12 千鳥居の岬で
皆が閉口してしまったのを見てか、瑠菜はお腹を大事そうに撫でる。
「二度目の執行は、この子が生まれてからにするって決めてるの。大丈夫よ、日本は残すから」
まるで神になったかのように、選別の日すら二人の都合で決めているようだ。
日向は無性に腹が立って、目の奥が熱くなる。
「無惨に殺しておいて、あんたたちは呑気に妊娠出産するってこと? 誰かの幸せを奪って、自分たちは……!」
旭や嵐が何も言わなくなったから、最も他人である日向が叫ぶ。
それでもまだ大好きな推し。
嫌われたって、間違っていることはそうだと言いたい。
瑠菜は目を伏せるばかりだ。
「そう思われても、仕方ないわね」
事実は否定しないし、かと言って改める気もない。
大きなお腹をした瑠菜は微笑んだまま、ヤハンに身を委ねた。
「この子は半神半人。世界秩序が崩壊した後、国を支える柱になるわ。だから必要なことなの。人間たちも、動物たちも、生きていかなければならないからね」
しっかりと母親の顔をしながらも、子どもを計画の一部のように言う。
瑠菜の本音が、全く分からない。
赤い双眸に映るのは、選別する側としての未来。
日向が知りたかったのは、人間らしいところだったのに。
「日本だけが残るわけでもないよ?」
皆の不安を受け取ってか、ヤハンは穏やかに付け加える。
瑠菜を絡みつくように抱きしめていて、その髪に鼻をうずめながら。
「どれだけ、殺すの? 殺したの?」
日向は怒りよりも涙声になりながら、感情的に問いかける。
「そうだね、日本は四千万人くらい残ってるよ。ここからは減らさないつもり。世界は……そうだね、五億人かな」
「そんなに殺すって言うの!?」
「えー、違うよ。残すのが五億人ってことさ」
「そんなの……」
ヤハンは相変わらず、さらりと笑顔で残虐性を見せた。
今の世界人口は八十億人くらいいる。
それを五億に減らすということは、どれだけの殺戮をするのか――二人は分かっているのだろうか。
何か、宇宙人とでも話しているような感覚になる。
「動物たちは生きられても、自然が人間を拒むように設計するだけさ。一気にではなくて、徐々に減っていく。それでも全滅は避けられるし、命は繋がっていく。自然を大切にしてきた地域には、同じような加護が生まれるだろうから」
こうして話している間にも、ここにいる猫たちはヤハンや瑠菜に擦り寄っている。
餌を与えているわけでもないのに、主人を慕うかのように。
思えば、動物たちがあまり死んでいるのを見かけなかった。
どうやったのかは分からないが――二人はそう選別しているのだろう。
「加護って……そんなんじゃ生きられないよ。医療が必要な人だっている。食べ物だって、日本の食料自給率とか考えたら……」
「だから減らしたんだよ。皆で頑張れば、何とか暮らしていけるくらいにね」
「狂ってる」
「何とでも言うといい。アマテラス……君が甘いから、世界はこうなったんじゃない?」
柔らかな口調なのに、その言葉は日向に突き刺さった。
アマテラスとしての記憶なんてないが、何千年前も同じようなやり取りをしたのなら。
その結果がこれならば、何も言い返せない。
現に人間として生きていた日向は、この世界がさほど好きではなかった。
それが答えなのかと、どんな言葉よりも胸にすっと入ってきたからだ。
「違う……彼女のせいじゃない。人間が悪いのは、確かだ」
妹の所業に口を閉ざしていた旭は、反射的に否定する。
「さすが、瑠菜のお兄さんだね。思想は違っても、清廉潔白って感じがする!」
そんな言葉も茶化すみたいに、ヤハンは軽く笑って見せかけの賞賛を送った。
その間も、瑠菜を抱きしめる手の力は緩めない。
思えば、ヤハンは旭だけには少し柔らかかった気がする。
愛した女の血縁者だったからだろう。
日向からすれば、こんな選別を肯定する瑠菜は、清廉潔白になんて見えない。
それでもヤハンにとっては、彼女を離したくないくらいに大事なのは見て取れる。
「どちらにしろ……世界秩序を謳う者たちも、人を減らそうとしていたわ。ただ、彼らの選別は私利私欲。私に彼を目覚めさせて、そうさせるつもりだったの」
同じことをしようとしているのに、瑠菜はそれが正義だと言いたげだ。
(世界秩序ってのが、八咫烏のバックにいる奴らなのかな)
構造は分からないが、何となく日向はそれを察する。
