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平民校舎花壇爆破事件 3

 会長、と珍しく嫌悪感を全開にさせて生徒会室に衝撃が走ったのをよく覚えている。

 貴族が来る? 何の嫌がらせのつもりなのだ?

 先触れ、というやつが届いた時の生徒会室の温度は酷く冷たく、すべてを燃やしかねないほど熱かった。

 何をしに来るのかと。

 今度は直々に平民を見下しに来るのかと。

 身構えるのも無理はない扱いを受けてきた。

 そういう目を、態度を、されてきた。

 同じ学園に通う同年代でありながら、平民校舎の生徒というだけで。


 ――キルシュ先輩!


 そんな風に言われることなんて、平民校舎と呼ばれている学び舎に通う平民の人間が、まさか貴族の令嬢も呼んでもらえるなんて夢想すらしたことがなかった。

 一目見て愛らしいと、このような可憐で平民相手でも分け隔てない素晴らしい女性が実在するなんて思ってもいなかった。

 貴族なんて男女関係なく平民を見下し、貴族が優先であることを当然の常識とし、蔑ろというのが平民の常識だった。

 どうせ貴族なんてプライドが高いだけの肉の塊なのだと諦観するのに時間はかからなかったし、自分の知る貴族校舎の生徒会長たちは平民なんて視界に入れてもくれない人間だった。

 今回も「どうせ貴族なんて」という気持ちで出迎えた。

 生徒会長が変わったから顔を見せに、なんて珍しい理由に一瞬だけ感心したものの、王族で弟王子だと聞けば「平民にいい顔をして支持集めしようとしている腹黒」としか思わなかった。

 思えば弟王子のレオニール殿下も変わった人だった。

 兄王子であるアルフォン殿下が貴族校舎内で失態を犯し、王位継承権の返上と生徒会長の解任をされ、会長が当時副会長だった貴族令嬢に変わっただけでも面倒なことが起きているなと思った。平民校舎にまで面倒事が回ってこなければそれでいいと興味もなかったが、やけに早すぎる生徒会長交代の報が届いた時は何が起きているのかと少しだけ気になった。

 早すぎる生徒会長の交代の重荷は、その後の生徒会長にすべてのしかかる。

 レオニール殿下の顔に浮かぶ疲労の色は、恐らくその重荷を背負っているから。

 生徒会長の責務だけでなく、きっと王子としての責務も。

 平民である自分には想像もできないような責任を、自分よりも一つ年下である彼が負っている。

 そんな彼が信用した貴族令嬢が、アレイヤ・ノルマンド子爵令嬢。

 小さな体に細い手首。太陽の光のような温かみを感じる髪は長く、輝いて見えた。

 いや、実際に輝いていた。きっとそうだ。

 表情の一つ一つから目が離せない。

 貴族の爵位の順は知っている。子爵家ならば、兄や姉がいれば家督はそちらが継いで平民の家へ嫁ぐことも考えられる。

 加えて良好な仲を見せつけられた王子殿下との婚約もあり得ないと本人自らが否定した。

 貴族への偏見はすぐに改善されるかは断言できないのに、なぜかアレイヤ・ノルマンド子爵令嬢との未来だけは夢見ずにはいられなかった。

 だというのに。


「っは、はぁ……! 申し訳ありません、申し訳ありません」


 誰にも言ったことはないが、学食の前の花壇に仲睦まじい男女が昼食の時間を共有している様子に憧れていた。生徒会役員として貴族校舎にいる生徒会長に隙を与えないように自身を律してきたが、学園を卒業すればすぐに結婚するものが多い世の中で異性に対して一線を引かざるを得なかった。

 貴族に舐められたくない。

 なのに、アレイヤ・ノルマンドという名の貴族令嬢は優しく受け入れてくれる雰囲気を出して、気さくに「先輩」と呼び、貴族と平民という絶対な差をないような態度で一貫していた。

