平民校舎花壇爆破事件 2
貴族校舎生徒会室に一報が届いた時、レオニールは少し前に聞こえた爆発音がどこからなのかをまだ休暇中のために護衛として側にいる騎士に調べるように命令しようとしたところだった。
「今、なんと言った?」
「アレイヤ・ノルマンド子爵令嬢が平民校舎にて爆風に巻き込まれ重傷とのことです! 現在王宮内の医務室に運ばれ治療中とのことです」
「ノーマン・ドルトロッソに連絡は?」
「すでに向かわれているとのことです」
報告しに来た護衛とは別の騎士が敬礼している最中に立ち上がり、医務室へ向かうために生徒会室を後にする。すぐに騎士も後ろを付いてきて、外に待機していた別の騎士へ伝達がされる。レオニールは何も言うことなく歩くだけで騎士たちの護衛が配置される。
言わなくても目的地は分かり切っている。
アレイヤが運ばれた部屋以外にないのだから。
+++++
そうでなくても騒がしい医務室が目の前というところで、怒声が聞こえて足が止まった。
「どうしてアレイヤ様がこのような目に遭うんだ⁉ お前たちがいながら、どうしてっ⁉」
初めて聞く悲しい怒声にレオニールは何事かと乗り込もうとする騎士たちを制する。
レオニール自ら扉を開けると、頭を深く下げる騎士たちと肩を震わせるノーマンの後ろ姿が見えた。
ノーマンが声を荒げていなければ自分がそうしていただろうという自覚があるだけに、冷静にもなれたしノーマンを止める気にもなれない。
騎士がいたにも関わらず医務室に運び込まれる結果になったのだから騎士にはノーマンの叱責を受けてもらいつつ、アレイヤはどこにいるのかと探す。
「…………」
部屋の中にベッドは複数あるが、人が寝ていると分かるのは一つしかなかった。
悲鳴のような怒鳴り声を上げ続けるノーマンに医務官の一人が「あの」と近寄る。
「病人がおられるので、どうかお静かにしていただけると……」
「これで目を覚ましていただけるのなら構わない! だが、まだ一度も目を覚ましていただけていない! 意識がまだ戻らないではないか!」
珍しいなんて程度ではない。初めて見る焦燥具合。
まだアレイヤは目を覚ましていないらしいと分かり、ノーマンを止めるべく医務室に足を踏み入れた。
「そこまでにしておいてくれないか。状況を確認したいんだが」
声をかけて初めてレオニールが来ていると気付いたノーマンが肩を跳ねさせて驚く。ゆっくりと振り向いたかと思えば、落ち着きを取り戻したノーマンの顔に戻っていた。
「アレイヤのことになると熱くなりすぎだ」
「……申し訳ありません」
つい先ほどまで怒声を出していたとは思えないほど声も体も小さくして、医務官にも軽く頭を下げて謝罪した。
ベッドは一つだけが使われているのかと思ったが、どうやら壁際に二人横たわっている人物がいた。
ちらりと横目に見ただけだが両方とも騎士だ。恐らくアレイヤを守ろうとしたか、近くにいて巻き込まれたかのどちらかだろう。
「それで、何があったんだ? アレイヤの容態は?」
誰が事情を把握しているのかと全員に目を向ける。途中でアレイヤのベッドを何度も見てしまうのは仕方ない。
説明をするのは医務室の扉前で待機していた騎士の一人。
事件当時、現場に居合わせていたアレイヤの護衛をしていたという騎士は、自身が見た限りの詳細を語った。
前日に平民校舎生徒会の二人に次の日に学食の見学を用意する旨を伝えたために今日のアレイヤ来訪が叶ったことから始まり、昼食前に学食へ移動して厨房を見渡して目を輝かせていたこと、料理人たちから味見やレシピの相談などの会話が弾んだことも簡潔に話した後、一呼吸置いた。
「それから外に出られ昼食をと昨日と同じ花壇の端にお座りになったところで、強い光と爆音が起こり、ノルマンド様の体が衝撃により飛ばされました」
「光と爆音……?」
「被害は護衛の私を含め護衛の任務に就いていた騎士が爆音と衝撃により一時的な視力聴力の低下と擦過傷等の軽傷。ならびに同行していた学生二名も中軽傷を負い、現在別室で治療を受けております。しかしノルマンド様だけは爆発点に近かったからか……」
騎士としての情けない結果に言葉が消えていくのを無視して、目を閉じて眠っているらしいアレイヤの近くへと移動する。
細かな擦り傷が多いようだが大きな怪我はない様子に安堵したが、それでも目覚めていない事実に不安が募る。
「強い光もあったと言ったが、それはアレイヤの魔法か?」
「現在調査中です」
騎士への問いかけに調査の結果を待つしかないと判断したレオニールは、アレイヤへ伸びそうになる自身の手に力を込めて自制した。
「……アレイヤは、いつ目覚める?」
すぐ側でノーマンが大きな声を張り続けても目覚めないというのであれば、何か理由があるはずだと医務官に目だけを向けると、医務官は戸惑いながらも「実は」と口を開いた。
「運び込まれた際、耳からの出血が見られました」
「耳から出血?」
「恐らく騎士様方の言う、爆音の衝撃でしょう。確認しましたが、耳の中に異物が混入したということはありませんでした」
「それほどまでの爆音がなぜ平民校舎で……?」
貴族校舎の生徒会室にまで届いた轟音がそれだとしても、そもそもなぜ学園内でそういった事件が起きるのか。
なぜ。どうして。狙いは。事故なのか、事件なのか。
――まさか、アレイヤを狙って?