「舐められたものだね。僕がそんなの、従うわけないのに」
「だからスサノオと同じように、呪いをかけるように言われていたわ。洗脳されたままなら、貴方も従っていたかもね」
「瑠菜の呪いなら、それはそれでよさそうだけど」
「もう、甘えん坊さんね」
ヤハンは瑠菜の言葉ひとつひとつにうっとりとしていて、細い指で撫でられるだけで頬を溶かす。
悪意のない棘も、瑠菜には出す素振りも見せない。
彼女が苦しくないように、それでいて見せつけるように、お腹の上に手を置いた。
瑠菜は小さな手をそっと重ねる。
よりによって、それがずっと欲しかった嵐の目の前で。
「この子を産まないといけないの。千鳥居の岬で待ってるわ」
静かにそう言った瑠菜は、ヤハンの手を借りて上着を羽織り直す。
天女が羽衣を纏う絵画のように、焼き付くような光景だった。
その手を取り、腰を支えるヤハンに誘われるかのように、石碑の奥に歩いて行こうとする。
「待て、行くな……瑠菜! お前がそいつの子を宿しててもいい! そんな奴より、俺が守るから……!」
まだ未練たらしく嵐は手を伸ばした。
瑠菜は振り向かず、代わりにヤハンが冷たい視線を送る。
神の転生者ですら、凍り付くほどの威圧感。
諦めろと言わんばかりで、嵐は伸ばした手を下ろし、立ち止まるしかなかった。
「ごめんね。私が初めて自分で選べたのが、彼なの」
背を向けたまま、瑠菜は落ち着いた声を残す。
それは嵐だけでなく、兄の旭にも言っていたのだろう。
「日向ちゃん、また会いましょう」
そして、瑠菜は日向だけを特別に呼んだ。
月明かりの下、じわじわと霧が二人を包み込む。
旭が刀を振って風を送ると、それは晴れた。
晴れた先には二人ともいなくなっていて、静寂だけがそこに流れる。
残された三人は何も言えず、猫たちが戯れ合う音や、虫の音だけをしばらく聞いていた。
「はぁ……」
大きなため息と共に、嵐は崩れ落ちる。
瑠菜への想いが本物なのは、日向から見ても分かるものだった。
それをあんな形で、目の前で否定されたのだ。
泣かずにはいられなかったのだろうと、日向も旭も駆け寄ることはしなかった。
「あれは……止められる余地はないかも知れないな」
眉を寄せつつも、冷静に旭は刀をしまう。
妹がいなくなった場所を、彼はじっと見つめていた。
「妹だったんですね。旭さんが言ってた、身内っていうのは。それが……どういうわけか、私の推しでした」
日向はやるせない気持ちに脱力し、ため息をつく。
皮肉にも、二人は最初から同じ目的を持ってここを目指していたのだ。
嵐はその間にも、ここに来るまで奪われていた端末を起動し、再びSNSを開く。
確認しそびれた、シンシアのフォロワー欄。
二千人にも上るフォロワーは購入したか、あるいは複数アカウントを手動で作ったのか、中身のないものばかりだった。
「そういうことか……瑠菜」
嵐はひと粒の雫とともに、ぽつりと呟いた。
日向を誘うために、瑠菜は彼女と接触し続けたのだ。
彼女は前代未聞の力を持つ巫女だ。
日向のもとに自身の情報を届けることもできたのだろう。
「俺は……やるべきことをやってくる」
二人に背を向けたままふらりと立ち上がった嵐は、その背中に大鴉のような黒い翼を生やした。
「奴らを殺したとて、瑠菜は戻らないと思う。それに、瑠菜の言うとおりだ。二度目を執行すれば、世界秩序など消えてなくなる。自動的に彼らの敗北だ」
嵐の意図を汲んだ旭は、止めるように投げかける。
瑠菜への失望と、まだ残る家族としての愛情の挾間で、彼もずっと揺れていた。
「それでも、だ。奴らが瑠菜に何を強制してたか、瑠菜をどういう目で見てたのか、俺は知ってる。知っていながら、何もできなかった。だから瑠菜は、ツクヨミなんかを拠り所にしたんだろ」
「それは君の責任ではない」
「俺自身のけじめなんだ。じゃないと、この騒ぐような怒りをよ……どこにぶつけりゃいいのか分かんねぇんだわ」
嵐は荒れ狂うような心を抑え、見上げるように振り向いた。
涙に濡れた跡に、狂気と凶暴さが混在している。
口を釣り上げて笑うようにしながらも、普段の温かみはそこになかった。
ツクヨミの魂の弟。
そうはっきり分かるくらい、性質は似ていた。
日向はその様子に、いつか恐怖したような――そんな気がして、嫌な胸騒ぎがした。
「数日で戻る。千鳥居の岬で会おうぜ」
