聖女の帰還
第三章は聖女編となります。
聖女とは、光の力であまねく生物を癒す者である。
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アレイヤの聴力がまだ回復の兆しを見せないことを他国へ移った先代の光魔力保持者に伝えたところ、直接治そうとやって来るらしい。本当ならアレイヤの意志を確認した後に王宮へ許可取りに向かうつもりだったようだが、ノルマンド邸にお見舞いに訪れたレオニールとノーマンによってあれよあれよの間に段取りが整っていった。
聖女と呼ばれるほどの人気を持たなければすぐに来られるはずだが、盛大な凱旋パレードが貴族たちの懇願によって回避できないイベントになってしまった。
王族の生誕祭以上の賑わいを見せるだろうと眉間の皺を解しながら教えてくれたのは国王自らだった。通訳はレオニールで、綺麗すぎる文字を見せつけてくるような動きには苛立ちを覚えさせられたけれど。
聖女の来訪に伴い、警備の面から王城に滞在させられているアレイヤは学園にも戻れないからと専任教師として呼び込まれていたクロードから聖女講義を受けていた。
「聖女という肩書きは公式のものではなく、教会が最初に特別な光の魔力を持った女性に向けて呼ばれたいわば一種の呼び名です。直接の名前を呼ぶのはおこがましいとかなんとか。神様を神様と呼ぶようなものとでも言いましょうか」
今では王族や王宮内の方も使用していることがあるようですがね、とクロードが魔力を流して文字を映した黒板を凝視する。
現在世界で確認されている光属性の魔力は六つ。アレイヤが覚醒するまでは五人とされていた常識が変化したことで世界各国から問い合わせが多くあったようだ。
一つの国に一人の光魔法。
アレイヤのお披露目を待つ声もあり、学園のものではない本物の社交界に出るべきなのではないか。子爵家ではなく高位の貴族家に移るべきなのではないかとの声も出ているのだとか。
そういった声はノルマンド家を始め、レオニールやゼリニカ、学園内の高位貴族の子息令嬢たちがアレイヤの耳に入らないようにしていた――とも。
騎士たちの動揺する空気を感じたものの、クロードはアレイヤのために言うべきだと判断したのだし、アレイヤもまた知っておいた方が寝泊まりする上で知らないより知っていた方が視線の意味を上手く理解できそうだった。
一通り聖女にまつわる講義を受けて、次に始まるのは当日のドレスの話。
一応登城用のドレスはあるが着てきたもの一着しかない。子爵家の財力かつアレイヤの遠慮する性格や元平民という引け目から何着も用意はしていない。ノルマンド子爵は用意したかったようだけれど。
親切心からフォールドリッジ公爵家からお下がりという名のアレイヤのサイズに合ったドレスが贈られてこようとされてしまえば太刀打ちできるはずもなく。
パーティ用のものは大切に保管されているが、やはり国王陛下の御前であり聖女と対面する場でそれは採用できない。学園の制服も相応しくないと言われてしまえば詰みとなる。
そこでもたらされた解決策というか提案が、レオニールだった。
ドレスの問題を世話をしてくれるメイドたちに相談したところ、レオニールにまで話が通されて「問題ない」との返事。頼んでもいないのに。前世での「そんな装備で大丈夫か」の投げかけもしていないのに。
その日の内に採寸のために侍女やらお針子やらが来て、レオニールがかつていた婚約者の彼女に贈ろうとして無駄になってしまったドレスがアレイヤのサイズに直された。
いいのか、そんな色々憶測を呼んでしまいそうな代物をもらっても――と冷や汗が止まらなかったが、どうやら仲良くはあったが政治的な感情以外の感情はなかったようで、用意されていたドレスも最終的には元婚約者が好みに合わせて少し様相を変えるのが定番だったらしい。
