05 責任を取るために
「な、何があるんですか……? ガソリンなら、ガソリンスタンドで何とか取れませんかね……」
慌てるように日向は言った。
せっかくバイクで時短できると思ったのに、それが使えないのは勘弁だ。
崖から突き落とされたような気分になる。
「ガソリンか? それならほぼ満タン入っていると思うが」
「えっ、じゃあ何なんですか?」
「君の分のヘルメットがないんだ」
旭の真顔の返答に、日向は思わずズッコケてしまう。
「こんな時にヘルメットなんていりませんよ! 警察が点数取ってるって言うんですか?」
かなり悲惨な被災地で、警察が交通違反を取り締まるのを想像した。
不謹慎だがシュールでおかしくなってきて、日向は思わず笑いながらツッコミを入れてしまう。
「そうか。じゃあ、君が被ってくれ」
「何でですか?」
「万が一、俺が操作を誤ったら大変だ。治癒はできるが、痛いのは嫌だろう」
「そりゃ、嫌ですけど……」
心配されているのを知り、どこか嬉しくなってくる。
彼の表情は真夏さえ冷やすかのように凍っているのに、内面はかなり情に厚い人のようだ。
(焼けた集落でも祈ってたし……この人、きっと何かを背負ってるんだよね)
八咫烏のことなどは、詳しく触れようとは思わない。
ただ、旭自身のことには、少し興味を持ってもいい気がしてきた。
(神社に行けば、何かが分かるよね)
会話で聞き出すよりも、見て知っていきたい。
言葉の洪水を浴びたところで、受け取る容器がないからだ。
◆◆◆
昼過ぎにようやく下山し、街から少し離れたところにホテルらしき建物が見えた。
荻市は観光地なだけあって、別の市と比べても趣のある街並みになっている。
「この街は看板が低いな。コンビニも色が違う」
「観光地ですからね。景観を損なわないようにしてるんですよ」
「詳しいんだな」
「お客さんから聞きました」
旭が泊まっていたホテルもまた、一見おしゃれな外観だった。
ところどころ崩壊しかけていて、出入り口が塞がれてしまっている。
中には誰もいないようで、職員は逃げたのだと思われた。
(これ、ラブホでは……?)
日向は気まずくなりながら旭を見る。
外観だけだと擬態していて分かりにくいが、ひしゃげて転がっている看板がいかにもそれらしい。
「この辺りでも破格のホテルだった。あのような内装は斬新だな。連泊したいと言ったら驚かれたが、市井の人々はこういうところに泊まっているんだな」
本当に何も知らないのか、旭は曇りなき眼差しで感想を述べた。
「こんなとこ、行ったことないから分かりませんって!」
「そうなのか?」
「とにかく、どこにバイクを止めたんですか?」
「駐車場だ。出入りする度、毎回このハリボテを置かれている。なぜだ?」
「知りません!」
旭が案内した駐車場はホテルの一階で、立派なバイクが止まっていた。
手入れが行き届いており、綺麗な状態なのが垣間見える。
(プレートを隠す理由は想像つくけど、言わないでおこ……)
日向は気付きながらも言わないことに決めた。
旭はプレートの前に立てられた衝立のようなものを避けて、エンジンをかける。
「問題なさそうだ」
すぐにエンジンはかかり、ガソリンメーターの針もほぼ満タンだと示している。
「道路、走れそうでしたね」
少し見た感じ、この辺りの国道は目に見えて障害もなさそうだ。
日向はヘルメットを装着しながら、ぽつりと言った。
「実は、君に言っていないことがあった」
バイクが問題なく走れそうなことを確認して、旭はそれに跨る。
日向もカバンを荷物入れに入れさせてもらい、その後ろに腰掛けた。
「何ですか?」
少し恥ずかしくて、でも落ちるのは怖かったから、彼の服の裾を握る。
問いかけると、彼は前を向いて走り始めた。
エンジン音は思ったほど煩くなくて、走りながらも会話はできそうだ。
「君を探していたんだ。この辺りで会えるだろうから、守ってやってくれと言われてな」
信号の機能していない国道。
強い日差しの中、二人はバイクで駆け抜けていく。
目や肌が弱い旭は、帽子とサングラスが欠かせない。
帽子が飛ばないようクリップを付けているから、見た目は少しダサかった。
「アマテラスだから、ですか?」
「あぁ。この辺りで会えるだろうと言われてな」
「誰に……?」
ぞわりと、肌が粟立つ。
自分は知らないのに、誰かが一方的に自分を知っていたのかも知れない。
そう思うと、全身の血の気が引く。
(実はどこかで会った人が有栖川さんの身内で、私に気付いてたとか……?)