 あたかも最初から自分の後輩だったかのような錯覚さえあった。


「もうしわけ、もうし、わ、けありませ……」


 目を開けて騎士の姿が見える度に、どうしてまだ自分が生きているのかが分からない。必死に謝罪の言葉を発するが、命乞いがしたいのではない。ただ言葉通り、謝りたいだけであって、どんなに謝っても意味がないと理解しているのに、それ以外に平民の自分ができることが見つからなくて謝り続けている。

 貴族に怪我を負わせてしまった平民は、その場で処刑されてもおかしくなかった。

 自分も、学園に入学してすぐに仲良くなった友人も、まだ生きている。


 まだ、生かされている。


 目を閉じれば瞼の裏に鮮明に映る光景に眠ることすら許されていないのだと悟る。

 浮かれる自分の目の前で起こった、鮮烈な光と爆音。すぐに目を閉じて腕で顔を庇ったおかげなのか、光による被害はなく、音による被害もしばらくの耳鳴りで済んだ――ということを運ばれた先の医務官に言われた。

 止まない耳鳴りに顔を顰めながらも光と爆音の衝撃らしき爆風に耐えながら見えたのは、地面に横たわるアレイヤ・ノルマンド子爵令嬢の体だった。

 何が起きたのかまったく分からない。

 事情を説明してくれと何度聞かれても、聞きたいのはこっちの方だった。



+++++



 アレイヤが目覚めたと知らせを受けたのは次の日の朝だったが、ノーマンはレオニールが起こされる場に居合わせた。


「……ノーマン、王城に泊まったのか?」

「ええ、宰相室から軍務大臣の秘書官助手の応援に駆り出されまして」

「……ああ、なるほど」


 少し前から休養を続けている軍務大臣のマーゲイ侯爵は他国との情勢を調整する役割を主に担っていたが、戦争を目論んでいた経緯が秘密裏に露見されたことで表向きは休養扱いになっていた。

 現在表舞台には副大臣が立っているが、彼も侯爵の駒としての役割が強かったようで、どうにか外交面での体裁は保っているが、それだけの動きしかできていなかった。

 本来であればノーマンのような学生を向かわせる場面ではないのだが、指名したのはノーマンの父親であり現在の宰相。目論見があることは明白ではあったが、国王陛下が認めているのであればレオニールが文句を言う立場にはない。


「だったら、しばらくこちらに来るのは難しいはずだが?」

「あちらでも肩書きは秘書官助手手伝いですから。学園生徒会役員というのは、こういう時に結構使える名前ですね。簡単に抜けさせていただけました」

「どうせ僕が王太子に指名されなければ離れていくつもりのくせに、よく言うね」

「王太子の側近だとかそういうのは、もう凝りています。そういうのは……一度きりで十分ですよ」


 目を細めて一見悲しそうな寂しそうな顔に見えるが、視線を向けられているとそれが忠告に似たものだと分かる。

 ノーマンはアルフォンに仕えていた時、王太子の側近として相応しい振舞いを心掛けていたと知っていた。

 王族として、次期国王と信じる相手に対しての苦言を何度も伝えている場面を見た。その努力や忠誠心は手放すには惜しい。

 惜しいとは思ったが、自分から手を差し伸べるような真似はレオニールにはできなかった。第二王子も王位を狙っていたと思われたくはなかったから。

 王族に生まれ、第二王子と自覚した頃にはもう王位は第一王子である兄が継ぐものと信じていた。そうでなければ自分よりも年上の王族の血を継ぐ誰か。だから自分は身軽でいられたし、もしものことなんて考えたくもなかった。

 それでも悲しいことに勉学が好きだった。

 知らないことを知ることに快感を覚え、多くを知ることで見える世界の情報量が増えて視界に変化をもたらす不思議に心を奪われた。


「殿下、アレイヤ嬢はすでに起床されているとのことです。早く赴けばその分時間に余裕はできるかと」

「……そうだな。すぐに着替えるから、しばし待っていてくれ」


 欠伸を嚙み殺してノーマンに返すと、毎朝お越してくれている古株の侍女が「朝食はどうなさいますか」と聞いてくる。

 ここ数日はまともに朝食を摂っていないためか食べないことを前提に聞かれているのが声音で分かってしまった。ノーマンからも小言が来るだろうかと覚悟したが、ノーマンは何も言わなかった。