どうせ誰も見たことのないものだから、と説得されて渋々受け取ることにした。返されても困るからと言われた時には「いやさすがに」と思ったものの、現状レオニールには新たな婚約者がいない。さらに新しい婚約者ができた時に過去の女に贈る予定だったドレスなんて邪魔以外にない。
しがない養女のアレイヤは、貰えるものは貰っておこうと決めた。
そして聖女が王城に到着する日はやって来た。
今は王城の一室にクロードと護衛の騎士たちと待機している。
恐らく元婚約者の肩書きを利用して聖女とアレイヤの仲介役のような役目も持たされている。
「…………」
聞こえないから当たり前なのだけれど、静かすぎる。
大きすぎる音ならどうにか聞こえるが、ここは王城だ。王城内での騒音は万死に値しかねないので常に静かであり、アレイヤには無音と変わらない不便な生活と言えた。
静かすぎると耳が痛くなる、なんて話を聞いたことがあったが、今は常に聞こえない状態の上に未だに耳が痛みを主張するので真偽のほどは微妙である。
聖女は国内に入ってから半日かけて王城まで馬車でやって来る。半日で足りるのかと気にはなったが、アレイヤの治癒以外にも用があるとのことで、ゆっくりと国民に顔を見せている時間はないと拒否された。
どのような用があり、内容も到着してから明かされるようで、王宮内の貴族たちはそわそわと落ち着きがない。知っている人はアレイヤの耳の治癒のために来ると知られているが、もしや国に戻りたいのではないか、アレイヤと交換しないかと申し出るつもりではなどと聞こえなくても勝手にされている噂の予想は簡単だ。
そこまで疎まれる理由に心当たりなんてないのだが、王城に宿泊していると歓迎されている雰囲気と歓迎されていない雰囲気がはっきりと分かれていて居心地が悪すぎる。
クロードがいなければ逃げ出していたに違いない。
クロードがいるから王城から出られなくなったと言いたいのではない。決して。
聖女が来るまでの昨日まで、クロードの聖女講義が続いていた。誰よりも聖女――元婚約者でもある前の光属性の魔力を持った友人――のことを知る人物であると王城王宮に留まらず国内に知られている事実だからなのか、王城を歩いていても誰も咎めようとしない。さすがに夜になると研究所内にある自室に戻りはするが、朝の早い時間に訪れても顔パスで通れる。
アレイヤは逆にノルマンド家ではない部屋だからかほとんど眠れない日々が続いていた。
騎士が常に護衛に付いてくれているとは言うが、音が聞こえないと気配すら感じられないのだ。気配とはほんの些細な音や変化だと前世で見聞きした覚えがあるが、どうやら今のところ本当らしい。
常に警戒状態。食事は目の前で騎士が毒見をしてくれるからどうにか食べられてはいるが、毒見が当然という騎士団内の共通の認識が出来上がっていることによる羞恥心と、毒見を経るためどうしても冷めてしまう食事に味なんて十分に分かるはずもなかった。
何より、王城で過ごしていると手紙のやりとりができなくなってしまったことが一番の問題だった。
騎士は勤務中だからと文字による会話も禁じられているし、毎日やって来るレオニールとノーマンも公務や補佐の仕事があるので会話らしい会話もままならない。
ただ、毎日やって来る二人はアレイヤに花を一輪渡してくる。
毎日二輪ずつ増える花は、変化のないアレイヤの生活に変化をもたらしてくれる存在となっている。
ノーマンに花束を渡された時、そう言えば初めてこういった定番の贈り物をもらったなと思いメイドに話しかけられてもしばらく抱えていた。
それからだ。忙しいはずなのにわざわざ王族専用の庭園から手ずから花を選んで持ってくるようになったのは。
迷惑ではないが、二人の気持ちに気付くなという方が無理になってきた。
乙女ゲームという世界観を知っている上にアレイヤというキャラクターはヒロインだ。好かれてこそのヒロインではあるのだが、愛されヒロインなのは外見だけであり、中身はオタクの性質を持った転生者。
