07 腐敗した組織
旭が飛び出そうとした時――ヤハンは自身の首に突きつけられた刃を、その両手で握った。
「モリヤ殿、やめろ!」
思わず声を張り上げる旭をよそに、ヤハンの手は血まみれになっている。
「バカな異邦人め。そんなことをしても、怪我をするだけ……」
八咫烏たちも余裕そうに俯瞰していたが、金属が軋むような音が響いた。
刀を突き付けた男は、真っ先にその異変に気付いてヤハンを見た。
途端、刀にヒビが入る。
ヤハンは微笑みながらも冷たい目で、刀を握りしめたのだった。
鈍い音と共に、バラバラと鉄の破片が散る。
(何、あれ……)
上段からその目を見ていた日向は、ただただ体がすくむ。
旭が異能を使っても、八咫烏たちが刀を振り回しても、こんな大災害が起こっても――どこか他人行儀だったのに。
ヤハンの冷たい目だけは、妙に目の奥に残ってしまった。
それには駆け付けた旭も息を呑み、切っ先が少し震える。
「あれぇ? ごめんごめん、壊しちゃったみたい」
手が血塗れになっているが、ヤハンはへらへら笑ったままだ。
旭はすかさず八咫烏たちを一人で相手にし、刀を折られた男を峰打ちで倒す。
(今のは偶然か? 元から手入れが悪かった刀が、力の入れ方で砕けた……?)
思考が追いつかない旭だが、今は八咫烏を倒すのが先決だ。
「ヤハン殿、離れたところで待っていてくれ」
どちらにしろ、ヤハンは一般人だ。
今は治療を後回しにし、戦場から逸らすのを優先する。
しかし、彼はまた八咫烏に囲まれていた。
「旭くん、ニンジャたちが日向ちゃんのとこに行ってるよ〜」
ヤハンは緊張感もなく、石段の上を見上げる。
別の八咫烏を相手にしている間に、数人が日向を狙いに行ったのだ。
「っ……!」
どうすべきか悩みながらも、旭は日向を優先した。
後ろから男たちを殴り倒し、気絶させる。
すると彼らは持っていた刀を落とし、石段の下まで転がっていった。
「大丈夫か?」
何とか日向を守った旭は、震える彼女を見る。
「私は平気です。それより……」
日向はずっと見下ろしていた。
旭ではなく、素人であるはずのヤハンの方を。
旭も振り向くと、彼は落ちた刀を拾っていた。
「へぇ、切れ味は良さそうだね」
刀で自分の指を切りながら、ヤハンは声を上げて笑う。
血が流れ、肘に伝っていった。
日向や旭も、八咫烏の面々ですらも、その様子に足が止まってしまう。
「この化物……!」
八咫烏の中の一人が、震える声で叫んだ。
目に見えない衝撃波のようなものが、ヤハンの背後から放たれる。
念力と呼べばいいのだろうか――異能の集団というだけあって、その本領を発揮したようだ。
旭が遠隔で結界を張るが、間に合わない。
ヤハンはそれを見もせずに、ふらりと避けた。
「邪魔だなぁ」
それからぼそりと呟くと、彼は刀を回転させるように振り回す。
その動きは素人が見ても的確で、無駄がないものだった。
水柱が上がったかのように飛沫が上がり、球体状のものが舞い上がる。
日向は何が起こったのか理解できず、立ち尽くした。
「見るな」
状況を把握した旭は、日向を守ることを優先する。
八咫烏たちの首が一斉に飛ばされたのを見て、彼女の視界をそっと手で覆うのだった。
「わぁ、振り回しただけなのに。ごめんねぇ」
慌てるように言ったかと思うと、ヤハンは刀を持ったまま石段を上がった。
旭が気絶させた者たちが転がっているところまで、彼は歩いてくる。
そして、動かない彼らの心臓をついて殺してしまった。
「……殺すことはなかっただろう」
これまで、旭は追手を殴って気絶させるばかりで、殺すことはしなかった。
それに、相手は訓練された八咫烏たちだ。
一般人であるはずのヤハンが、簡単に殺せる相手ではない。
「ごめんごめん。ほら、僕って危険なとこに住んでたからさ、殺るか殺られるかだったんだよねぇ」
刀を放り捨てると、わざとらしく眉を下げてヤハンは言った。
どこか空虚で、芝居がかっているのに、感情はほとんど篭っていない。
「その言い訳が通用するほど、俺は甘くないぞ」
日向ならば言いくるめられていただろうが、旭はそれが嘘だということも見抜いていた。
たまたま攻撃を与える程度ならまだしも、複数を殺すことは一般人にできはしない。
(おそらく、どこかの国のエージェントだ)
旭は直に問いかけはしなかったが、その言葉でヤハンは優しげな瞳を冷やした。