 それどころかわずかに顔を逸らしている。

 レオニールは短く笑った。


「手軽に食べられるものを用意してくれ。二人分で頼むよ」


 侍女を下がらせて部屋には自身とノーマンだけになると、絨毯の敷き詰められた床に膝から崩れ落ちるノーマンを下に見た。

 侍女がいる間は毅然とした学園にいる時と大差ない態度を貫いていたが、最近はよくレオニールの前でだけ素というか本心を見せることが増えていた。

 記憶が正しければ、レオニールの方が一歳下だったはず。そして少し前までは兄であるアルフォンの側近になるべく邁進していたはず。


「……アレイヤ嬢は昨夜、クロード・ランドシュニーと一緒にいたとの報告が上がっております」


 場所が場所だけに不敬と言っても問題ないであろう四つん這いの姿勢で絞り出すような声がノーマンから聞こえた。


「医務室は魔導研究所の中にあるのだから、想定の範囲内だと思うんだけど……?」

「アレイヤ嬢の眠る部屋を護衛していた騎士によれば、彼女は卿を見た途端泣き出したとのことです」

「へ、へぇ……それで?」


 淡々と告げているように聞こえるが、悔しさとわずかな怒りが滲んでいる。

 もはやノーマンがアレイヤへの恋情を表面に出す頻度が増えたから気持ちは想像しやすくはなっている。今回もアレイヤが目覚めた際に近くにいられなかった自身に怒りを抱いているのだろう。悔しさは当然美味しいところを搔っ攫っていったクロードにだが。


「再び眠る直前まで、卿の研究室に移動されていたようです。……二人だけで」


 アレイヤのクロードに対する態度の違いはレオニールにも分かっている。

 特別扱いとは違うが、一生懸命一線を引こうとしているのに軽々しく線を越えて近付いてくるクロードに困惑するアレイヤを見かけたことがある。

 というか、アレイヤは誰に対しても一線を引いている。

 近付く距離を決めていると考えるべきなのか、手を伸ばせば届く距離にいそうなのに、手を伸ばそうとした時点で届かない距離に移動されている。


「一応研究室前に控えていた騎士によれば光の魔力で文字を描いて会話していたとのことですが」

「光の魔力で文字を?」

「アレイヤ嬢はいまだ耳が聞こえない状態のようです。それでは会話が不可能ということで卿が提案し、練習に入ったと」

「また面白いことを考えるね、ランドシュニー卿は」


 正直、失念していた。とレオニールは顔を伏せる。

 これからアレイヤに会いに行こうとしているのに、会ってすぐに声を発して事情を聞き出す想定でいた自分を恥じる。

 どんなに分かりやすく丁寧に聞き出そうとしても、聞こえていなければまるで意味がない。

 きっと耳が聞こえない事実をそこでようやく理解してショックを受けるのだ。

 ノーマンのおかげでアレイヤの前で失態を犯さずに済みそうだと、着替えを済ませて「行こうか」と項垂れたままのノーマンに声を掛けた。



+++++


 王城を出て馬車に乗り込み、学園までの道のりの半分以下の距離にある魔導研究所の塔に着くとアレイヤがいるであろう医務室への案内を護衛の騎士が務める後ろを歩いて行く。

 医務室は一階に集合していると記憶していたが、二階へと上がっていくことに疑問を覚える。だが、次の瞬間にはアレイヤが入院するにあたって男性の騎士が入るような部屋に寝かせられないと思い至った。

