焚書の痕跡
図書室の扉は、開くたびに微かに軋む。
何日も通えば、音の癖まで覚える。右の蝶番が鳴る。左は黙っている。レンは扉を肩で押し開けて、いつもの奥の書架に向かった。
窓から差し込む光が、棚と棚の隙間に細い線を引いている。埃が光の中で舞っていた。
今日もここから。
背表紙を指でなぞりながら、一冊ずつ引き出す。目次を開き、「声」「名」「詠唱」——引っかかる単語を探す。見つけたら該当ページを開いた。
黒く塗りつぶされていた。インクで、一文字も読めないほど丁寧に潰されている。前に見つけたのは刃物で切り取る手口だった。今度はインクだ。やり方は違うが、消されているのは同じ——言霊に関する記述だけ。
棚に戻して、次の一冊を引く。目次から該当ページを開くと、そこも同じだった。
破られている。
次も同じ。該当する章そのものが丸ごとない。背表紙と表紙の間に挟まるべき厚みが、物理的に足りなかった。
——一人じゃないな、これ。
切り取り、塗りつぶし、章ごとの除去。手口がバラバラだ。一人が気まぐれでやった仕事じゃない。複数の人間が、たぶん別々の時期に、同じ目的で動いている。
組織的だ。
レンは本を戻して、息をついた。苛立ちよりも好奇心が勝っている。ここまで徹底して消すということは——消す価値があったということだ。
◇
棚の端まで来た。残りの本を機械的にチェックしていく。破壊、塗りつぶし、欠落——同じパターンが続いた。
最後の一冊を開いた時、手が止まった。
本文は無事だ。言霊の「こ」の字もない——魔法触媒に関する退屈な学術書で、検閲の対象になる内容は見当たらない。
ただ、欄外に手書きの文字があった。
薄いインクで崩れた筆跡が走っている。本文とは明らかに別の手が、余白に走り書きを残していた。
「言霊は声の力ではない。名の力である。名が世界に刻まれる時、世界は応答する」
呼吸が浅くなった。
レンは本を持ったまま、動けなかった。目が走り書きから離れない。
——名の力。
自分もそうだ。ノートの余白に、思いついたことを書く。本文の隣に走り書きする。誰かが同じことをしていた。ずっと前に、同じように余白に書き残した誰かがいて——この一文だけが、検閲の網をすり抜けた。本文ではなく落書きだったから。
◇
本を閉じた。「名が世界に刻まれる」——意味はまだ分からない。でも、言霊を使っている自分には、「名の力」という言葉が胸に刺さった。名前を叫ぶたびに世界が動く。それを知っているのは、使い手だけだ。
レンは本を棚に戻した。
誰が消した。なぜ消した。——言霊って、本当にハズレなのか?
次回「古い文献」
ブックマーク・感想いただけると励みになります。