すべてが不可解な状況にレオニールが黙り込んでしまう。誰よりも身分が高いレオニールが一言も発さなくなると誰もが口を閉ざす。ノーマンもそれまでの熱が完全に冷めたらしく、今はただ目を閉じたままのアレイヤを見つめている。
「失礼します。上の階の部屋を整えたのでアレイヤ様をお運びしようと思うのですが……で、殿下⁉ いつこちらに⁉」
コンコンと素早いノックの後、返事も待たずに現れたのは大きな丸眼鏡に緑の髪を持つ医務官見習いのシリルだった。
「やあ、シリル嬢。つい今しがた、連絡を受けてね。アレイヤを別の部屋に移動するのかな?」
「あ、はい。アレイヤ様は貴族のご令嬢でいらっしゃいますし、男性患者のいる部屋にいつまでも一緒にというのは……」
「確かにそうだね。ノーマン、我々は一度出ようか。ウィリアム副会長たちの様子も気になる」
アレイヤが目覚めない以上、一連の詳細を聞ける別の誰かの元へ行くべきだ。医務官は中軽傷だと言っていた。すでに目が覚めていて、話を聞ける状態にあるかもしれない。
「分かりました。お供いたします」
完全に普段通りに戻ったノーマンを連れ、レオニールはウィリアムとソレイルが治療を受けている部屋へと移動した。そこではアレイヤが目を覚まさないことと同程度、もしくはそれ以上の混乱が待ち受けていた。
こちらです、と案内を務めてくれた騎士がレオニールのために扉を開くよりも先に、悲鳴のような叫び声が聞こえた。
少し前にはノーマンの怒号が扉越しに聞こえたものだが、それほど今回の件は誰かが叫ばずにはいられないものなのか。
躊躇う騎士にレオニールが許可を出し、扉が開く。
叫び声を上げていたのはウィリアムとソレイル、両方だった。
二人とも涙を目に浮かべ、ウィリアムは痛みを堪えるような叫び声を、ソレイルは力の限りの叫び声を上げている。
一体何が起きているのかと聞きたいが、この部屋にいたままでは叫び声にかき消されてしまうだろう。レオニールはすぐに扉を閉じてもらった。
「何があったんだ、一体?」
レオニールに分かることは、生徒会業務の一環で平民校舎に二日連続で赴いたアレイヤが、謎の光と爆音による攻撃を受けたこと。それに伴い付近にいた護衛の騎士やアレイヤと行動を共にしていた平民校舎の生徒会役員二名も巻き込まれたことだけ。
それ以外に得られる情報は今のところ、何もないに等しい。
+++++
魔術研究所の区域となる場所の一室を医務室に貸し出されアレイヤ専用の部屋とされたが、意識を失っていたアレイヤ自身にはどこで寝かされているかなど知るわけがない。
ゆっくりと目を開けたその先に見えた知らない天井に、「あ、知らない天井だ」とぼんやり脳内で呟いた。
やけに静かだと思ったが、室内には自分一人だけだからなのかと納得しつつ周囲を見渡す。
平民校舎の学食を見学(ずっと視察だと言われていたけれど気持ちは見学)させてもらって、目の前で作られる貴族には出せないと言う素朴な料理の味見もさせてもらって、機会があれば何かふるまいたいと言われて「また来ちゃいますよ?」なんて軽口を言えばウィリアムが「ぜひ!」と前傾姿勢になるのをソレイルが驚いて見ていたりして、楽しい時間だった。
前日同様花壇に腰掛けて昼食を、となって学食から外に出て騎士が用意した敷物の上に座った瞬間――
――思い出したっ!
