08 思わぬ再会
日向の家は西京市の市街地にある。
月読神社から、バイクで三十分ほど進んだ所だ。
ただし、それは道路状況が正常な場合で――震災の打撃はゼロでなく、道路は割れていたりして、回り道が多かった。
一時間かけて辿り着いた市街地は、多くの建物が残っている。
地元の人たちが協力して、倒れた電柱を撤去しようとしたり、立ち往生した車を避けたりしている。
そんな工事の音や、焼けた跡の燃えかすの匂いが、妙に感覚の中に残った。
犬や猫が普段よりも街に多く見られるが、人々はそれらに笑顔を取り戻している。
「大丈夫そうですね。日月神示とやらが発動したとは言え、世界は終わりませんよ」
旭の後ろに乗り、日向は復興する人々を見て、目を輝かせてそう言った。
これまでの人生でどこかの誰かが工事をしていても、眉をひそめて待機していたのに。
今はそんな様子すら、尊いものだと感じられる。
「今は最初の段階だ。これから来るであろう、二回目が厄介かと」
「二回目って……また津波が?」
「方法は分からない。地は揺れ、水は荒れ、風は打ち付け、火は降り注ぐ。日本だけでなく、世界的にな」
「身内の方の目的は、世界の破壊なんですか?」
日向と旭は、互いのことをほとんど何も知らない。
そんな関係で聞いてもいいものか悩んだが、日向はあえて後ろから覗き込むように問いかけた。
「あの子にとっては、破壊でなく再建だ。日月神示は、終末ではなく再建の預言だからな」
あの子、旭は言う。
いつも抑揚のない声が、分かりやすいくらい穏やかだった。
(弟か、妹、甥や姪……あるいは、恋人とかなのかな)
日向はその背中を見つめた。
あまりに優しい声色が、まだ耳に残るかのようだ。
「今の世界を壊し、建て直したいんですかね。罪のない人を殺す理由は……?」
「だから分からない。殺すなら腐敗させている者たちだけにして欲しかった」
「そうですよね……」
旭は冷静でいようとしているが、その人物のこととなると少しだけ声に感情が乗る。
日向はそれを後ろから聞いていて、拳を握った。
これまでの人生で、他人にそこまで関心を持つのは初めてだ。
静寂が流れる中、エンジン音が近付いてくる。
「ねぇねぇ、何の話をしてるの?」
別のバイクに乗って追走しているヤハンが、後ろから話しかけてきたのだ。
ヘルメットもつけていないし、運転しながら乾パンを貪っている。
二人の会話はエンジン音で聞こえていなかったのか、相変わらずニコニコ笑っていた。
「もうすぐ私の家って話です!」
あしらうように日向は振り向き、大きな声で叫ぶ。
彼は何を考えているのか分からないから、旭の感情にヤハンを触れさせたくなかったのだ。
「日向、家はあれか?」
進んでいくうちにアパートの姿が見えてきて、旭は前を向いて確認した。
日向に話を合わせるようにして、話題をさらりと変えたのだ。
「はい。思ったより壊れてなさそうですね」
日向の住んでいた二階建てのメゾネットタイプのアパートは、比較的新しい。
変わらぬ姿でその場所に建っており、日向は力を抜いた。
(なんだ、大丈夫じゃん)
日月神示という預言の再現だと言われても、いよいよ実感が湧かなくなる。
「この辺りは守られている。守るところと、そうじゃないところを選別しているんだろう」
「それは、ツクヨミの意思ですか?」
「どうだろうな。執行者とツクヨミ、どちらが主導権を握っているのかはよく分からない。ただ言えるのは……間違いなく、思想が反映されているということだ」
旭は道路を横断する猫や、歩道の辺りでたくさん走り回る子どもたちを見て、言葉を濁した。
現状、彼にも断言はできない。
市街地の道路はいつも車が行き交っているが、今は乗り捨てられた車で溢れている。
人々は徒歩や二輪車などで移動していて、静かなようで賑わっていた。
日向のアパートの敷地に着き、バイクを止める。
ほぼ無事な建物の中に、住民たちが身を寄せているようだ。
そこにも猫の親子がいて、バイクから降りるなり、ヤハンの足下に駆け付けていった。
「日月神示を執行したのって、誰なんだい?」
ヤハンは日月神示が始まったことは観測しているが、誰が実行したかまでは知らない。
猫たちを抱き上げ、肩や頭に乗せると、ニコニコ笑いながらそう言っていた。
「元八咫烏だ。俺と同じく、今は追われている身だな」
旭もそれ以上の情報は出さなかった。
彼は他国のエージェントだ。
今は一時的な共闘関係であり、国家の機密にあたることは話せない。
