言霊剣の萌芽
訓練場の砂が、朝の光で白く乾いていた。
肩はまだ少しだけ重い。だが、ノートとペンが握れる程度には戻っている。レンにとっては、それで足りていた。
カイが先に来ていた。壁に背を預け、腕を組んで待っている。前髪の切り揃えられた部分はそのままで、額の包帯だけが外れていた。
「来たな」
「来たよ。貸してくれるんだよな、剣」
カイが腰の剣を鞘ごと抜いて、差し出す。レンが両手で受け取る。——重い。思っていたより、ずっと。手首の芯にいきなり負荷が乗った。鞘の革は冷たく、柄の太さは指が届くぎりぎりだった。
抜いてみる。刃が朝の光を浴びて、細く銀色を跳ね返した。
「構えは?」
「好きにしろ」
見様見真似で、右足を引く。鞘を鳴らさないように注意して、刃を肩口に担いだ。ノートは砂の上に開いて置いた。ペンも横に。——よし。
「『初閃剣』ッ」
斬撃と同時に叫んだ。
声が、腹の底から押し上がって、前に抜けていく。魔力が乗る手応え。いつものあれだ。だが——光が剣を素通りして前方へ飛んだ。的の手前の砂を小さく抉って消える。剣には、何も残らない。
静けさ。
「……乗らない」
「叫び方が違う」カイの声は短い。「名前を放つんじゃない。剣に留めるんだ」
留める。
レンはその言葉だけを拾って、ノートに走り書きした。放つ/留める。下に線を引く。視界の端で、『初閃剣』の字の横を、細く鋭い線が勝手に走っていった。紙を刃物で裂いたような線だった。——消費は、ちゃんと走ったらしい。
◇
そこから、レンは黙って剣を振りはじめた。声は出さず、名前も作らない。ただ斬撃の軌道をすこしずつ変えながら、刃の先へ意識を置き直していく。振り下ろし。横薙ぎ。突き。時々、刃の腹に、ほんの一瞬だけ何かが触れる気配があった。熱とも光とも違う。触れた、と思った次の呼吸には、もう消えている。
——腹だ。力を入れるタイミングが違う。
声を外へ押し出すときの腹筋と、何かを手の内に引き止めておくときの腹筋。ep13で試した時のメモが、頭の端で立ち上がる。あれは発声の向きの話だった。今度のは、向きを真裏にする話だ。
汗が顎から砂に落ちる。
——名が世界に刻まれる時、世界は応答する。
図書室の欄外の走り書きが、不意に浮かんだ。薄いインクで崩れた筆跡。誰かがずっと前に、本文の隣に余白で残した一文。あの時のレンには、読んでも意味の取れなかった一文だ。
刻む。
——そうか。
レンの手が、ぴたりと止まった。
放つのは、名前を世界に投げることだ。撃ち出して、世界に届ける。俺がずっとやってきたやつ。それに対して、留めるのは——名前を剣に刻むことだ。紙の上に文字を書き留めるのと同じ所作で、刃の上に書く。出力先が、違うだけ。世界に向かって投げるか、剣の上に置いておくか。
本質のところは、まったく同じだ。
呼吸が浅くなった。——確信じゃなくて、あくまで仮説。だが仮説が一本の線で繋がる瞬間の、あの静かな熱。前世の頃から何度も味わった、あの感触。
カイは何も言わない。壁に背を預けたまま、こちらを見ている。
◇
レンは息を整えて、あらためて構え直した。
視線を鞘から刃へ移した。さっきまで「飛ばす」で作っていた像を、「置く」に差し替えていく。紙の上に文字を走らせるように、刃の腹へ、そっと書き置くのだ。
——よし。
踏み込む。
「『留刃剣』ッ」
声は外に飛ばさない。歯の裏で押し出すようにして、刃の先まで引きずっていく感覚で吐いた。
斬り下ろしの軌道の上で、刃身に一瞬だけ、光が走った。
細い。線香花火の一筋よりも、さらに細い線だった。走った次の呼吸には、もうどこにも残っていなかった。確信はない。だが確かに、刃に乗って走った。
カイの目が、見開かれる。
「……今のは?」
「わかんない」
レンは自分の手の中の剣を見ていた。柄を握った掌が、まだ熱い。
「わかんないけど。何か、掴めそうだ」
砂の上に置いたノートの『留刃剣』の字の横を、細く鋭い線が勝手に走っていく。二本目だった。横線の上に、レンは何も書き足さずにいた。書き足すには、まだ早い。
訓練場の扉が、そこで開いた。
教師だった。砂を踏む足音で、二人が振り返る。
「レン」
逆光の中で、教師がまっすぐこちらへ歩いてくる。
「次の遠征任務の候補に、お前を推薦したい」
レンは剣を下ろしたまま、返事をしなかった。
手の中の柄が、まだ熱い。
次回「遠征の誘い」
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予約日付をミスしてしまったので、次回は明後日更新になります