ベッドから文字通り飛び起きたアレイヤは、ぐわんと大きな眩暈と耳の痛みからすぐに枕に頭を沈める。
気を失う前に受けた強い光と爆音。全身を細かな何かで襲われたが、そちらは大した傷ではなかったようで、腕にも顔にも少しばかりの擦り傷がある程度。
攻撃されたのか、事故なのか。
狙いがあったとしたら、アレイヤなのか別の誰かなのか。
「…………」
それにしてもやけに静かだ。
時間は深夜かと窓を探してもカーテンが邪魔で外の色が分からない。
もう一度起き上がろうにも眩暈を恐れて躊躇いが生まれる。耳の痛みもまだ続いていることもあってか知らない天井を見上げる以外にしようと思えることがない。
知らない天井とは言うが、推測するなら簡単だ。
怪我をした自分が運ばれた先なんて医療関係の部屋以外に考えられない。高位貴族なら自宅で医師を呼んだりするのだろうが、何に巻き込まれたのか不明の子爵家令嬢ならどこかの医務室に運ばれてもおかしくはない。
つまり、現在はどこかの医務室に寝かされていると推測する。
ではどこの医務室だろうと目を閉じて溜息を吐きだして違和感に気付いた。
やけに静かだとは思っていたが、あまりにも静かすぎる。
溜息を吐いた時により強く思った。
医務室だとすれば静かな環境であると納得もするが、溜息の声すら聞こえないのはおかしくはないだろうか。
違和感に気付いてから、嫌な予感が鼓動を早めてならない。
耳の痛みがある時点で察していなかったと言えば嘘になる。けれどそれは、想像でき得る範囲のものだと思っていた。
「 」
間違いなく声を発したはずなのに、まったく聞こえない。
まさか、そんな。
脳が理解を拒否しているのに確認せずにはいられず、両手の拳を寝ているベッドに打ち付けた。
衝撃によって耳に痛みが走るが、音は聞こえなかった。
治るものなのか、治るならどれくらいで聞こえるようになるのか。多少の難聴であれば後遺症になっても構わないけれど、この先一生、何も聞こえなかったと思うと呼吸が上手くできなくなる。上手くできない呼吸の音さえも聞こえず悪循環に陥っていくのが分かる。
不安に全身を呑まれそうになる。
絶望が見えないのにすぐ近くまで迫っていそうに感じる。
誰もいない、たった一人だけにされている部屋にいることが恐ろしい。
眩暈があろうが耳に痛みが走ろうが構わず無理矢理起き上がる。点滴の類があれば悩んだかもしれないが、幸いにして繋がれているものはなかった。
実際にベッドから降りて立ってみれば、物音が聞こえない以外は案外普通だった――と感じたのは扉を開けようとする直前まで。
扉を開けて、もしも知らない誰かがいたらどうしよう。反対に、誰もいなかったらどうしよう。医務室だと推測したが、実はまったく別の、本当に知らない場所だったらどうしよう。
一斉に襲い掛かる不安に扉を開けようとする手が震える。
開けてみなければ何も分からないだろうが、と弱腰な自身の心を叱咤して勢いのままに扉を開けた。
ゆっくりと。
ほんのり外の様子を窺える程度の隙間を覗けば、知らない人ではあったが見慣れた騎士服を着た男性二人の背中が見えて一瞬で張り詰めていた緊張が緩んだ。その際に吐いた息が二人に聞こえたのだろう、騎士が二人同時に振り向いた。
知らないと思っていたがどうやら会ったことのある騎士のようで、より安心感が生まれる。
「 」
「 」
何かを言ってくれているのはいいが、一切聞こえずにじわじわと涙が出そうになる。これまでどんなに恐ろしい目に遭っても涙は出なかったというのに。
膝から崩れ落ちてしまうアレイヤに慌てて寄り添ってくれるけれど、聴覚が無くなった事実に力が入らなくなってしまった。
不安と恐怖が思い出したように背中に触れてくる。
それでも絶望したくないと顔を上げると、大きく目を見開いて足元には大量の本を散らばらせたクロードがいた。
「 」
せんせい、と、アレイヤの口は動いた。
「アレイヤさんっ!」
クロードの声が、はっきりと聞こえた。
思わず両耳に手を当てる。聞こえなくなっていたのは一時的なもので、そろそろ聞こえるようになってきた頃合いで、最初にクロードの声が聞こえたのは偶然で――