画面越しに攻略していっただけの傍観者にすぎない。
攻略対象者とヒロインが結ばれていく過程を眺めていただけの人間が、いざヒロインに転生して実際に恋愛可能になったと言われても解釈違いなのだ。
彼らの持つ感情とアレイヤの持つ感情は大きく違うのだ。
同じ好きではない。絶対に。
――駄目だ。聞こえないと自分の心の声との対話みたいな独り言が増える。
現在、王城内に用意されたアレイヤの部屋にはクロードも護衛の騎士もメイドも複数いるが、聖女が到着次第謁見の間へ行かなければならないからかひたすら待機状態を強いられている。
クロードは窓の外を眺め続けているし、騎士たちももしかするとアレイヤが狙われるかもしれないといつも以上に警戒態勢だし、メイドたちもそんな騎士たちの気迫に圧されそうになる度交代を言い渡されて入れ替わりが激しい。
アレイヤもクロードのように窓の外でも見て時間を潰したいのだが、危険だからと窓から離れた位置のソファに座るだけ。聖女に関する本やノルマンド邸から持ち込んだ夫人推薦の恋愛小説なんかも読んでみてはいるが、淡々と読み進めてしまった。
まさかここにきてエニータが意気揚々と用意してくれた数学の課題プリントが時間を消費する最良のアイテムになるとは思っていなかった。
それももう、王城生活の中でほとんど終わってしまったのだけれど。
すべて解き終えてしまうと次の課題が用意されそうなので手を止めている段階である。
――……駄目だ。これじゃ現実逃避と同じだ。
無意識に悶々と思考に耽ってしまっている状態を認識して溜息が長く出る。これも無意識の行動だったがために騎士やクロードの視線を奪ってしまった。
『アレイヤさん?』
はっきりと読み取れたクロードの口の動きに溜息を吐いていたことに気付く。
心配そうな顔に無意識の溜息を自覚した。
無理に取り繕ったところで得はない。アレイヤは両手を上げて降参のポーズを取った。
暇つぶしをください。
と魔力で文字を紡ごうとしたタイミングで聖女到着の報がもたらされてしまった。
+++++
謁見の間で待つこと数分。
国王陛下への挨拶も最初は緊張したが、アレイヤに同情的な空気が伝わったからか少しだけ気が楽になった。
国の最高峰の人物ではあるが、レオニールの父親だと思うと距離が近いように思える。
初めましてでもないし、直接声を聞くことはまだしばらく無理だが髪を切られた際に聞いた声はまだ覚えている。
威厳と深みのある渋くて良い声をしていた。
パッと声優の名前が出てこないけれど、多分有名な大御所声優と同じ声だった。
答え合わせもすぐに出来そうだと心の中で独り言を零していると周囲の貴族たちの興奮した雰囲気から聖女の到着が近いと分かる。
ノーマンの父でもあるドルトロッソ宰相に移動を促される。部屋の中には入れない護衛騎士に代わって側にいてくれているクロードが差し出す手に導いてもらう。頑なに国王の方へ顔を向けないような気がするが、気のせいではないだろう。クロードも聖女の元婚約者として居心地の悪い視線を向けられていた。
いや、それ以外にも国王のクロードへ向ける目には別の意味もありそうだが、アレイヤには今のところ推測に足る情報はなかった。
謁見の間に張り詰めた空気が充満する。
やがて扉は開かれ、全員の目がそちらへと向いた。
まず目に飛び込んだのは白の騎士服に身を包んだ騎士たち。扉の奥の景色が見えないほどの人数の騎士たちは背が高く、自然と視線が下がっていく。
頭一つ、二つと下げていってもまだ騎士以外の人物の頭が見えてこない。
さらに下げて騎士の身長の約半分を迎える頃にようやく一人の頭が見えた。
月のように銀色に煌めく真っ直ぐな長い髪。
陶器を思わせる白い肌と細められて微笑む二つの目。
聖女の名に相応しい白い質素なドレスに身を包んでいるようだが、どうやら立ち姿ではないようで前で組まれたらしい両手が見えなかった。
――車椅子?
