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終末、推しを拝みに行く  作者: 豊平ののか


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13/13

13 翳る太陽

 空は厚い雲がたくさん浮かんでいて、太陽を遮っている。


 日の出は確認できないが、それでも少しずつ明るくなっていた。


 これまでの人生で、日向はこんな山に登ったことはない。


 田舎に住んでいるから、やろうと思えばできたはずだ。


 何にも興味がなく、そうしなかっただけで――。


(何もしたくない……)


 起きようと思っても、体に鉛球を括り付けられたような感覚だ。


 昨晩は何とかやり過ごしたが、心が擦り切れたのは旭や嵐だけではなかった。


 大好きな人に裏切られたと感じたのは、日向も同じだからだ。


(瑠菜さん……何で、あんなことをしたの?)


 ずっと心の中で問いかけ続けても、瞼の奥にいる彼女は答えを返さなかった。



「日向……行けるか?」


 先に起きていた旭は、日向が起きるのを待っていたようだ。


 物音が聞こえたのを機に、岩の裏側から彼女に声をかける。


「もう、動きたくありません……置いていってください」


 何とか奮い立たせていたが、もう限界だ。


 日月神示を止めようにも、瑠菜やヤハンは意見を変える気はないだろう。


 まして、日向は異能なんて使えない。


 かえって旭の邪魔をするだけのような気がした。


(ツクヨミも、スサノオも……嫌い)


 大昔に感じたような気がしてくる忌避感。


 心底から恨んでいるわけでもないのに、彼らの異常性や暴力性には心が逆撫でされる。


「分かった。ただ、こうなった理由だけでも……君に話すべきだと思った。巻き込んでしまったからな」


 旭は立ち上がらず、様子を見に行くわけでもなく、ただ背中越しに話をした。


 こうなった以上、もう無理強いはできないのだ。


「俺たちはこの街で育ったんだ。妹……瑠菜は普通の子どもだった。三貴子に執着されるなど、未だに信じられないくらいにな」


 旭はため息まじりに語る。


 日向からの返事をもらえなくても、構わないと言わんばかりに。


 アマテラス、ツクヨミ、スサノオ――今の三貴子はそれぞれ、彼の妹に執着を寄せている。


 日向自身も、それは否定できなかった。


 この期に及んで、まだ瑠菜のことが大好きだからだ。


 他の二柱のように恋愛感情を孕んでいるわけではなくとも、かけがえのない存在だ。


「俺の両親は、祖母から逃げてこの街に来ていた。祖母は有栖川家の巫女で、八咫烏の中心として暗躍し……世界秩序側に堕ちた。その力を人々のためでなく、薄汚い利権者たちのために使役したんだ」


 旭は両親の形見の懐中時計を握り、静かに続ける。


 雨が降るでもないのに、空は分厚い雲で覆われたままだ。


「俺が十歳、瑠菜が五歳の頃……ちょうど十五年前の、東北の震災直後だな。八咫烏に居場所を知られ、両親は殺され、俺たちだけ連れ戻された」


 それまでただ話を聞いているだけだった日向は、理不尽な話に血が沸き立ってくる。


「警察は……?」


「無駄だ。八咫烏はそれよりも上にいる」


「そんなのって……」


 日向はただ、当時の兄妹を思い浮かべて胸が苦しくなった。


(瑠菜さん、私よりも年下なんだ。それなのに……)


 何も無いと思っていた日向だが、いかに自分が恵まれていたかを知る。


 死とは無縁な世界で生きてきた。


 与えられるものは少なくとも、何かを奪われることなんてなかったのだ。


「瑠菜は千年に一人の逸材だと言われた。巫女、だと」


 言いにくそうに淀む旭の声。


「巫女って……神社で働いてる女の人、ですよね」


 今の日向にはそれくらいの知識しかなく、彼が言いたいことは何も伝わらなかった。


「八咫烏の内部での巫女は、強い力を持った女性を指す。巫女は本来、純潔でなければならない」


「あ、聞いたことがあります。神様に仕えるから、清らかでいるとか……ですかね」


「八咫烏では別の意味もあった。強い巫女の純血を散らせば、力を失ったツクヨミが再起動する。同時に、人間には不老長寿の効果があると……」


 旭は思い出すだけでも嫌になっていたのか、前髪をぐしゃりと握りしめた。


 当時の瑠菜はまだ五歳。


 あまりに信じられない思想に、日向は血の気が引いていくのを感じる。


(前に聞いた時、言いたくなさそうだったのって……このことなのかな)


 今は彼がどんな顔をしているのか見えないが、日向は察して言葉に詰まる。


「俺は意味が分かっていた。だから、瑠菜を守るために……洗脳されたふりをした。ツクヨミを探して起こし、その力を八咫烏に捧げることを宣言した」


 僅か十歳で機転を利かせ、旭は妹を守るために立ち回った。


 両親を殺された恨みも、幼い妹のために消すしかなかったのだろうと――彼の口から聞いて、日向は情景を思い浮かべる。


「それからは瑠菜を祖母のもとで修行させながら、八咫烏の一員として働いた。ツクヨミを盾にしたら、奴らも瑠菜に手を出すのはやめたからな。スサノオの呪いも、俺がいない時に瑠菜がかけさせられたんだと思う」