「 」
聞こえていたと思ったのは、気のせいだった。
何か喋っていると分かる口の動きをしているのに、理解できなかった。
聞こえない現実と、聞こえた虚実。
聞こえたと思ったのは、クロードの声は前世から記憶していたことによるただの脳内再生。
オタクであるが故の、不必要な才能。
何を言っているのかが分かれば脳内で勝手に音声が流れる特殊な技能と言えるだろう。画面越しだとか紙面越しではないのだから本当に必要ではないのだけれど。
読唇術が使えたら、きっと脳内再生の音声で補われて話がしやすい可能性もあるが、自分の声が聞こえないと上手く話せないことに変わりはない。
――ああ、こんなに声が聞こえないって怖いことなんだ。
前世で好きになって、生まれ変わった先で画面越しではない距離で聞いていた声がもう聞けないのかもしれないと考えただけで、目の端から涙がこぼれた。
堪えようともしなかった涙を隠すようにクロードの両腕がアレイヤに伸びる。
背中に回された手が軽く叩くのを感じ、立てるかどうかを尋ねられていると分かる。先導するような動きに合わせて立ち上がると、アレイヤの顔を隠したままクロードが騎士に何かを告げて歩き始めた。
変わらず顔を隠されてはいるが、不思議と足元に不安はない。何より、これまでにない距離の近さに驚いて涙が止まっているせいもあった。
階段の上り下りはなく、同じフロアの一室に到着するとようやくアレイヤの視界が解放された。
扉が開き、真っ暗な室内に足を踏み入れる。
一度入ったことのあるクロードの研究室だと分かったのは、廊下からわずかに入る明かりでも分かるほど室内がほとんど何もない状態だからだろう。クロードは部屋に入ってすぐに右手を前に掲げたかと思えば魔力を放出した。
放出された魔力は部屋の壁に掛けられた小さな箱へと向かった。ほのかに箱が光ると、部屋中に光の粒が広がった。
フォールドリッジ公爵家の別邸で行われた肝試しの時にレオニールが使用した光魔法を込めた魔法道具だ。
幻想的でありながら照明に似た役割を果たしている魔法道具は耳が聞こえなくなっている現在を束の間忘れさせた。
クロードに促されるまま腰を下ろしたのはソファではなく床だったが、毛足の長いカーペットが敷かれていたために硬さや冷たさなどは感じない。前世の感覚がまだ残るアレイヤにとっては懐かしいとも言える感覚に躊躇いはなかった。
なんとなく膝を抱えて座っているが、クロードはどこかに何かを取りに行っていて一人にされている。戻ってきたクロードが持っていたのは、小型の黒板。
見せられてから「その手があった」と膝を叩きかけて、さすがにはしたないと自重する。
耳が聞こえないことで会話が不可能であるなら、筆談をすればいいだけだ。そのことに今さら気付いてどれほど余裕がなかったのかと反省してしまう。
これまで耳が聞こえていた事実と、前世のスマートフォンなどの電子端末が日常だった世界ではないことで失念していた。
早速泣いてしまったことに対する謝罪と、移動した理由を書いて尋ねようとしたが、ペンの類がなかった。これでは黒板に何も書けないし意思疎通が身振りに戻ってしまう。手話に似た概念はあったと本で読んだが、まったく覚えていない。前世の手話も挨拶くらいしか知らないし、知っていたとしても多分伝わらない。
これでは会話もままならない、と未だ立ったままのクロードを見上げると、柔らかく笑ってアレイヤのすぐ後ろ――背後から抱きかかえられる形で座った。
前世の恋愛が主体の少女漫画でよく見た格好に、耳が聞こえないのに自身の鼓動がうるさい。
耳元でわずかな風を感じると、緊張で身体を固くするアレイヤに笑ったクロードの吐息だと分かる。
声が聞こえない、というか恐らく一言も発してはいないだろうにとてつもなく声が聞こえている気がする。脳内で自動的に流れるものだともう分かっているが、同じ声帯を持つ生身の人間が実在しているだけに錯覚を起こしてしまう。
もう一度耳に息を吹きかけられたと思えば、両側から回された腕の先に構えた小型の黒板がほのかに光った。