アレイヤが全体図を意識した頃、ようやく謁見の間にいる貴族たちの目にもすべてが見えたのか、息を呑んだ空気の震えが伝わってきた。
銀色の髪の人は、車椅子に座っていた。
前世でよく見たような金属製のものではないが、形はほとんど似ている。
クロードから体調不良等の話は聞いていない。道中に何かあったのだろうか。
上手く言葉にできないとアレイヤは両手を握り込む。初めて会ったのに、自分と同じだと分かる奇妙な感覚。
きっと同じ魔力属性だからなのだろうと予想するのは簡単だが、他の魔力属性の人たちが溢れる世界で同じ話を聞いたことがなかった。クロードも光属性の魔力を持っているのに、感じたことがない。
車椅子に乗る人物は、知らなければ女性だと信じても無理はない。男性だと判断する部分が巧妙に隠されているのだ。
身長は車椅子に座ることで、体格はサイズに余裕がありそうな質素なドレスで、首元はドレスと同じ色のスカーフで、手も手袋で見えない。
お互いに視線を外さず、ゆっくりと近付いてくるその人。
アレイヤはクロードに背中を押されて前に出た。
『初めまして』
口の動きでそう言っているのが分かったが、すぐ後に『あ』とまだ声が聞こえない状況なのだと思い出したらしく目と口が丸くなった。
『初めまして、と言ったのですが、さすがに分かりましたか?』
クロードの持つ黒板に表示された字を見て小さく頷く。
隣に立つクロードを見上げると困ったような笑顔を浮かべていて、一気に気が緩んだ。
二人とも、アレイヤだけを見てお互いを見ないようにしていることに気付いたからだ。
元婚約者同士の再会。
だけれど連絡を取り続けていた同性の友人同士の再会。
場所が場所なだけに気まずいとは別の、会ったら笑ってしまいそうになるのを堪えるようにアレイヤへ意識を逃がしている。
久しぶりに会う友人の顔を見た瞬間に笑ってしまうのはどうしてなのだろう――ではなく。
真っ白な手袋に包まれた手がアレイヤに伸びるのを見て、手が届くようにアレイヤは両膝を付いた。
車椅子に乗っているからかやや前傾姿勢になり、両手がアレイヤの耳に添えられる。
手袋越しでも男の人の手だと分かってしまう質感。なるべく態度に出てしまわないように耳に触れる温度にだけ集中する。
心地よい体温にゆっくりと瞼が閉じていく。
目を閉じれば残る感覚は嗅覚くらいのものになるが、耳から伝わる魔力が体内に回り、じんわりと全身が温かくなっていった。
――あれ? 魔力が混ざる……。
耳から入ってきた光の魔力と、アレイヤが持つ光の魔力が混ざる感覚を感じて思い出したのは魔力量の話。
アレイヤは魔力量が多かったために国に残され、元々の魔力量が少なかったから目の前の人はクロードと婚約していた。
魔力量の少ない聖女が、
魔力量の多い魔法使いと、
結婚して生まれてくる子どもが、
聖女の血を引き魔力量の多い魔法使いに、
なることを望まれて。
そんなに上手くいくのかだとか、男同士だから結局は無理だとか、聖女の子が光属性を持つ可能性って高くないのではだとか、色々と考えながらもアレイヤは自身の魔力を体内を巡る別の光の魔力に乗せた。
アレイヤの魔力を待っていたようで、二人の魔力が混ざるとアレイヤの魔力が耳へと誘導されていく。
これが治癒魔法の使い方か、と理解できたのは、知らない内に常に頭痛状態にあったが治まったと気付いたことと、耳の奥にあった重いものが消えたから。
ザザ、とノイズのような音がしたかと思えば、急にアレイヤの世界に大量の音が戻った。
「……あ、あ」
久しぶりに聞く自分の声。――それ以上に押し寄せる情報量の音に頭が混乱する。
人間の体はいい加減に作られていて、五感すべてにおいて全部の情報から取捨選択をして人体に取り込まれる情報に限りを作っている。
目に見えるものがすべてではないし、聞こえている以外の音も本来は鳴っている。
しかし、閉ざされていた感覚が解放された今、届く範囲の情報が一気にアレイヤの耳に押し寄せる。
これ以上すべての音を拾い続けてしまったら、精神に異常を来してしまいそうだ。