口元は相変わらず笑ったままだが、突き刺すような威圧感を放つ。
日向はそれだけで直視できなくなり、旭の後ろに隠れた。
「さすがに気付いちゃったか。たぶん君は、僕を他国のエージェントか何かだと思ってるんじゃないかな」
「悪いが、そうとしか思えない」
「君が思ってるとおり、僕はとある国の諜報員……ただし、直に雇われてるわけじゃない。複雑なんだよね」
「そこまでバラすということは、俺たちも殺す気か」
旭はなるべく人を殺さないできたが、もうそれも難しいかも知れないと――日向を守りつつも、刀を握りしめる。
(異能があるようには感じないが、あの身体能力……分が悪い)
これまでにないほどの相手に、旭の指先は冷えていた。
深く息を吸う。
「そんな、殺さないよ! 僕のミッションは、ツクヨミの力を使った攻撃を阻止することだからね。八咫烏がそれをやろうとしてるのは知ってるから」
血まみれの掌を見せるようにして、ヤハンは強く否定した。
(怪しいが、嘘だと断言する根拠も見つからない)
旭は斬りかかるべきかと悩んだが、その場に踏み止まる。
「君の国は……そういうことか。八咫烏のバックについても、知っているんだな」
「察しがいいね。あいつらは資源が欲しいだけだからさ。綺麗事を建前に、戦争をするのも厳しくなってきたんだろう」
「確かに、俺の予想が合っているなら……君の国が八咫烏と対抗するのも頷ける」
旭はヤハンとの対話を経て、刀から少し手を離す。
やはり異能者の気配はしないから、戦闘員なのは確かだろう。
「ひとまず、死体をどうにかする。放置するのは……地元住民に迷惑だ」
旭はそう言いながら、日暮れ前に会った老人のことを思い出していた。
地元の人が大切にしている神社。
今はもう中身のツクヨミはどこかに消えてしまったが、それでも彼らの心を蔑ろにはしたくない。
視界を塞がれて聞いているだけの日向も、何となく状況を理解して、旭の言葉に頷いていた。
「手伝うよ。僕、こう見えて死体処理は得意なんだ」
「殺し屋ならそうだろうな」
「うー、釣れないなぁ」
ヤハンとそんな話をしながら、旭は日向を石段とは反対の方に向かせる。
階段の下には、死体が積み重なっているからだ。
日向も旭の行動に、素直に従った。
人間の死体を見る覚悟はできていなくて――。
「有栖川さん……」
「君はそこで休んでいてくれ」
それから旭は日が暮れたのもあってか、自身の上着を日向にかけてやった。
七月の夏の夜なんて蒸し暑くて、上着なんて必要ないのに。
拒否することもなく、日向はそれを受け入れる。
「ねぇ、旭くんは何歳なんだい?」
「……二十五だが」
「そうなんだ、僕も同じ! 君も死体処理に慣れてるんだね!」
「黙って作業しろ」
「えー、もっと仲良くなりたいのになぁ」
旭はまず、ヤハンの手や首の傷を治療してやった。
彼が持っていた使い捨ての手袋をつけて、死体をひとつずつ運んでいく。
神社の奥の方の山に、旭が異能で地面を抉った。
二人はそこに死体を詰め込んでいく。
作業する二人は日向の後ろを通り過ぎるのだが、その度に血の匂いが僅かに漂う。
日向はそれに吐き気を覚えて、指を噛んで凌いでいた。
俯いていると、石畳の上に古い血痕のようなものを見つける。
(あの人……私たちと会う前にも、ここで誰かを殺したんじゃ……)
同担だと思って気を許してしまっていた日向は、ここにきてヤハンへの警戒を強めていた。
旭だって命を奪うが、彼は襲ってきた動物ですら弔う人だ。
根本的に、二人は違う。
それから一時間くらいの作業を経て、二人は十人分の死体を埋めたようだ。
貴重な水で石段の血を流し、何とかカモフラージュしている。
「宮崎殿、待たせてすまない。今日はどこか、空き家で夜を越そう」
見ないようにしていた日向は、シンシアのぬいぐるみを抱きしめていた。
ぬいぐるみにお気に入りの香水を染み込ませていたから、血の匂いもしない。
そんな彼女の前に、旭はそっと手を差し出す。
辺りは真っ暗で、月の光だけが頼りだった。
空に浮かんでいる明るい月は、いつもよりずっと大きな気がする。
「はい……」
片手でぬいぐるみを抱っこしたまま、日向はその手を取った。
特に何もしていないのに、足がもつれるような感覚だ。
「あ、可愛いぬいぐるみだね! 僕は確かにちょっと裏社会の人間だけど、シンシアちゃんへの愛は本物だから。そこは安心してね?」