黒板に文字が浮かんでいく。
『この黒板は魔力を流して言葉を文字にします』
最初に現れた文字は黒板の使い方。次に光属性の魔力のみに反応する特殊な物質であることと、文字を光魔法で紡いでいるだけであることが綴られる。使い方を指南されてから使ってみるように黒板を渡され、恐る恐る魔力を流す。
『耳が聞こえません』
なるほど。魔力で文字を書くようにすればいいのか。とアレイヤはクロードが一瞬だけ呼吸を止めたことにも気付かずに文字を連ねていく。
『先生はどうしてここに? 今って夜ですよね?』
上手く文字化されたことが嬉しくて続けて書いてしまったが、クロードが返事を書く気配がない。
振り返って様子を確かめようと首を動かそうとして、クロードの肩口に顔が埋まった。
想定以上の距離の近さだったことに顔が熱くなる。光魔法の照明が薄暗くて助かったと首の位置を戻す。耳に笑ったような息がかかったが気にしない振りを決めた。
黒板に淡く光の線が走る。
『アレイヤさんが怪我を負ったと聞いて、様子を見に来ていました』
文字だけなのに脳内に声が聞こえる。
『あなたの涙を見て、思わず連れ込んでしまいました』
ただの文字なのに、と思うのにクロードの声が脳内で響いている。
『耳はまったく聞こえないのですか?』『痛みは?』『何か不安なことなどは?』『医務官見習いのシリルさんによると、耳は聞こえるようになるそうですよ』『ただ、治るまでどのくらいかかるかははっきり分からないそうです』
連続で文字が現れる様は前世のメッセージアプリを想起させる。黒板いっぱいに文字が並ぶと、古いものから順に消えていくのはカラオケにも似ている。そう考えると楽しめそうであるはずなのに、脳内の音声再生が止まらなくて顔の熱が全く引いてくれない。
聞こえないのに聞こえる。
喜んでいいのかどうか分からないが、恐らく脳内再生されるのはクロードの声だけだと思うと恥ずかしい。
声が好きなだけなのに。この世界を乙女ゲームとして楽しんでいた前世の、丁度今くらいの年齢の頃に好きになった声。
声が好きなだけで、それ以外は何もないと思っているのに。
『アレイヤさん?』
転生した身に残った前世の推しの残骸を集めて慈しむだけで満足していたのに、文字を追って脳内再生される音声は前世の残骸ではなく、今世で得た新規ボイスだろう。
クロードの声を担当した男性声優ではない、クロード・ランドシュニーの声だ。
アレイヤは、黒板に魔力を流す。
『先生の声だけ聞こえました』
困らせてしまうだろうかと気にしながら文字にする。返事は早かった。
『もしかして、耳はすでに聞こえている?』
アレイヤは文字にせずに首を横に振って否定した。
『では、どういうことでしょう?』
続く質問にアレイヤは躊躇いながらも答えた。
『先生の言っていることが分かると、勝手に聞こえているような気がするんです』
脳内再生のことや、文字だけでも聞こえる気がしているとは言えずに返事を待つ。
返事が来るより先に聞こえたと思ったら勘違いで、まったく音が聞こえない状態であると理解してさっきの涙がこぼれたと書いていく。
背中に触れるクロードの体が小刻みに震えた。
まさか聞こえていないアレイヤを憐れんで泣いてしまったのかと焦った次の瞬間、頭にポンと手を乗せられた。
『本当に僕の声が好きなんですね?』
絶対からかわれている。アレイヤは以前試験中にされたご褒美のような嫌がらせを思い出した。その時のクロードは楽しくて仕方ないといった顔をしていた。振り返れば同じ顔をしているに違いない。
アレイヤはあえて振り向かずに『そうですよ』と返した。
文字だけのやりとりは、普段の会話では言わないことを流してしまう。前世のネット社会に溢れた世界でもよく見られた。
燃やす必要のない内容を激しく炎上させて盛り上がっているのを何度見たことか。
前世のアレイヤにとってネットとは、推しの活動を追いかけるツールとしての活用がほとんどだったので、傍観する側だったけれど。
『生まれる前からずっと、本当にずっと、その声が好きです』
書かずにはいられなかった。
