身近な科学は、どこへ行った
最近つくづく思うのだが、学校という場所では「身近な科学」をほとんど扱わない。
理科はある。実験もある。
だが、それはあくまで教科として切り出された科学であって、生活の中に転がっている科学ではない。
たとえば炭酸水素ナトリウム。
理科では「加熱すると二酸化炭素が発生する」と教える。
家庭科では「ホットケーキに入れると膨らむ」と言う。
そして話は、そこで終わる。
なぜ入れるのか。
量を変えたらどうなるのか。
他にどんな場面で同じ現象が起きているのか。
そういう「考える余地」は、最初から用意されていない。
そもそも、今の子供はホットケーキを作らない。
食べるものだからだ。
ホットケーキは、ホットケーキミックスを買ってくる。
粉の中身を考える必要はない。
失敗もしない。
失敗しないということは、原因を考える必要もないということだ。
これは料理に限らない。
洗濯もそうだし、掃除もそうだし、道具の扱いもそうだ。
現代の生活は「結果」だけが手元に届くように設計されている。
プロセスは、すべて外注されている。
その状態で学校に行き、
「自分で考えましょう」
「主体的に学びましょう」
と言われても、正直、無理がある。
考えるという行為は、才能ではない。
材料が必要だ。
材料とは、知識であり、経験であり、失敗であり、比較対象だ。
それらが頭の中に溜まって、初めて思考は回り始める。
だが学校は、その材料になる「生活の科学」を扱わない。
扱うのは、正解が決まっている実験と、答えが一つの問題だけだ。
結果として何が起きるか。
科学は「遠いもの」になる。
自分の生活とは関係のない、テストのための知識になる。
一方で、生活の中には相変わらず科学が満ちている。
掃除をすれば物理が働き、
料理をすれば化学が起き、
道具を使えば力学が立ち上がる。
だが、それを「科学だ」と言語化する場がない。
だから多くの人は、大人になってからもこう思う。
科学は難しい。
理科は苦手だった。
自分には向いていない。
本当は逆だ。
科学が、生活から切り離されていただけなのに。