 深呼吸した旭は、震える声で続ける。


 聞いているだけで、日向は目が熱くなってきていた。


「時には善良な人を殺す命令も、汚れた奴らを守るための火消しも、厭わなかった」


 岩越しにいる彼女に拒絶されるのを覚悟で、旭はその過去を洗いざらい吐き出していく。


 まるで人生を整理していくかのように。


 日向は何も言えなかった。


 それはヤハンや嵐に感じた忌避感ではなく、守るための選択だったことが、張り裂けそうなくらい痛ましくて――。


「祖母が死に、瑠菜が成長するにつれ、八咫烏の上層部……世界秩序と呼ばれる者たちは、その体を欲するようになったようだった」


 言っているだけで怒りが湧いてくる旭は、それを声色に乗せないよう、必死に噛み殺す。


 その怒りは目に見えないところで、日向も共鳴していた。


「何それ、気持ち悪いです……!」


 日向は静かに、怒りを燃やす。


「俺は守ってきたが、限界を感じたのが二年前だった。世界秩序というのは、世界の支配者たちのようなもので……戦後、国を裏で牛耳ってきた奴らだな」


 世界秩序についてあまり説明してこなかった旭は、はっとするように口にした。


 日向もおおよそは見当がついていたものだ。


「八咫烏の上に、そいつらは五人ほど付いている。彼らは瑠菜を……ツクヨミに捧げる純潔さえ保てればいいと……弄ぼうとした」


 そこで旭の言葉は途切れる。


 日向の知らない推しの過去は、搾取と不自由の連続だったのだろう。


 瑠菜はヤハンを初めて自分で選んだ、と言っていた。


(どんなに旭さんが守っていても、限界だったんだね)


 しばし、沈黙が流れる。


 何を言っていいか、もう分からなかった。


「それって……世界秩序とかいう奴らは、結局ただの欲望でしかないってことですよね」


 瑠菜は女の日向から見ても、理想的な美しさだ。


 顔だけならず、体も華奢で女の子らしい。


 いい香りもして、どこか惹き付けられるような魅力がある。


 だからといって、あまりに不潔で矜持のない大人たちに、吐き気がとめどなく押し寄せてくる。


「奴らには自分の地位くらいしか、守りたいものはないんだと思う」


 嫌悪をストレートに出してくる日向に、旭は少し救われる。


 閉鎖的なところで育ってきたから、そう感じる自分がおかしいのかと錯覚してきたからだ。


「瑠菜は何とか逃げてきたが、心の傷は深い。二人で逃げることも考えたが、瑠菜はそれを拒否した。ツクヨミの居場所が分かったから、助けてもらうんだと。兄は頼りなかったのだろうな」


 普通に暮らしていても、この手の犯罪はなかなか訴えるのも難しいと言う。


 閉じた村のような、国家権力以上の者たちの下では、なす術もない。


 どれだけ辛かったかと、考えるほどに日向は全身が打ち付けられるようだった。


(そんな傷を負いながら、瑠菜さんはずっと私を慰めてくれてたんだ……ただ甘いだけの私を……)


 瑠菜にとっては、それが合理で必要だっただけかも知れない。


 それでも、日向には大切な宝物だった。


「二人で逃げたとて、また追われるからでしょう。ご両親のようにお兄さんまで殺されるのは、彼女も望んでいなかったのでは?」


「そうだろうか」


「きっとそうです」


 瑠菜は決して、優しさを知らない人間ではない。


 シンシアとして日向に寄り添っていたのも、嘘ではないように思えたからだ。


「それから瑠菜は行方を眩ませた。俺はあえて追わなかった。瑠菜を追いかけた八咫烏が、途中で皆殺しにされたのを聞いて……どこかで幸せに生きてくれると、安心したんだ」


「旭さんにお咎めはなかったんですか?」


「尋問されたが、俺は表情がないので。その手のプロでも読めなかったみたいだ」


 旭の無表情は、環境によって形成されたものだったのだと、ようやく日向は知った。


(でも、読めないことはないのに……私はたった数日しか一緒にいないけど)


 今だって、声のトーンでほんの少しの感情は伝わってくる。


 十歳の頃から妹を守りきっても、誰も彼を守ってはくれなかったことだけは分かる。


「そう、ですか。それで安心してたら、瑠菜さんが日月神示を……?」


 本当は少しでも労いの言葉をかけたくなったが、日向は言わなかった。


 今の二人は、ただの同行者。


 友達でも何でもない。


 過去を慰めるような資格は、自分にはないと線を引いたのだ。


「震災の三日前に、メールが入った。アマテラスの転生者を探し、月読神社に連れてくるようにと。ただならぬ雰囲気を感じたので、八咫烏の任務を抜けて……君を探していたんだ」