 部屋の前に立っている騎士がレオニールに気付くと、深く礼をした後に扉をノックして中にいるらしい誰かの返事を待つ。


「少し待て」


 聞こえた低い声は騎士団の副団長のものだ。

 しばらくして開いた扉に通されると、室内に満ちた魔力に圧倒された。


「これは……?」


 療養中だと聞いていたアレイヤの病室に広がる光の粒子に目を奪われる。

 夜空を見上げて満点の星空に圧倒された時に似た衝撃を受けたが、星空とは違って文字になっていた。

 初めて見る光景に言葉が出ない。ノーマンも同様に口を開けたまま放心しているらしい。


「レオニール王子殿下、いらしていたのですね」


 副団長の声に我に返ると、騎士たちが道を開けた。

 騎士たちの向こうに、ベッドに腰掛けるアレイヤが見えて一歩進む。誰も言葉を発さない静かな室内に靴音が響くが、アレイヤはまったくこちらを見る素振りがない。いつもならばすぐに「あ、レオニール」と声を掛けてくれるのに。


「……アレイヤは、まだ?」

「はい。聴力の回復はありません」


 誰にともなく問うと、副団長が答えてくれる。

 アレイヤは左手の人差し指を唇に当てて何か考え込んでいる。

 見た目は普段と変わりない様子に思わず声を掛けそうになって口を閉ざす。たった今まだ聞こえない状態だと聞いたばかりだ。

 一歩一歩、声を掛けられないからどうやってアレイヤに対すればいいのか考えながら近付く。


「殿下」


 声を掛けられ視線をアレイヤから離すと、クロードが頭を下げて立っていた。騎士たちの影になる場所に隠れていて見えていなかった。


「ランドシュニー卿もアレイヤに会いに?」

「いえ、どちらかと言えば……」


 ちらりとアレイヤを見て、集中している彼女の目の前で手を振った。クロードの手に顔を上げたアレイヤの顔が、レオニールを見る。


「アレイヤさんの通訳……指南役、ええと、そのような感じです」


 請け負っている役割が多いのか何なのか、曖昧な表現に留まった。

 それより、とアレイヤに意識を向ける。

 いつものピンクパールの髪は左右で二つに緩く結ばれ、頭の上に白いカチューシャでもしているのかとよく見てみれば、両方の耳を覆う包帯だった。誰の知恵なのか洒落た装飾に見えた。

 緩い緑のワンピースはどう見ても入院用のものではないが、家から持ち込まれたものだろう。これまでレオニールは制服姿のアレイヤか、丁寧に着飾られたアレイヤしか見たことがなかったからか、気楽な様相の姿に得も言われぬ感情に戸惑う。

 心なしかレオニールを見る目も初めて見るあどけなさが感じられた。

 これまでも怪我を負ったアレイヤと会ったことはあるが、これほどまでに無防備なアレイヤは初めてだった。

 声を掛けようにも聞こえないと報告を受けているために声を掛けられない。どうやって言葉を届ければいいのだったかと今更に悩んでしまう。

 周囲には光魔法で描かれた謎の文字。すぐに聞こえないなら目で読んでもらえばいいのかと理解した。

 紙とペンを誰かに出してもらわなければ、と最初にノーマンへと振り返る。

 意図を理解したノーマンが懐から書くものを取り出そうとするよりも早く、レオニールとノーマンの間に光の線が走った。


『こんなことになって申し訳ありません』


 宙に浮く光の文字に気圧されて、さらにそれがアレイヤの文字だと気付けばさらに言葉を失う。

 謝るべきはアレイヤではないし、宙に浮く光の文字が気になって集中できない。


『医務官の方によると、いつ耳が聞こえるようになるのか分からないと言われました。明日から学園が再開されますが、しばらく休むことになりそうです』


 戸惑うレオニールをよそに文字が続いていく。

 そう言えば今日で夏の長期休暇が終わるのだったかと改めて日付の感覚が甦る。休みだと公務が詰め込まれるからなのか時間の感覚も麻痺することがあるために分からなくなっていた。