ふと、耳に圧力がかかったと感じて前を見ると、いまだにアレイヤの耳に手を添えたままの目の前にいる人物と目が合った。
急に音が聞こえて混乱するのを見て、気を遣ってくれたのだろう。
多すぎる音から守るように両手に力を入れてくれていた。そのおかげで耳に入る情報量が減り、落ち着きを取り戻した。
そっと両耳から手が離された。もう大丈夫だと言葉を交わさなくても分かり合えている。
すると次にやって来るのは、護衛騎士の代わりにアレイヤの側に居てくれた人の声だった。
「アレイヤさん、聞こえますか?」
――まったくこの人は、油断も隙もないな。
いつものからかう様子は微塵もなく、ただアレイヤを心配してくれていた。
幻聴ではない、現実の声。
聞こえないと理解した時は世界の終わりが来たくらいの絶望を感じたけれど、しっかりと聞こえるようになると、なるほど自分の人生になくてはならない声だと再認識した。
これまでの不安がすべて吹き飛び、口元が緩む。同時に流れるように自分で自分の耳を手で塞いだ。急激に致死量の好きな声を浴びてしまうと、本当に命に関わるので。
言葉として聞こえることを伝えはしなかったが、クロードにはアレイヤの笑顔だけで十分に伝わった。クロードの体からも余計な力が抜けた。耳に手を当てたまま立ち上がると、車椅子の人物は国王陛下に向かってにこりと微笑む。
「これで彼女も、治癒の魔法を使えるようになりました。私の出番はもう終わりでしょう。退室の許可をいただいても?」
初めて聞く声に、前世の記憶が呼び起こされる。
女性のような高い声ではあるが、知っていれば男の人が出す女性声だと分かる。前世でも声優に興味がなければ気付けない人は多かったし、興味があっても気付かない場合もあった。
アレイヤにははっきりと男性の声に聞こえていた。
優しく聞こえているのは声量を抑えているから。ゆっくりと話しているのは、誤って地声が出ないようにしているからだろう。
しかし、周囲は誰一人として男だと思ってはいないようで「さすが聖女だ」と女性と信じ切った声が多く聞こえてくる。
「い、いや、この後は貴殿の歓迎の儀を予定していると伝えたはず……」
「辞退させていただいたはずですが?」
国王がわざわざ引き留めようとする姿もだが、簡単に拒否する聖女に周囲の貴族たちが動揺している。
「私はすでにこの国の人間ではありません。歓迎してくださるのは光栄に思いますが、今回私が来たのはアレイヤ・ノルマンド様を治療して差し上げるため。それ以外の用などありはしませんわ」
有無を言わさない圧を感じさせる微笑に「美人の圧」というものを感じた。
男女関係なく美人はいて、その微笑には力がある。魔力にも匹敵する力が。
「しかし、我が国に来訪したことやノルマンド嬢を癒してくれた労いの場を設けずに帰すなどできまい」
そう言いながら周囲にいる貴族たちに目を向けると、一様に頷く様が見えた。
「余の顔を立てると思ってどうかもてなしを受けてもらえないだろうか?」
「ふふ、こちらの言い分なんて一つも聞くつもりがないのに私にばかり押し付けるなんて、随分と大きな顔をされますこと」
耳を塞いでいるとは言ってもまったく聞こえなかった数分前とは違う。アレイヤは手をすり抜けて聞こえてくる不穏な会話に寒気がしてくる。国を出る際――クロードと婚約を結ぶタイミングだったかもしれない――にかなり険悪なやりとりがあったのだろう。
アレイヤが歓迎されない光属性だとしたら、この人は不服な歓迎をされる光属性だったに違いない。
貴族たちの中ではどうにかアレイヤを国外に出す交換条件が考えられていることだろう。
その後聖女の名を持つとは思えないやりとりを国王と交わし、クロードに車椅子を押させアレイヤを隣に付き添わせて謁見の間を後にした。
アレイヤは何が起きたのか分からないまま、王宮内の仮住まいに戻り、荷物をまとめさせられ、ノルマンド邸に戻って来た。
聖女と教師と共に。
案の定というか当然というか想像通りというか、アレイヤが帰って来たと分かった瞬間は笑顔で溢れていた使用人たちが、クロードに目を移して頭上に疑問符が浮かび、さらに視線をやや下方に向けて見えた人物に固まった。
