ランキング戦・幕間
歓声がまだ鼓膜の奥に居座っていた。
寮の自室には、明かりを一つしか点けていない。机の上のノートを開くと、昨日までの書きつけが薄い影を落とした。椅子を引く。レンはそこに腰を下ろし、背筋を気持ちだけ伸ばした。深く息が入ってくる場所と浅く引き返す場所があって、その境目が今日はいつもより低い位置にあった。準決勝の疲労が、まだ抜け切っていない。
ページの端に、残弾の数字を書いてみる。B級2、C級0。書いた直後、同じ場所へ細い線を引いた。確認は済んだ。数字は頭の隅に置けばいい。
ペンを、ことりと脇へ置いた。天井の板目を追い、視線を真っ直ぐに戻す。
——カッコいいと思えるほど、威力が出る。
そう掴んだのは、もう少し前のことだ。あの感覚は呼び出せば指先まで降りてきてくれるし、言葉の方も先回りするようになっている。焦りが少しずつ後ろへ下がり、静けさに似た何かが前へ出てきた。
ペン先を、新しい余白の真ん中に落とす。
漢字とひらがなの並びが頭の中で幾通りにも揺れて、そのいくつかを書き出した。『煌めく』という響き。『星』の字。『夜の底』という言い回し。候補を並べては、迷わず半分以上に線を引く。残った一つの上で指が止まり、まだ足りない、と頭の中で短く呟いた。確信が、あと半歩分だけ遠い。
肩の力を抜いて、ペン先をまた紙に落とす。
◇
翌日の昼。
図書館の北側の窓際は、陽の入りが斜めになっていて、紙の匂いが強くなる場所だ。レンは同じノートを広げた。昨夜の候補の上に、さらに字を足していく。ペンの軸を指の腹で回す。口の中だけで発声を試してみた。響きに温度が乗るかどうかは、声に出す前の段階でおよそ判別がつくようになっている。
机の端に、紙の擦れる音がひとつ落ちた。
ペンが止まる。顔を上げると、視界の隅を細い影が横切った。
四つ折りの紙片が一枚、机の端に置かれている。置いた当人は既に背を向け、書架の並びの方へ歩き出していた。薄い制服の肩の線。一つに結ばれた髪の揺れ。書架の手前で、その足が止まる。振り向かないまま、声だけがこちらに届いた。
「……あなたが自分で調べないから。仕方なく」
返事を待たずに、足音が床を鳴らして書架の奥へ消えていく。
レンは紙片に手を伸ばした。四つに折られた薄い紙を、そっと開く。几帳面な筆跡が、短い文字列で並んでいた。
——カイ。学年中位、目立たない。剣を持つ。剣に、何か纏わせているらしい。
噂、と小さな字で末尾に付け足してあった。
レンの視線が、その文字列の上を往復する。呼吸の位置が、少し浅くなった。剣、と口の中で繰り返す。魔術師なのに、剣。昨日の通路の奥に立っていた長身の影が、急に輪郭を持って紙の上にまで降りてきた。
恐怖よりも先に、ひとつの問いが腹の底に立ち上がってくる。
「剣に、何を纏わせてるんだ」
声には出さずに、指先だけが答えを探して机の木目を撫でた。背後の書架の方を視線だけで追う。もう影はない。紙片を丁寧に四つに畳み直して、ノートの見返しに挟んだ。
◇
決勝の朝が来た。
寮の机の上に、昨夜まで開きっぱなしだったノートがある。新しいページを覗き込む。いくつかの名前が、黒々と並んでいた。『煌宵の刃』、『刻星の牙』。漢字とひらがなの混ざった構えが二つ。その下に、短い二字漢字が五つ。『砕迅』『穿破』『断陣』『烈痕』『疾牙』。仕上げの甘さは自分でも自覚があって、急造の五発という言葉のほうが近いだろう。それでも並びには、確かな芯が通っていた。
レンはノートをぱたりと閉じた。革の表紙を掌でそっと押さえつけ、鞄に滑り込ませる。椅子を引き、膝を伸ばして立ち上がった。廊下に出る。早朝の空気が頬を撫でて、歓声の残響がようやく耳から退いていった。
闘技場の入口をくぐる。まだ観客席は半分しか埋まっていない。砂地の中央に向かって、レンは歩いた。足裏が砂を踏む音だけが、自分の中で妙に大きく響いている。
対戦位置まで来て、立ち止まる。
広場の向こう、通路の奥から長身の人物が歩み出てきた。
前髪が目元に落ちている。腰の左に剣が一振り。ゆっくりとした歩みが砂の縁まで来て、中央に向き直った。歩みはまだ続いていて、両者の影の先端が砂の上で届きそうなところまで間合いが詰まる。観客席のどこかが、遅れてざわめき始めた。
レンは静かに相手を見据えた。
長身の人物の右手が、腰の剣の柄にゆっくりと触れた。指が一本ずつ順番に柄を包んでいく。親指がつばの手前に添えられた。——動作そのものは、ただの抜刀前の手つきだ。戦士の所作として、どこにも奇妙なところはない。
けれど、柄の下。レンの視線が、その一点に吸い寄せられた。
歓声の波が闘技場を渡っていく中で、その手つきだけが、音の外側に置かれていた。
「お前……まさか」
次回「もう一人の言霊」
ブックマーク・感想いただけると励みになります。




