我が家のルール(まな板編)
わが家には、まな板に関する暗黙のルールがある。
「使ったら、すぐ洗って立てかけること」。
これは清潔のためでもあり、台所を気持ちよく保つためでもあり、何より奥さんの機嫌を保つための重要な作法である。私はそれを理解している。理解しているどころか、理屈としては全面的に賛成だ。
ある日、私はまな板を使った。そして例によって、
「使ったらすぐ洗って立てかけてよ!」
と叱られた。
まったくそのとおりである。反論の余地はない。私はキーボードを打つ手を止め、素直に台所へ行き、まな板を洗って立てかけた。ここまでは模範解答だ。
すると、ほぼ間髪入れずに、奥さんがそのまな板を取り、バターを切り始めた。
ああ、なるほど。バターを切りたかったのか。私はそう理解し、部屋に戻った。数分後、水を飲もうと台所に行くと、そこには――使われたままのまな板が置いてあった。
立てかけられていない。洗われてもいない。
理屈でいえば、これは完全に矛盾している。さっきまで「使ったらすぐ洗え」というルールが存在していたはずなのに、それは一瞬で消滅している。しかし、この矛盾を指摘しても、何ひとつ良いことは起きない。むしろ余計な摩擦が生まれるだけだ。
ここで重要なのは、正しさではない。
この出来事は、まな板の話ではなく、役割の話なのだ。
私が使えば「すぐ洗うべきもの」になり、奥さんが使えば「あとでまとめてやるもの」になる。ルールは同じように見えて、適用対象が違う。家庭とは、そういう場所である。
だから私は思った。
まあ、私の負けということでいいか、と。
この「負け」は、屈服ではない。納得でもない。ただ、場を荒立てない選択をしたというだけだ。家庭生活において、勝ち負けを決める試合は存在しない。あるのは、その日を平穏に終えられたかどうかだけである。
その意味では、私は今日も負けていない。
洗われていないまな板を見て、静かに水を飲み、何も言わずに部屋に戻れたのだから。
たぶん、こういう小さな「まあいいか」の積み重ねが、夫婦という関係を今日も存続させているのだと思う。