当然のようについてくる気でいるヤハンは、出会った時と変わらない屈託のない笑顔で入ってくる。
最初はそれも楽しかったのに、日向は彼と目が合わせられなかった。
「う、嘘じゃないならよかったです」
無難な言葉しか言えなくなり、旭の傍を離れずに歩き始める。
「あー、またそうなるんだ」
数歩下がってついていくヤハンは、冷たい目で笑いながらそう言った。
彼の言葉は夜の虫の声に掻き消され、二人には届かず宙に舞う。
◆◆◆
ちょうど近くに使われていない小屋があったから、三人はそこで夜を越した。
旭は念のため、日向とヤハンを二人きりにしないよう、自身が真ん中の席を取っていた。
(旅に出てからまだ二日目なのに、濃厚すぎて現実味がないよ……)
早朝、起きた日向は少しの水で歯を磨き、顔に日焼け止めを塗りながら考える。
(整理すると……有栖川さんは元八咫烏。八咫烏はどっかの国がバックにいて、もう腐ってる。目的はツクヨミの力で、敵国を焼き払うことかな)
まだ眠っている旭を見つめ、髪を結いながら思考をまとめた。
(モリヤさんは、恐らくその敵国側のエージェントだよね。目的は八咫烏の思惑の阻止。焼かれたら困る側だから。怖いけど、私たちには害がないし……態度に出さないようにしないと)
曲がりなりにも営業として訓練してきてよかったと、日向は作り笑いの練習をする。
ヤハンのような何を考えているのか分からない相手に、感情をむき出しにしてもいいことはない。
そういう人に会ったことはなくとも、本能的に分かる。
(昨日は動揺しちゃったけど、今日からは普通に接しよう……シンシアちゃんに会いたいのは、嘘じゃないみたいだし)
髪を整えた日向は、そんな結論を出す。
限定グッズを持っている時点で、かねてからシンシアを追っているのは明白だ。
戦闘時の冷たい目とは裏腹に、シンシアのことを語る彼は穏やかな目をしていた。
推しへの愛は嘘でないなら、性格がどうであれ仲間なのだ。
「宮崎殿、もう起きていたのか」
昨晩は疲れていたのか、旭は少し遅れて起床した。
両親の形見の懐中時計を握りしめていたようで、それをしまった。
ヤハンに至っては、緊張感なく背中を向けて眠っている。
「その、宮崎殿っての……やめません? なんか、変な感じがします」
呼ばれる度に、何となく胸がこそばゆくなるものだ。
ヤハンがいるのを忘れて、日向はそんな提案をしてみる。
昨晩のことを考えても、咄嗟に呼びにくそうだと思ったのだ。
「そうか。どう呼べばいい?」
イケメンなのに寝癖だらけで、眠そうな赤い目を細めて、旭は問いかける。
「日向でいいですよ。その方が呼びやすいでしょ? ほら、昨日みたいな緊迫した時、三文字の方が早いかなって」
あまり異性に下の名前で呼ばれたことはないが、ヤハンは馴れ馴れしくそう呼んでいた。
だから、旭にも許すことにしたのだ。
「……日向」
彼女の目を見つめて、旭は小さく呟くようにその名前を呼ぶ。
少し恥ずかしくなり、日向は髪を触りながら笑った。
その笑顔に反応してか、旭はさっと視線をそらす。
どうして目をそらされたのか、日向にはよく分からなかったのだが。
「俺のことも、旭でいい」
明後日の方向を見たまま、彼はそう言った。
「じゃ、旭さん。有栖川さんって呼ぶよりは、短くていいですね」
日向が下の名前を呼んだ途端、旭は目を泳がせて指先を小刻みに動かす。
そして室内なのにサングラスをかけ、顔を上げて彼女を見た。
微量の砂糖を入れたくらいの甘さが、そこに確かに滞留する。
かと思えば――いつの間にか起きていたヤハンが、ニコニコ笑いながらそれを見ているのだった。
「いいね。僕にも嫁がいるから、イチャイチャしたい気持ちはよく分かるよ」
「違いますってば! 昨日も否定したでしょう!? てか、既婚者なんですか?」
「うん、僕の嫁はシンシアちゃんだからね!」
「そうですか、一途なようで何よりです」
そんなヤハンに日向はすぐに切り返し、呆れたようにあしらった。
「……バイクもあるから、うまく行けば今日中には星霜山に行けそうだ。その前に……日向、君の家に寄ろう」
旭はほんの少し唇を尖らせつつ、さりげなく日向の名前を呼ぶ。
「そうですね!」
それすら特に意識していない日向は、いよいよ推しに会えることに胸を高鳴らせていた。




