思春期のまま大人になったリベラル
リベラルはなぜ国家を敵視するのか。
ずっと考えてきたが、ようやく腑に落ちた。
あれは思想の問題ではない。
反抗期だ。
ここで言う「思春期」というのは、悪口ではない。
発達段階の比喩として、かなり的確だと思っている。
思春期という時期には、独特の感覚がある。
世界は間違っていると強く感じる。
正しさは直感的に分かる。
大人の事情や前例は、「言い訳」に見える。
ただし、後始末や責任は、まだ引き受けない。
この感覚自体は、間違っていない。
むしろ、社会にとって必要な感受性だ。
世界を疑い、既存のルールを問い直す力は、
この段階からしか生まれない。
問題は、そこに次の要素が加わらないまま、
年齢だけを重ねてしまうことだ。
現実装置――制度、国家、責任。
悪意の存在。
失敗したときの回収。
これらを引き受けないまま大人になると、
どうなるか。
正しさは鋭い。
怒りも純粋だ。
だが、設計が荒い。
制度の抜け穴を考えない。
悪用の可能性を想定しない。
指摘されると、
「分かっていない大人が邪魔をしている」
という話になる。
この構図は、思春期の反抗とそっくりだ。
先生は国家に置き換わり、
校則は法律になり、
学校は制度になる。
国家=権威=敵。
制度=古いルール。
法律=抑圧。
だから国家を信用しない。
だから制度を壊したがる。
しかし、代替の運営案は出てこない。
理想だけを語るリベラルは、
まだ現実に触れていない夢を追いかけている少年なのだ。