『聞こえないのに聞こえたように感じるだけなのは、悲しいです』
自分の中に残る記憶の欠片のような過去の音声を流すだけなのは、虚しい。いつだってファンは、新規ボイスをまだかまだかと待って、突然の供給に狂喜乱舞したいのだ。
どうしてその仕事を受けたんだ……? と思うようなボイスも聞きたかった。
さすがに前世の後悔でしかないので書きはしないけれど、アレイヤは胸の内に広がる寂しさを抱えた膝に額を付けて耐える。
生まれ変わってアレイヤとしての時間を十年以上過ごしているというのに、まだ前世にしがみついているようで情けなくなる。
丸めた背中に温もりが当たる。
黒板に新しいメッセージが書き込まれ、消されてもアレイヤは気付かない。
耳が聞こえない状態では、クロードの呟きも聞こえない。
「好きなのは声だけかって……学生じゃないんだから」
+++++
王城内にあるレオニールの執務室に、ノーマン・ドルトロッソは厳しい表情で現れた。
「どうだった?」
期待を含んでいない問いに、ノーマンが首を横に振る。
「駄目です。落ち着いた様子を見計らってはいるのですが、声を掛けるとまた……」
発狂してしまいます。とは言えずに語尾を濁す。
ノーマンは事件発生時にアレイヤと一緒にいたウィリアムとソレイルから話を聞こうと医務室にいたのだが、まったく会話にならなかった。
医務官によればすでに視力の回復も聴覚も問題ないと診断されている。少しなら会話も可能であると言われたから事情を聞こうと騎士団の副団長と共に努めて穏やかな表情を意識していたにも関わらず、医務官に部屋から出るように促されるほどに発狂された。
「ただ……」
叫ばれて事情聴取どころではなかったが、内容に変化があったとノーマンが言う。
「副会長のウィリアムですが、謝罪をずっと叫んでいました」
「謝罪?」
「ええ。申し訳ありません、と何度も」
ノーマンの話を聞いてレオニールは口元に手を当てて考え込む。発狂と聞いたから意味のない言葉を発したものだと想像したが、謝罪となると意味が生まれる。
ウィリアムは平民校舎に通う学生だ。裕福な商家の子も極少数ではあるが通える貴族校舎とは違い、全員が漏れなく平民。
一緒に行動していた貴族令嬢が大怪我を負う事態になったとなれば当然、罰を受けることを想像する。
本人のみの刑罰であれば小さい方だが、親類すべての処刑もあり得てしまうのが貴族と平民の扱いの差である。
アレイヤは子爵家の令嬢だが親類を巻き込むほどの罰を望みはしないとは思うが、学園の退学は免れないだろう。
ウィリアムの謝罪は、これに起因していると考えて間違いない。
ソレイルも同じ理由だとは思うがどうなのだろう。
何にせよ、きちんと事情聴取を果たさない限りはどうにもならない。
アレイヤからも話を聞かなければ、とまだ目が覚めた報告を受けていない友人の様子が気になった。
現場を調査した騎士たちの報告によると、アレイヤは花壇に仕掛けられていた爆発物に巻き込まれたらしい。
どういった形状の爆発物なのかの特定はまだ判明していないものの、花壇に本来存在しない鉱石の欠片などが見つかっている。
火薬の香りも残っていることから、爆発物の内容物であると報告が上がっていた。
報告書を受け取ってすぐ、レオニールの執務机の上には鉱石と爆発の関係性を調べる本が山積みになっていて、ノーマンが来る前までに半数にざっと目を通し終えたところだった。
平民校舎で起きた爆発事件に、二つの校舎の生徒会長でもあるレオニールは頭を抱えたくなった。
貴族校舎の生徒会役員の選別も終わっていないというのに、平民校舎の生徒会役員の入れ替えなんてしていられない。
「……事故なのか事件なのか。とにかく爆発物の詳細からか」
長い溜息を吐いたレオニールは、侍女に淹れさせたまま冷めてしまった紅茶を一気に飲み干すとまだ目を通していない本を手に取った。
耳が聞こえないとアレイヤ視点にしにくいなと何度書き直したか分かりません。
爆発物の正体は分かる方には分かるものだと思います。
問題はどう物語の世界観に合う説明にしたものかという……