 分厚い雲に透かされた太陽を、旭はじっと見上げる。


 数日前の思い出を振り返り、穏やかな目をして――。


「瑠菜さん、私がどこにいるかも知ってたんですね。それで八咫烏に追われ、あの山の中で、私たちは会ったんですか」


 静かな過去を語る時間は、それにて幕を閉じる。


 長くない会話だった。


 この旅で知った兄妹の人生は、日向の中からずっと消えなさそうだ。


 たとえこの世界で、一人で生きていくことになったとしても――。


「あの震災を経て、すぐに瑠菜の仕業だと知った。君の推しとやらが、瑠菜本人ではないかとも……」


「気付いてて、言わなかったんですね」


「確証はなかったからな。ただ、そのぬいぐるみがどうにも妹に見えてならなかった」


 シンシアのデザインはそんなに斬新なものでもないし、黒髪の姫カットに赤い瞳のキャラクターはたくさんいる。


 旭や嵐は、今思うとこのぬいぐるみに反応していた。


 実物の瑠菜にもよく似ていたからなのか、無意識にそうなるように日向が作ったのかは、よく覚えていない。


「確かに、そっくりでしたね。シンシアちゃんはアバターなんですけど、瑠菜さんそのものでした」


 日向はふと、カバンにしまったぬいぐるみを取り出した。


 天にそれを翳すと、昨晩そこにいた瑠菜の姿と重なってくる。


 天女のように消えていく姿が、瞼の裏から消えないのだ。


(ガチ恋って……嘘じゃなかったのが、余計にムカつく)


 同時にヤハンの推しに対する言葉や、態度を思い出す。


 ただの痛いファンだと思っていたのに、本当はずっと傍で瑠菜を見守っていただけの配偶者。


 全貌を知ったのに、未だにこのぬいぐるみを捨てられない未練に、日向は自分が情けなくなった。


「巻き込んですまなかった。止められるとは思えないが……親族として、最後まで何とかしてみる」


 話を終えて、旭は立ち上がった。


 日向を振り返らずに、一人で旅立とうとして――。


「ここは安全だと思うが、早く降りて避難所に向かうんだ」


 最後まで、不器用ながらも日向が傷付かないよう気を回していた。


 ミッションと言いつつ、気絶でもさせて強制連行することはできたはずだ。


 旭はそれをしなかったのを思うと、頭も胸もぐちゃぐちゃになってしまう。


「うん……ありがとう。さようなら」


 膝を抱えたまま、日向は別れを告げる。


 振り向きもせずに、足音が遠くなっていくのを聞きながら。


 ただ、推しに裏切られたことに嘆いた。


 瑠菜よりも辛い経験なんてしていないのに、勝手に涙が溢れてくる。


 今は何もしたくない。


 いっそ、このまま終わらせてくれたらいいのに。


 だけど、罪のない人を殺すべきではない。


 矛盾した思考がぐるぐると回り、立ち上がることすら億劫だった。


 それでも、ふと脳裏に浮かんでくるのは、旭と過ごした数日間だ。


(瑠菜さんは歪んでても、幸せそうだった。でも、あの人はどうなるんだろう……?)


 一緒に行かない選択をしたのに、どうにも彼のことが離れなかった。


 責任感が強く、行く先々で死んだ人たちに祈りを捧げていた人。


 瑠菜とヤハンがやったことで、彼自身の罪ではないのに。


 日向の足元に、猫たちが寄ってくる。


 お土産でもくれるかのように、そっとトカゲの死体を置いてきたのだ。


「私、そんなの食べないのよ。猫ちゃんたちで食べてね」


 とは言っても、猫たちはゴロゴロと喉を鳴らして擦り寄ってくるばかりだ。


「猫がやたらと多いのって……危険なところからテレポートでもさせたのかな。ほんと、偏った神様ね」


 何となく理解したのは、猫たちが首輪をつけていることからだ。


 動物たちに優しく、人類に厳しい時代が到来する――瑠菜の気持ちは、完全に分からなくもない。


 罪に同調するような感情が、日向の心の重りを増やした。


「にゃあ」


 もふもふとした猫が、また別のものを咥えて持ってきた。


 それは旭が持っていた、懐中時計だ。


 両親にもらったものだという――きっと落としてしまったのだろう。


「あの人、ちょっと抜けてるよね」


 離れるつもりだったのに、日向はそれをそっと拾った。


 ハンカチに包んで、傷がつかないように。


(私には親はいないけど……これはきっと、あの人の拠り所だから)


 旭は眠る前に懐中時計を握りしめて、起きるまでずっと持っている癖がある。


 本当はずっと、心細かったのかも知れない。


 強い彼を見てきたから、あの時はただの癖だと思って片付けてきたことだ。


 涙を拭って、日向は立ち上がる。


 ここに残らず、彼を追う旅立ちの決意と共に――。



 岩陰を通り過ぎると、背後から急に日が差した。


「暑っ……」


 先ほどまでの曇り空が嘘のように晴れ、夏の太陽は燦々と大地を照らす。


 日向はそれを見上げて、慌てるように下山するのだった。

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