「学園とか、どうでもいいだろう?」

「殿下……」

『どうでもよくない』


 目を伏せたがその先に見える位置で文字が流れる。聞こえないはずのアレイヤからの反論に顔を上げた。

 もしかして聞こえるようになったのかと期待するが、アレイヤの目が口元に向いているのに気付いて唇の動きから言っている内容を察したらしい。悲観的にならずにこういった技術も見せつけてくるのだから、アレイヤ・ノルマンドという少女はそこいらの貴族令嬢とは一線を画す。


『平民校舎からの書類のサインもそうだし、生徒会役員の選定もこれからだから』

「現実を思い出させないでくれないか?」


 思わず笑ってしまったが、口の動きが小さかったからかアレイヤはクロードとノーマンに助けを求めるような目を向けた。クロードの方が動きが早く、ベッド上に置かれていた小さな黒板にチョークでレオニールの言ったことを書いてアレイヤに見せていた。

 紙とペンでのやりとりを考えていたが、そういうやり方もあるのかと感心する目の前で、書かれた文字にアレイヤが笑う。

 声の聞こえない笑い方に、足から力が抜けた。


「殿下⁉」

「レオニール王子殿下、いかがされましたか⁉」


 ノーマンや副団長を始めとした面々の焦る声が聞こえる。その中にアレイヤの声はない。

 オロオロと戸惑うアレイヤの姿に、縋るように両手を握る。


「……すまない。守れなくて、本当にすまない」


 守ろうとしていた。守れていると思っていた。だが、守った気になっていただけにすぎなかった。

 護衛に付いていた騎士も巻き込まれた。それでは守っているとは到底言えない。


「僕は、なんて至らない王子なんだ。友人の一人も――女の子一人も守れないなんて情けない」


 現在の国王夫妻の子は二人だけ。今となっては正当な王位継承権はレオニールだけかもしれないが、王位継承権を得る立場の人間ならば数人いる。だからレオニールはまだ王位継承権がある王族という立場に納まっており、立太子されていない。

 カリカリと音が聞こえるのでクロードがアレイヤに伝えていると分かる。その上で俯いて続きを吐露した。


「アレイヤ、僕と婚約してくれないだろうか。そうすればすべてにおいて君を守ってやれる。学園も行かなくていい。王宮で最高級の教師を手配しよう。魔術研究所への出入りも許可するし、その一員になることも推薦してやれる。だから……」


 口から出る限りの言葉を流し続ける最中に肩を叩かれる。

 邪魔をするなと言うために顔を上げると、小さな黒板に「殿下が求婚してる」と書かれた文字が最初に視界に入り、続いてアレイヤの心底嫌そうな顔が飛び込んだ。

 いつにも増して表情から感情が流れ込んでくる。逃げ先を探して肩を叩いたのは誰なのかといまだに肩に置かれた手の先を辿ってみれば、ノーマンだった。


「えっと……」


 年下ではあるが王族だからと常に敬う扱いをしてくれていたノーマンの顔から感情が抜けていた。背筋もどこか冷えてくる感覚に「やらかした」とすぐに理解した。

 ノーマンだけでなくアレイヤに好意を寄せている騎士に対しても発破をかける側で居続けたレオニールが堂々と求婚したのだ。例えアレイヤの身を守るためだとしても、人前で王族が求婚をした。どう見ても軽く扱われる問題ではなかった。


「いや……その、だから」


 王族という立場を理解していないわけがない。重々理解しているに決まっている。それでも唯一対等と見た友人の小さく見える姿に立場を利用しようと早まったとしても無理はないだろうと周囲に逆に理解を求めたくなる。

