ。下草が巻き上がり、視界の下半分が欠ける。藪が、こちらと相手のあいだに立ちはだかる壁になっていた。
レンの喉の奥で、次の名前が組みかけになる。——やめよう。弾薬は有限で、森の地形は読み切れていない。
腰に、手が落ちた。カイから預かった短剣を鞘から抜くと、刃が木漏れ日を細く跳ね返した。
踏み込んで、斬りかかる。手応えが、遠かった。——これは殺す相手だ、という認識が、切っ先の軌道を半拍だけ鈍らせていた気がする。試合じゃない、勝ち負けでもない。刃の重みは思っていた場所からずれて届き、浅い毛皮の裂け目に赤が滲んで終わった。
魔獣の首が反転する。牙が、こちらの手首を狙って迫ってきた。
——間に、青白い光が滑り込む。
雷だ。魔獣の前足を、根元から打ち抜いている。獣の重心が崩れ、そのまま下草の中へ沈んだ。
レンは息を吸い直す。短剣を下ろした。
「……助かった」
シオンがこちらを見る。
「……怪我は?」
「ない」
魔獣は倒れたまま動かない。血の匂いが鼻先に落ちてくる。レンはそれを、素直に受け取った。
ノートの中で、項目が増えていくのがわかる。地形の遮断、殺す相手への向き合い方、剣の手応えの遠さ、そして並んで立つ者の価値——学院の的が、どれほど抽象だったかが、身体のほうから染み出してくるようだった。
横線は、まだ引かれていない。引かれるのは、帰ってからだ。
◇
次の茂みが揺れた時、レンは半歩引いた。
シオンが前に出る。無言のまま、杖の先が空気を薄く切った。
火が、先に草叢を舐めて視界を開いた。雷が、飛び出してきた獣の突進を正面から止め、最後に氷が頸のあたりを白く締めて動きを閉じる。火、雷、氷——三つの系統が、息をつく間もなく入れ替わっていった。
地形ごと処理する戦い方だった。
レンは、息を呑む。大魔道士、と噂として知っている言葉と、目の前の動きが、ようやく同じ重さで繋がっていた。
「……実戦は、学院と違うでしょう」
シオンが、杖を下ろしながら淡々と言う。
「ああ。勉強になった」
頭の中で、空振りと浅手が、勝手に並べ替えられていく。失敗、ではなかった。実戦でしか得られないデータで、ノートに埋める余白の形が、もう見えはじめている。
——その時、森の奥で空気が揺れた。
魔獣の気配ではない。下草の踏み方が違うし、もっと静かで、意図のある、人の気配だった。
レンの足が止まる。半拍遅れて、シオンの足も止まった。視線だけが、木立の奥の同じ一点に吸い寄せられている。
木漏れ日が、さっきより細くなっていた。
次回「聖黙の使者」
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