「ただいま戻りました。おかげで耳も聞こえるようになりまして、お喋りもできます。……えーと、お父様とお母様は今どちらに?」
おかげで、に含まれた意味が視線の先にあるからか理解はしているが、脳の処理が追いついていない顔だとアレイヤは苦笑いが我慢できなかった。
示すことはできなくても道を開くことはできたようで、使用人たちが真っ直ぐ道を開いていく。
玄関扉の前まで開いた道の先に、ノルマンド子爵夫妻はいた。
終始和やかそうにノルマンド家の雰囲気に微笑んでいる後方の二人をとりあえず無視して「お父様、お母様」と歩み寄った。
手紙の交換を繰り返してすっかり義両親の存在を受け入れられたアレイヤは自然と笑顔を浮かべている。しばらく王宮に泊まり込んでいたからか、解放感も強い。
やっと帰って来られた。万全の状態で。
「おかえりなさい、アレイヤさん。無事に戻ってきてくれて嬉しいよ」
「ご心配をおかけしていましたが、この通り、完治いたしました。……あちらの聖女様のおかげで」
す、と後方が見えるように移動する。
義両親は最初の衝撃から回復しきれていないままだが、爵位は低くともノルマンド家の当主。車椅子の人を長く外に放置したままにせず、すぐにノルマンド邸の中に迎え入れた。
「それで、聖女様が王宮ではなくしばらく我が家で過ごしたいと仰っておられましてお連れいたしました。勝手をしてしまい、申し訳ありません」
「えっ」
事前に知らせる間もなく一緒に来てしまったので無理もないが、義父は車椅子の人物が聖女と呼び名を与えられるほどの超有名人であることを知らなかった。王城での反応からして、国を出る前は車椅子を使っていはいなかったようだ。
王都に来るまで光属性の魔力を持った人間の扱いや、聖女という存在について知らなかったアレイヤにはまだ認識のズレがあるらしい。
言葉を失った義父の回復は遅く、隣の夫人も魂が抜けたかのように放心していた。
下位貴族と言われる子爵家の二人には荷が重かったか。
周囲の使用人たちに目を向けて、アレイヤは義両親に代わって頼んだ。
「聖女様のお部屋の用意、お願いできますか?」
こういう時に誰に頼むのかが分からない。というか、使用人たちの序列があることすらアレイヤは知らない。夏の休暇でフォールドリッジ公爵邸に行ったり王宮で宿泊させられていたから知った貴族の在り方だ。子爵家でもそういうものはあるのだろうが、これまで誰も教えてくれなかったところを見るに、アレイヤにはまだ最低限の貴族のマナーを教える気はないようだ。そもそも光属性の魔力を持っている時点で魔力の使い方を覚える方が重要とも思える。
アレイヤのお願い――命令であると本人は気付いていない――を受けて、使用人たちは慌てながらも仕事のために動き出した。
ここでようやくノルマンド夫妻も回復する。
「聖女様。ようこそ我が屋敷へお越しくださいました。我が娘の治療、深く感謝いたします。およばずながら我が家の滞在で御礼をお返ししたく存じます」
声が震えているが、それでも一家の長の威厳を見せた義父の少し後ろで義母も淑女の礼を取る。アレイヤは思わず感動してしまった。
「突然押しかけてしまい申し訳ありません。同じ光の方にお会いするのは初めてですので、もっとお話しをしたかったのです。ついでではありますが、私たちの専属護衛としてこちらのランドシュニー卿の滞在もお願いしてよろしいかしら?」
「すぐに手配いたします」
「お手数おかけしますわ」
ほほほ、と上品に笑う口元を手で隠す聖女。本当に男なのか疑うほど綺麗な高い声をしている。
しれっとクロードも泊まることにされてアレイヤは内心で「マジか」と驚いているのだが、当のクロードも微笑んだ顔のまま固まっている。完全に予定外の発言らしい。
さすがクロードの親友。すぐに巻き込もうとする辺り悪友かもしれないけれど。
その後、聖女が案内されたのはアレイヤの部屋の隣。同性で同じ魔力属性だからという配慮なのだろうが、実際は男女が隣同士なので貴族社会としては問題である。クロードは一階にあるゲストルームに通された。