 それが本人の嫌がるものだとしても、彼女が何度理不尽に痛めつけられれば気が済むのかと怒りを覚えても仕方ないだろうと訴えたい。

 我が国の現在光属性の魔力保持者なのだと。

 各国に一人しか許されない特別な存在なのだと。

 どうして誰も認めないのかと。


「僕は……私は……」


 一人称が定まっていなかったことにも気が付かなかった。

 嫌そうな顔のままのアレイヤが一つ息を吐いた。そして、光る文字が並ぶ。


『犯人が分かるかもしれない。手伝って』


 その文字は、アレイヤの声がした気がした。



+++++



 療養中の部屋からレオニールとノーマン、護衛任務中の騎士以外が出て行ったあと、アレイヤはベッドに倒れた。

 自分の身に起きたことを騎士団の副団長から教えてもらい、考え得る可能性を光魔法を使って文字に起こして部屋中に並べ、調べてもらいたいことをまとめて疲れたのだ。

 耳が聞こえないということは、自分の発する声も聞こえないということ。前世の知識により、そういう場合は言葉にならない声になり、音量もままならないと知っていた。だからこそ声を発しないように気を付けてもいたために余計な疲労を得てしまっている。


『少し休みますか?』


 薄く開けたままの目に飛び込む黒板に書かれた文字。正直休みたい気持ちもあるが、調査を終えた面々が戻った後にしなければならないことがある。そのためには寝ている場合ではなかった。

 クロードの提案に首を横に振ったが、一度目を閉じて脳を休める。

 休みたくはないが、疲れているのも本当だ。

 これからの行動は、話だけ聞いているとかなり辛い状況らしいが、今のアレイヤならば問題はない。いや、アレイヤに問題はないだけで場は問題だらけなのだろう。最終的な結果はアレイヤの与り知らぬところではあるが、最悪なことにならないように祈るしかない。

 ゆっくりと目を開ける。このままでは本当に眠ってしまいそうだ。


「…………」


 クロードの顔が、目の前にあった。


「…………?」


 天井を背景にしてクロードから覗き込まれる理由が分からず首を傾げると、微笑んだ顔が同じように首を傾げた。

 一定の距離を保ったままじっと顔を見られている。

 顔色でも悪く見られているのだろうか。だとすれば微笑んでいるのはおかしく見える。

 クロードの行動を推測しようとしたところできっと答えは教えてくれない。

 推測したところで、答え合わせのための声もまだ聞こえない。


 どうせ、聞こえない。


『大丈夫です。聞こえるようになります』


 涙で滲みそうになる視界の中、クロードの口がそう動き、自然と脳内に声が流れた。

 弱っている時に優しいことを言うのはよくない、という文句と、簡単に脳内再生された声に前世のどこかで聞いたことがあった気がすると回顧する自身に涙が止まる。

 何度か瞬きを繰り返す内にクロードが視界から消えた。



+++++



 指示を出してしまえば後は待つだけ。その間に生徒会長の決裁印待ちの書類を捌いていくが、その手は遅い。

 レオニールは王城内の私室に持ち帰った平民校舎生徒会の書類の上に額を打ち付けた。


『アレイヤのことになると熱くなりすぎだ』


 ノーマンへ向けた言葉が自身に跳ね返る。そのダメージは今額に集中していると言っても間違いではない。

 聴覚が奪われ、うかつに声を出せなくなったアレイヤを見て耐えられなかった。

 これまで何度被害者になっても自分の足で立ち、犯人を見つけてきた彼女には盾がない。身を守る術が周囲に溢れているのに利用しようとせず、かと言って身を守れているわけでもなく、後ろ盾さえ弱い状況でもなお、助けを求めないアレイヤに最初こそ興味を持ったものの、ここまでくるといっそ苛立ちさえ覚える。

 それにしたって求婚はやりすぎたとは思うが。

 レオニールはまだ王太子ではない。筆頭候補であることは間違いないが、継承権はレオニールの他にも存在している。だから、レオニールの婚約者に一時的にでもなったとしても守り切れる保証はなかった。

 レオニールは本心からアレイヤを妃にしようとは考えていないのも本当で、一番仲の良い友人で居続けられればそれでよかった。

 アレイヤが誰を選んで結婚しようとも、生まれた子どもを見せに会いに来てくれた方が嬉しいと思える。もっと欲を出すならアレイヤの選んだ相手がレオニールとも友人関係を築いてくれるような人間であればもっと嬉しい。