「でも、優しい人なんだろうね。こうして、小さな命が無事だってことはさ」
どこからか犬たちまで現れて、ヤハンのもとに集まってくる。
大きな手でわしゃわしゃと撫でると、ますます動物たちは彼に纏わりついていった。
「偶然、ここにたくさんいるだけじゃないんですか? 津波が来た地域では、無事でないに決まってます……」
日向も猫を見ると癒やされる。
足元に擦り寄ってくる猫は可愛くて、ついしゃがんで撫でてしまうほどに。
そんな猫たちが流されたのかもと、猫寺にいた時に考えたことを思い出した。
「選別しているんだろう? 何かの巡り合わせで、こうして逃げてきたのかも知れないよ」
「犬猫たちだけが、ですか? だとしても、本当に首都圏が壊滅的なら、これから食糧供給とかは止まるのに……」
「たぶん、それでも人と共に生きられるように仕組んでるんじゃないかな」
よじ登ってくる犬や猫たちを拒絶しないからか、ヤハンはもふもふの装甲を纏う武将のようだった。
笑いながら人を殺すような男なのに、動物を可愛がる姿は普通の人間だ。
そのギャップに、日向は頭がおかしくなりそうだった。
「考えても分かりません。とにかく、二人ともそこで待っててください。何か持ってきますから」
日向は二人を置いて、家の鍵を取り出して中に入る。
自宅に寄ったのは、ある程度の備蓄を揃えていたからだ。
仕事用のバッグは置いて、リュックに差し替える。
それから旅に役立ちそうなものを選んで中に入れ、服も動きやすいジャージに着替えた。
本当ならこれからシンシアに会いに行くから、オシャレをして行きたいが――その後も旭と共に行動することになりそうだ。
推しに会うまでの旅路の予定だったのに、今はそれ以降のことも考え始めていた。
(わぁ、風呂キャン界隈みたいで嫌だな……髪洗いたい……)
汗拭きシートは何パックか買い置きがあったから、それも使いつつカバンに詰める。
ここ数日はそれを使っていたが、既になくなりそうなくらい消費していたのだ。
それから家に置いていた飲み物を取り、再び外に出ようとする。
「旭くんは彼女いないの?」
扉の前で、ヤハンが軽い口調でそんなことを聞いていた。
デリカシーのなさは相変わらずだと、日向は顔を歪ませる。
それでもなぜだか、その無礼さも許されてしまうような雰囲気すらある。
そこで出て行けばよかったのだが、日向は少し気になってドアの隙間に耳を傾けた。
「いないが」
声は揺らぐこともなく、旭は即答だ。
(ふーん。あんならイケメンなのに、彼女いないんだ。八咫烏にいたからなのかな)
意外なことを聞いて、日向は一人で目を丸める。
「過去にいたことは?」
「ない」
「へぇ……日向ちゃんは、きっと彼氏いるよね」
「……そうなのか?」
ヤハンの変な質問にも、律儀に返していた旭だが――日向の話題になると、ぴくりと眉を寄せていた。
「ちょっと、いませんからね! いたこともないし、いりません!」
日向は自分のことを言われているのを聞いて、慌てて飛び出していく。
彼氏なんていないし、いたこともない。
他人を大事に思ったことなんてなく、これからの人生でも不要だと思ってきたくらいなのだ。
「ごめんごめん、聞いてたの? てか、着替えてるね!」
日向が髪を逆立てるのも笑って躱し、ヤハンは茶化すように言う。
「たまたま聞こえただけです。さ、行きますよ」
半ばスルーして目をそらし、日向は旭の背中を押した。
バイクに乗ろうとした時、後ろから声をかけられる。
「日向さん?」
遠い昔、聞いたような声。
振り向くと、初老の女性が立っていた。
眼鏡をかけていて少し小太りで、穏やかそうな人だ。
一瞬だけ声が出せなくなり、唇を噛みしめる。
「花田先生……どうしてここに?」
それは児童養護施設の職員だった。
靴はボロボロで、一瞬誰だか分からなかったのは、化粧をしていないからだ。
「生きててよかった……施設を出た子たちが無事か心配でね。一人ずつ確認してたの……」
涙ぐんだ花田は、静かに言った。
「そんな、私なんかを心配してたんですか?」
誰にも大事にされていないと思い込んでいたから、日向は困惑して視線をそらしてしまう。
「もちろんよ。大事な生徒だからね」
花田は笑って、そっと手を握った。
「ありがとうございます……」
日向は頭を下げ、礼を言う。
自分も大変だろうに、ここまで足を運んでくれたのを実感して。
(私、自分のことしか考えてなかった……でも、大切にしてくれた人も、確かにいたんだ……)
施設の職員は忙しいし、一人だけに集中することはできない。