「この部屋、本当に私が使ってもよろしいの?」
車椅子でゆっくりと入り、部屋を見渡してぽつりと呟く声に案内を担当するメイドが頭を下げた。
「あまり部屋数がないのですが、ゲストルームにはランドシュニー様がお泊りになる都合上、ここしかお部屋がなく……」
「そう……。いえ、大切に使わせていただくわね」
「ご配慮、ありがとうございます」
メイドがこれ以上なく深く頭を下げ、それをずっと見ていたアレイヤは首を傾げてしまった。アレイヤは隣の部屋の存在は知っていても、考えることがなかった。
用の無い部屋に入る理由はなかったし、学園のある時期は寮で過ごしている。ノルマンド家にあまり余計な気を遣ってほしくないと自分勝手に配慮した結果だが、アレイヤの部屋の隣は特別な部屋なのかもしれない。
「この部屋は一体?」
自室の隣が空き部屋だったとしても、おかしなことではない。アレイヤの部屋はノルマンド子爵邸の二階にあり、部屋は二つだけではない。子爵の書斎や使用人待機室もある。離れてはいるが子爵夫妻の部屋も二階だ。ただの部屋を使う人間はノルマンド子爵とその夫人。そして義娘であるアレイヤだけ。
アレイヤの部屋も恐らくは元々――
「こちらのお部屋は、以前ジャイルズ様がお使いになられておりました」
「ジャイルズって」
「はい。こちらのお部屋はジャイルズ・ノルマンド様――アレイヤお嬢様のお義兄様のお部屋でした」
教えてくれたメイドが恭しく頭を下げた。
ジャイルズ・ノルマンド。
このノルマンド家の正当な後継者にして純粋なあの義両親の一人息子。
不運な事故によって命を落としたアレイヤの義兄。
まだ彼の喪失を引きずったままのノルマンド家の中で名前を口にする人はいなかった。アレイヤも情報として聞いた一度きり、長らく誰かの口から聞くことはなかった。ほぼ毎週言っていた墓参りで名前は目にしていたけれど。
「お義兄様のお部屋、てっきり私の部屋がそうだと思っていました……」
いなくなった後継者の後にやって来た平民が部屋を荒らすわけにはいかないという気持ちもあって寮暮らしを徹底していた側面もあっただけに、面食らってしまった。
マナーも知らない魔力属性が希少なだけの少女に元後継者の部屋を宛がうはずがないと今ならそう考えられるのに、当時というか今の今まで考えが至っていなかった。
「他の空き部屋は手入れが十分とは言えず、ご用意できるお部屋がこちらしか」
「私は構いません。本当にありがとう」
どこまでも上品な仕草にメイドが見惚れて反応が数秒遅れる。お茶を持ってきますと慌てた様子で部屋を出て行く時に見えた耳が赤いのは見なかったことにした。
扉が開いたままの部屋の中で聖女と二人になったアレイヤは、部屋の中を悲しそうに見つめる聖女に躊躇いながらも声をかけた。
「もしかして、義兄と面識がありますか?」
聞くしかなかった。聞くよりも前に部屋の主が分かっていたようだった。悲し気に目を細めて、必死に主の痕跡を探す視線に悲しみの感情が見えたから、余計に。
聖女は勉強机に目を向けながら答えてくれた。
「王立魔法学園で、唯一の友でした。誰も知らない、今となっては私だけの事実です」
「義兄の、お友達……?」
ノルマンド家関係者以外では初めて聞く義兄の話。
「聖女ではない私の安らぎでした」
学園内での友人でありながら誰も関係性を知らない。それは恐らく婚約者がいる身で他の異性と二人でいる場面を見られると困るから。どんなに友人と言い張ろうと誰も信じやしないゴシップである。聖女であればなおさら、言動一挙手一投足見られていたことだろう。
「……良ければ、義兄の話を聞かせていただけませんか? 私、義兄のことは絵姿とたまに使用人の人たちが話してくれるほんの少しの人となりしか知らなくて……」
正式なノルマンド子爵家嫡男であった義兄の墓参りを欠かしていないアレイヤであっても、すでに亡くなっている義兄を兄と慕っていてもいいのかどうかの迷いもあった。会ったことも話したこともない兄に独り言を言いっぱなしで困らせていないかなど、細かな部分から悩みは発生する。