 王族は孤独だ。

 利害関係の上でしか友情が成立しない立場だ。

 アルフォンが王太子の頃であれば少しだけ対等の友人を望めそうな貴族令息もいたが、アルフォンが失態を犯した後に目の色が変わったところを見て醒めてしまった。

 アレイヤだけが、レオニールに対して唯一同等に接してくれる稀有な人間だった。

 彼女もまた光属性の魔力を持ったこの国にただ一人だけの特別な存在だから同等なのではない。

 出会いは特別な人間同士だからこそだったが、その先の距離感はきっと、自分たちだったから築けたものだ。

 レオニールはすでにアレイヤを信用している。

 なのに、アレイヤはまだレオニールを信用してくれていない。その事実に傷ついていた。


「はぁ……。もう嫌だ」

「嫌だと申されましても、時間は戻せませんが?」


 宰相補佐室とレオニールの執務室の往復を何度も繰り返しているノーマンの声に棘を感じても言い返せない。

 アレイヤへの気持ちを本人以外には知られているというのにまったく行動に移さないノーマンの態度は許さなくても構わない類のものだ。それでも黙ってしまうのはやはりアレイヤの「子爵令嬢」という肩書き。

 ドルトロッソ家は現在の当主を宰相にする高位の貴族。レオニールほどではなくても爵位の差を気にする人は無視できない。

 どんなに特別な光属性とは言っても、属性が希少なだけで爵位を無視するほどではないのが現実だった。

 国を束ねる上層部からしてアレイヤの扱いが二分されていることが問題なのだが、なぜか国王は動かない。どんなにアレイヤを認めない貴族が多くても、すでに以前いた光属性の女性を他国へ渡した後なのだから認めるも認めないもないはずなのに。


「聖女、か……」


 アレイヤの前の光属性の魔力を持った女性も、爵位はあったが低いものだった。しかし多くの貴族や平民の傷や病を癒したことから『聖女』の称号が非公式ながらに与えられて確固たる地位があった。

 聖女はどの国にも存在しない称号だ。強いて言うなら教会や修道院から広まった崇めるべき相手への称号。

 魔法は万能だが傷を癒したりするなどは神の御業とされ、光魔法にのみ許された奇跡である。

 魔力の少なさからすべての国民に施されはしなかったが、もしもアレイヤという膨大な魔力を持つ人間が治癒魔法を会得したなら、誰もが聖女と呼ぶに違いない。

 アレイヤが癒しの魔法を使えたら、すでに耳も聞こえているだろうに。

 執務室の扉をノックする音が聞こえて、二人は視線を扉に向ける。

 許可を与えて姿を見せたのはよく知った顔の赤髪の騎士。


「失礼します。レオニール王子殿下、準備が整いました」


 深く頭を下げたギルベルトの赤くて長い髪が肩から前に落ちる。

 頭を上げた際、一瞬だけ悔しさや苛立ちの表情が隠しきれていなかったことをレオニールもノーマンも見逃さなかった。

 執務用の椅子から立ち上がったレオニールは言った。


「分かった。じゃあ……アレイヤを狙った犯人とその方法を――教えてもらいに行こうか」



次回解決編です。まだ原稿は白紙ですが…。


日間のカテゴリランキングに入ったりしたようです。ありがとうございます。

誤字報告とか絵文字のリアクションとかとても嬉しいです。いつもありがとうございます!


生活スタイルというか睡眠スタイルが寝不足必至になっていてどうにか寝る隙間を探してはいるんですが、いかんせん入眠が悪く眠りも浅いのでなかなか上手くいきません。

いつか自分の現状を元に現代ミステリ書いてみたいもんです。

眠すぎるし忙しすぎるしで書く時間も頭も回ってないのに願望だけは常にあります。

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