大人になって考えたら分かることだ。
それでも親のいない日向は、誰かの愛情を独占したかったのかも知れないり。
叶わなかったことを、ずっと子どものように憂いていて、現実を見ようとしなかった。
「花田先生、会えて嬉しいです」
間違いだったと知り、目の奥が熱くなってくる。
奥歯を噛み締めて抑え、笑顔を返した。
「頑張りましょうね。人間は強いのよ、これで終わりはしないわ」
「はい!」
そんな会話を交わし、花田はちらりと旭を見る。
ヤハンはいつの間にかフェードアウトしており、自転車置き場の物陰から他人のように眺めていた。
「日向さんを、お願いしますね」
何を勘違いしたのか、花田は旭に笑いかける。
「はい、お任せください」
彼はただ、護衛として信任されたのだとばかり考え、頷いていた。
それから少しだけ、日向と花田は昔のことを話す。
彼女はまた次の教え子を探しに行くと言って、自転車に乗って旅立った。
(私、友達がいなかったから……友達ができたって思われたのかな。花田先生、安心してくれたかな)
日向はぼんやりと、花田の姿が見えなくなるまで目で追った。
まさか、旭のことを彼氏だと思われていたとは――ひとつも想像していなかったのだが。
そんなことよりも、今は暖かい気持ちに浸る。
昔からの屈折した気持ちは、皮肉にもこの終末によって解かれていっているのを感じた。
「うぅ、感動の再会だったみたいだね……」
そんな雰囲気をぶち壊すように、ヤハンが嘘泣きしながら合流してくる。
「はいはい。行きましょうか」
あしらい方を覚えた日向はまた受け流し、手を叩く。
今度こそ出発を促した。
(こいつ、きっとサイコパスなのよ。まぁ、シンシアちゃんへの愛は認めるけど)
残虐性なところはともかく、雑に扱ってもヤハンは日向を殺そうとはしない。
そんな、奇妙な関係だった。
「よかったな、日向。花田先生に会えて」
反面、旭は不器用だし表情も乏しいが、声に僅かな感情が乗っている。
(旭さんは安心できる。友達になれたらいいな……)
まだ友とすら呼べる関係でもない二人。
ただ一つ言えるのは、そんな彼の言葉で日向は笑顔が戻っていた。
「えぇ、本当に。きっと、旭さんのお陰です。ありがとうございます」
満面の笑みで彼を見上げる日向。
それが太陽のように眩しく感じたのは、旭だけだった。
つい目を見開いた彼は目をそらし、謂れのない感情に蓋をする。
「いや、気にしなくていい……先を急ごう」
くるりと背を向けた彼は、ぎこちない動きでバイクに跨った。
◆◆◆
西京市と宇倍市を繋ぐ自動車専用道路が最も効率的だが、震災の衝撃でそこも崩壊していた。
仕方なく迂回ルートとして、市街地から宇倍市方面に向かう別のバイパスを通る。
途中の高台に行くまでは進めていたが――それから低いところに降りていくにつれ、車がひしゃげた状態で何台も留まっていた。
車体の上には魚や海のものが乗っかったまま、干からびている。
日向は不安になったが、車内に人間の姿は見えなかった。
(瀬戸内海なのに、ここまで津波が来たなんて。でも、ここで皆逃げたんだよね)
青ざめながらも自分に言い聞かせた日向は、無意識に旭の服の裾を掴む。
「見なくていい。顔を伏せておくんだ。ここからは……地理的にも、特に酷いだろうから」
言葉を選びながらも、旭はぽつりと忠告した。
先程の考えを、やんわりと否定するかのように。
次第に大きなバイパスは変形した車ばかりで通れなくなり、二台のバイクは下の道に降りてまた迂回していく。
坂を下っていく中――激しい異臭が鼻を刺した。
「うっ……何これ」
思わず声に出してしまうほどの不快感。
呼吸をするほどに気持ち悪くなりそうな匂いがして、日向はひどく噎せる。
目は涙目になり、それでも続く匂いに吐き気すら催していた。
「わー、思ったよりすごいね」
バイクが進んで行く中で、無言になる旭とは対象的に、ヤハンが軽い口調でそう言った。
(見なくていいって、家が倒壊してるからかな。でも、モリヤさんは普通そうな反応してる……)
悩みながらも、好奇心が勝つ。
目を閉じていたが、恐る恐る開いた。
そこは海岸沿いの低地。
虫の声が聞こえないと思ったが、それは木々が薙ぎ倒されたからだ。
津波が押し寄せた跡がくっきりと残っていて、辺りに海藻や土砂が散乱している。
家々は崩れていて、地面にびっしりと何かが横たわっていた。
バイクはそれらを避けながら通っていく。
「えっ……」
最初はそれが何なのか、日向は認識できなかったのだ。