普段から周囲に関心がなかったツケだと、日向は思い知らされた。
空っぽの日常は、皮肉にも壊れてから色付き始めたのだ。
「俺の身内だ」
旭は答えた。
身内、と言うには色んな意味がある。
血縁だったり、あるいは恋人だったり。
どちらにしろ、胸のざわつきが収まるわけでもない。
「……余震がないことが変だと思わないか? 通常、大地震の後は何度も余震がある。今はそれがない」
話題をあえて変えたのか、あるいは説明するためなのか、旭は疑問を呈する。
「そ、そうですね……余震がないから、動こうと思い始めたんです」
日向も今はそのことを横に置くこととした。
思えば、普通の地震で有り得ることがこの地震では一切ない。
この県はさほど地震がないところなので、体感ではなく知識として持っていただけなのだが。
「これは俺の身内が仕掛けた、日月神示の執行。つまり……命の選別なんだ。自然に干渉し、神の力を使ったとしか思えない」
また神様の話を、旭は悔やむように絞り出した。
バイクのハンドルを握る手の力が、心なしか強いように見える。
数時間前までの日向なら、また妄想だろうと笑い飛ばしていただろう。
だが、あの八咫烏という集団も、スサノオたる嵐の存在も、旭の異能も――目の当たりにした以上は、受け入れるしかない。
(身内がやったから、謝ってたの……?)
先刻、燃えた集落の中で、膝をついて手を合わせていた旭の姿が蘇る。
彼の身内が命の選別とやらを始めたから、こんなことになっているのだろうか。
「よく分かりませんが……普通の災害じゃないんですね。日月神示っていうのは、何ですか?」
「終末の預言書のようなものだ。全て壊れ、命の選別が成された後、楽園になるという……」
「そう、ですか。そんな話、ゲームの中みたいです」
「そう思うのも無理もない。一般の人からすれば、ただの都市伝説だからな」
日向はただ身震いした。
その預言を実行するほどの人間が、目の前の人の身内なのだ。
だからといって、旭自身が怖いとも、悪いとも思えない。
(有栖川さん、責任を取るために行動してるのかな。月読神社に行くのも、きっとそのために……)
ようやく彼の目的が少し分かった気がして、後ろ姿をじっと見つめた。
そして、この選別が絶対悪だと決めつけられるほど――日向は元の世界が好きだったわけでもない。
ふわふわと宙に浮かんでいるようで、その残酷さも身に沁みて感じることもなく、ただ漠然と記憶に刻んだ。
国道を市街地の方に降りていく。
歩けば数十分かかりそうなところも、バイクだとすぐに到達できた。
道路標識などが散乱していて、標高の低いところは魚の死骸が転がっている。
夏だからすぐに腐っていて、生臭い。
山の公民館の職員が言っていたように、人間の死体は見えなかった。
(なんだ、皆逃げたんじゃん。命の選別なんて、大袈裟に言ってるところはあるのかも……破壊されただけで、きっとどこかで生きてるのよ)
人の死体なんて、見たくもない。
日向は少し安心する。
瓦礫の間をくぐり、時にはバイクを押して歩きながら、二人は月読神社を目指した。
◆◆◆
その日の日没前くらいに、西京市の山間部にある小さな町に到着する。
内陸部だが、川が少し氾濫したようだ。
それでも大きな被害はなかったようで、家々もかなり原型を留めており、人々の姿がちらほらと見える。
何より、田畑が無事なのが印象的だった。
こんな時も蝉は鳴いているし、虫たちも鳥たちも、何事もなかったかのように生活している。
自然の雄大さを、改めて知らされた。
「私の家、西京市にあるんです。まぁ、西京市って広いから、こことは全然違う場所なんですけどね」
日向は懐かしむように言った。
ここは西京市でもかなり田舎の方だ。
人もあまり住んでいないが、営業で訪れたことがある。
土地柄なのか、かなり大らかな人が多い印象だ。
来たことのある場所ではあるが、この小さな町にそんな神社があるのは知らなかった。
「家に寄るか?」
「そうですね。飲み物とかは備蓄してたので、家が無事ならいいですけど」
「なら、明日行ってみよう」
月読神社の小さな看板のあたりに、旭はバイクを止めた。
そこからは細い山道になっていて、歩いて行くしかないようだ。
ちょうど似たようなバイクが近くに止まっていた。
