命名哲学の激突・前
砂を蹴った足が着地する前に、カイはもう懐へ入ってきていた。
速い。だが届く前に——レンは指先を突き出した。
「『鋼裂』!」
白い光弾が低く走る。が、カイの足は止まらない。剣が横に抜かれる。声と一緒に、刃へ光が走った。
「『ザイン』」
光弾が斜めに裂かれて、砂の上に散った。裂け口が、夏の水面みたいに光って消える。
踏み込みの勢いが、そのまま剣の軌道に乗ってきた。レンは横に跳ぶ。砂が靴の下で崩れる。
「——名前は、魔法に変えるもんだろ」
声が勝手に口から出ていた。カイの前髪の奥で、目だけがこちらを向く。
返事は剣の切り返しで来た。二の太刀。刃に乗るための息が短く吸われる。
「『ドライン』」
刃筋が空気を押して届く前に、レンは身を捻って後ろへ下がり、風圧だけが頬を打って、砂埃が目の高さで散らされた。
「……名前は、剣に乗せるもんだ」
低い声が、砂埃の向こうから届いた。
同じ声。同じ一度きり。出てくるものだけが真逆——そこまで考えて、レンの思考は途切れる。間合いが潰されていく。
◇
詰められている。
距離はもう、砂一足ぶんしかなかった。詠唱に入れば、その間に斬られる。レンの背中に、練習場で体に刻みつけた戒めが走った——静止は、死だ。動きながら撃てば威力が落ちる。だが、撃たないよりはいい。
「『貫牙』!」
腰を落として右手を突き出すと、短い詠唱に遅れて光弾がカイの膝を狙って走った。カイが半身で避け、足運びは崩れもしない。
牽制が効かない。だがカイの剣は、刃の届く弧の内側までしか伸びてこない。
——そうか。
思考の底で、何かが裏返った。こいつの言霊は、剣の先までしか届かない。だったら。
レンは砂を深く蹴って、逆に後ろへ飛んだ。距離が戻る感覚が、乱れた息とともに胸に返ってくる。足の裏にはまだ熱が残っていた。
右の掌を開いて、腰の位置で構え直した。指を広げ、手首を外へ捻る——B級の姿勢。
「『雷砕の陣』」
空気が一拍、冷える。
手のひらから青い光の帯が噴き出し、砂地を横に走って、カイの踏み込みを正面から叩いた。剣に光が乗るより先に、衝撃が斜めから入る。カイの体が半身だけ横へ流れ、足が砂を削って止まった。
距離が、開いた。
肩で息が上下し、掌の指先に痺れが残る。それでも——届く。あっちの刃より、こっちの射程のほうが長い。
◇
束の間だった。
カイがすぐに砂を蹴って、距離の有利を潰しにくる。その執念の前で、レンは掌を上に向け、喉を絞った。
「『蒼閃の渦』」
青い旋風が横へ噴き上がり、カイの進路を斜めから薙いだ。踏み込みが止まり、剣が渦を斬り抜くために引き戻される。その隙にレンはさらに後方へ体を送って、砂地の縁まで距離を取り直した。
——これで、B級は残り二発。
呼吸が浅い。足が鉛みたいに重く、B級を立て続けに吐き出した体が、酸素を欲しがっている。カイが剣を正眼に戻して、また息を整え始めた。
時間が、敵だ。
向こうは走れる。こっちは、一発ごとに呼吸が削られていく。長引けば、先に潰れるのはこちらだ。魔力じゃない。体が、先に落ちる。
レンの手が、ローブの内側に伸びた。
革表紙の手帳が、指先に触れた。角のすり切れをなぞり、めくり、まためくる。横線の引かれた名前の列が、視界の端をすべっていった。黒い刃の跡が走っている名前ばかりだ。
最後のページで、指が止まった。
白い余白の上に、二つの名前が並んでいる。漢字の輪郭が二つ。どちらもまだ、線が引かれていない。
砂を蹴る音が前から聞こえ、顔を上げた先で、カイがもう剣を構え直していた。刃が低く、重心が沈んでいる。
指先が、白い余白の上を撫で、そこで止まった。
——切るか。
◇
レンは、ゆっくり息を吸い込んだ。
次回「命名哲学の激突・後」
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