「もちろんですわ。ですが、まずは私の話を聞いていただきたいのです」
「話、ですか?」
「ええ。……来たようですね」
聖女が器用に車椅子を動かして部屋の廊下へ続く扉の方に向いた。釣られてアレイヤも同じ方向へ体を向けた。
「先生?」
開いたままの扉に肩肘を付けて軽く寄りかかる状態で、クロードが立っていた。
明らかに不満を浮かべた珍しい表情で。
「クロード、入ってください。それから」
「分かっている」
溜息と共に部屋の中に入るなり、扉を閉めながらクロードは右手をさっと振った。部屋の中に魔力が満ちる感覚があった。
「防音の魔法ですよ、アレイヤさん。耳はもう大丈夫ですか?」
防音の魔法。言われてみればそれまで聞こえていた使用人たちの足音や作業音、窓の外から聞こえるはずの鳥の鳴き声や風などの環境音も聞こえてこない。外の音が聞こえないのであれば、逆もそうなのだろう。
視線を巡らせても何も見えないが魔力だけは感じる。
「まだ色々聞こえすぎる感覚はありますけど、今は……あ、先生の魔法のおかげでより楽です」
「そういう意味で張ったものではなかったのですが、まぁいいでしょう」
いつもの大人の微笑を浮かべるクロードは聖女に視線を移すとその目つきがわずかに鋭く変化する。
「クロード、どうしてそう怖い顔を向けるの? 私たち、元婚約者同士じゃない」
アレイヤを挟んで対面する年上の二人。
険悪な雰囲気を感じて部屋の端に移動しようとするアレイヤの肩をクロードが掴んだ。
そのまま引き寄せられ、アレイヤと聖女が対面する。背中にクロードの温もりを感じるがまるで壁にされている気分である。
「アレイヤさんはお前の真実を知っている。だからその気色悪い声を戻せ」
「ふふ、クロードったら随分とそのお嬢さんに入れ込んでいるみたいね。――妬けちゃうなぁ」
これまで声量を抑えた衰弱した女性の声だったものが、最後だけはっきりと男性の低い声になった。
車椅子に座っていたひ弱な女性はもうおらず、長い脚を組み、肘置きに肘を付いて背もたれに体を預ける。座っているのが車椅子なのが不思議なほど、豪奢な椅子に見えてくる。
「おや、驚かないところを見ると本当のようだね。なぁんだ、クロード教えちゃったの?」
「そんなわけないだろ。見抜いたのはアレイヤさん自身で僕が喋ったわけじゃない。それより」
掴まれた肩がさらに引き寄せられ、さすがに近すぎると身をよじって逃げようとするがそれよりも先にクロードが聖女に問いかけた。
「ノルマンド邸に乗り込んだ理由はなんだ? 僕も強引に呼び込んだということは、僕も関係させようと思っているんだろう?」
警戒するクロードの声に逃げようとしていた体が固まる。
聖女がノルマンド子爵邸――アレイヤのいるところに来たがるのは聖女が男であることをアレイヤが知っていると聖女が知っているからだと思っていた。表向きには光属性同士という理由がある上に王宮に聖女とアレイヤの交換を目論む動きがあるからと、色々と理由を考えてほぼすべて納得していた。
だが、先ほどのやりとりを見るに聖女はアレイヤが聖女が男であると知っていることを知らなかった。そうなると前提が崩れてしまう。
聖女は、なぜアレイヤのいるノルマンド子爵邸での宿泊を望んだのかが、途端に分からなくなってしまった。
分からないは怖い。
アレイヤは自分からクロードに身を預けるために半歩下がった。クロードがいれば何が起きても守ってもらえるという信頼がある。
「そんなに警戒されると傷つくなぁ、同じ光属性の魔力を持つ仲間じゃないか。なんてことはないさ、俺が無理を言ってここに来させてもらったのは君に依頼したいことがあったから。……それだけだよ」
「その依頼とは? そのために防音の魔法を使わせたんだろう?」
「さすがクロード、我が元婚約者。そうだよ。俺はね……」
聖女は――彼は、組んでいた足を入れ替えて微笑む。
「聖女の殺害を依頼しに来たんだ」
最後の部分を無理やり一話目に入れようとしたら長くなりました。
カタカナの名前考えるの不慣れすぎて投稿するギリギリまで考え込んでしまいます。