近くには畑があり、作業している老人が二人の姿に気付く。
「君たち、どこから来たんだい?」
八十歳くらいの老人は、二人に話しかけてきた。
「荻市からです。仕事中に被災して……私の家が西京市にあるので、避難してきました」
日向が答える。
嘘は言っていないし、こういう時に若い女性であることは利点だ。
不審に思われないから、警戒も薄くなる。
旭もサングラスや帽子を取った。
彼も見た目は清潔感があるから、髪色が変わっていても、初見で嫌悪されることはない。
「それは大変だったね。この辺りはさほど被害はないし、山の湧き水が出るから、生活はできているが……ラジオは繋がらないから、外のことが分からない。孫も動画が見れなくて、不便みたいでね」
老人は畑の際のところに腰掛け、朗らかな顔で日向と旭を見上げた。
「お孫さんと一緒に暮らされてるんですね」
「東京に住んでたんだが、たまたまこっちに来ていてね。曽孫もいるよ」
「曽孫さんも? よかったです……」
「あぁ、本当にそうだった。巡り合わせがあるんだろう。月読神社に用があるのかな?」
不意打ちのように核心を突く質問に驚くが、日向はそれに頷いた。
「あ、詮索するようでごめんね。被災直後くらいに、そこで過ごすと言った若者がいたからね。ほら、バイクがあるだろう」
老人は少し慌てたように付け加える。
年を召した人でそういう気遣いができる人にあまり会ったことがなく、日向はその老人に好感を持った。
「いえいえ。よそから来た人だから、気になりますよね。寄ったついでに、神頼みでもしようかなって思いまして。まさか、滞在してる人がいるなんて」
旭は少し、意外そうな様子だった。
置いてあるバイクの年式は新しそうだが、そこそこ走り込まれている印象だ。
「ただ、ちょっと心配でね……まぁ、あまりこちらから関わることはしていないがね。見た目からして、外国の人みたいだったから」
老人は気を遣っているようで、世話を焼いていいかも迷っているようだ。
外部の人と下手に関わって、トラブルになるのも避けたいのだろう。
「あ、この人は日本人ですので、大丈夫ですよ。その人が変なことしてないか、二人で見てきますね」
日向は老人の心配を汲んで、そう返した。
「ありがとう。この神社は地元で大切にしてきた……ツクヨミ様が眠る場所なんだ」
老人は神社の方を見て目を細める。
この場所からは鳥居も本堂も見えないが、まるでそこにいるのが分かっているかのように。
(有名じゃなくても、地元では伝わってたのかな)
それから老人と別れ、二人はいよいよ月読神社へと向かっていく。
「アマテラスとスサノオは人間になって、ツクヨミは神様のままってことですよね?」
歩きながら、整理するようにそう問いかけた。
受け入れようとしているものの、未だに自分がアマテラスだとは思えないのだが。
「そうだ。ツクヨミは表舞台から消えた。彼に関する情報はほとんど残っていないが……アマテラスとスサノオが神としての役目を終えた後、人知れずこの国を守ってきたようだ」
「でも、戦争でめちゃくちゃになりましたよ」
「その頃には、外部の介入で腐敗してしまったからな。ツクヨミも力を失ったんだと思う。それでも最悪は……この国がなくなることは、防げたんだ」
日向は日本史も曖昧で、大まかな流れくらいしか把握していない。
学校で習ったとはいえ、集中して学ぼうとしたこともなかったのだ。
(私たちが知る日本史も、事実の一部でしかないのかも……)
日向は小石を蹴った。
歴史の中で誰がどうだったとか、今となってはどちらでもいいことなのだろう。
この日月神示とやらが発動したことこそが、きっとその答えなのだ。
夏の夕暮れを背にしながら、木々の影になる道を二人で歩く。
落ち葉を踏みしめる音や、虫たちの鳴き声、生ぬるい風が木々を揺らす音。
(命の選別の基準って……この国を守るためのものなのかな)
生き残った人と、そうでない人。
その違いはきっと、神による恣意的なものも含まれている。
「有栖川さん、あれ……」
しばらくすると、石の鳥居が見えてきた。
石の階段の上に腰掛け、佇んでいる人影がある。
(あれが、例の外国人……?)
日向は身構え、旭の陰に少し隠れた。