彼は翼をはためかせながら、東の空へと消えていく。
途中で姿を晦まし、背景と同化して見えなくなった。
冷酷なツクヨミも、荒々しいスサノオも、弱いアマテラスの前からいなくなる。
(私が、甘かったから……なのかな)
前世の記憶なんてないのに、日向はヤハンの言葉ばかりが刺さって取れないでいた。
日向はふらりと歩き、瑠菜が腰掛けていた岩の上に座る。
まだ彼女のぬくもりが、そこに残っていた。
ここまでしても嫌いになりきれず、最後に声をかけてくれたことが、嬉しくてたまらないでいる。
「世界秩序の奴らって、どこにいるんですか?」
旅の始まりと同じように、また旭と二人きりになる。
猫たちを撫でながら、日向は静かに問いかけた。
「東京にいた。今はおそらく、中部地方あたりに逃げている。そこにシェルターを作って、有事に自分たちだけ逃げる準備をしていたからな」
旭も隣に腰かけ、静かに答える。
今の日向なら、もう信じなくもないだろうと思ってのことだ。
「旭さん……もう一度、衛星写真が見たいです」
あの時、妄想だと一蹴してまともに見ていなかった、今のこの国の現状。
今ならもう受け入れられるだろうと思って、自らそう言ったのだ。
旭は通信機器を再び出して、写真を見せる。
近畿がまるごと消えて東西に割れ、関東や中部、四国の南側も消滅していた。
意図的なのか、特に人口の多い都市部はことごとく消されたようだ。
ヤハンや瑠菜の思想と、皮肉にも一致した地図になっている。
「東と西は分かたれた。ずっとこの状況ではないかも知れないが、ここにいた人たちはほぼ助かってはいないかと」
旭の声は少し震えていたが、冷静でいようとしているのは見て取れた。
日向は改めて、胸が冷える感覚に落ちる。
それでもどうにか受け入れようと、目に焼き付けた。
「三分の一ほど残っているとして……日本の文明はどのレベルまで下がる想定ですか?」
「近代くらいかと。原始時代になるわけでもない。瑠菜は残った人々が生きていけるよう、対策はしていると思う」
「じゃあ、二度目が訪れた時、日本以外の世界は……?」
「それ以下になるだろう。五億人しか残らず、それも世界に点在させる形なら……広い世界に、小さな村が点々と残るイメージかと」
現時点では旭の想定だが、的を射ていると日向も感じた。
ヤハンと瑠菜は日本だけを残すのではなく、自然と共生できる人を選んで残すに過ぎない。
あるいは日本に害が及ばないものを、無意識に選んでいる。
なぜなら、ツクヨミはこの国の神だから。
生き残り想定があまりに少ないということは、邪魔なものが多いと考えているのだろう。
何が正解なのかは、日向にも分からなかった。
「だから、田舎が残ってるんですね。でも、不思議です。こんな場所が、今の舞台になっているなんて」
少し間を置いて、日向は何とか振り絞るように笑った。
今はあまり重たい話をしても、気が滅入るばかりだからだ。
旭の横顔はずっと暗い。
そう感じ取れるほどには、無表情な彼の変化も、この旅の中で少しずつ理解していたようだった。
「あぁ……今夜はもう寝よう。夜に下山するのは危険だからな」
岩から降りて、彼は寝る場所を確保する。
横にはなれなかったから、ただ岩にもたれかかって休むだけだ。
「そうですね」
日向もそこから降りて、反対側にもたれかかる。
メイク落としで顔を拭きながら、これまでの思い出を蘇らせた。
僅か一年前――灰色の日常を彩ったのは、シンシアという存在だ。
顔も本名も知らないのに、無気力で働いて寝るだけの人生の拠り所となった。
励ましの言葉や、占いの結果。
今思うと、日向との一対一の対話だ。
ヤハンが持っていたグッズも、出会うために仕組んでいたに過ぎなかったのだろう。
それでも、シンシアの――瑠菜の言葉は、きっと嘘はなかった。
(瑠菜さんは、幸せそうだった。サイコ野郎は瑠菜さんだけには、優しそうだったから。そこは私が否定するものじゃない……)
胸の奥はモヤモヤしているが、瑠菜の幸せだけは否定したくない。
状況が状況でなければ、夫から愛され、子どもがもう少しで生まれる、幸せの絶頂期だ。
(だけど、二人がやってしまったことや……今からやろうとしてることは、とても肯定しきれない)
偽善だと分かっていながらも、日向は大好きな人の思想すべてを受け入れることはできなかった。




