無敵の奥さん部屋
住まいの話は、だいたい小さな不満から始まる。
騒音でもなく、家賃でもなく、ほんの一部分の違和感だ。
今回の話も、きっかけは床だった。
たかが絨毯、されど絨毯である。
正しさや合理性を並べても、生活はそれだけでは動かない。
夫婦で暮らしていると、そういう場面に何度も出会う。
これは、そんな小さな違和感が、
いつのまにか外交問題になり、
最終的に現場対応で決着した話である。
今のマンションは気に入っている。
立地も悪くない。静かとは言えないが、階段を下りてすぐにドラッグストアがあり、簡単な食べ物や日用品なら思い立ったときにすぐ買いに行ける。
間取りも二人暮らしで3LDK。洋室とリビングとダイニングキッチンが一体になっていて、仕切りがない分、実際の広さ以上に開放感がある。
私と奥さんの部屋は引き戸で仕切られている。
完全に遮断されているわけではなく、声をかければ返事ができる距離感だ。
それでいて、閉めればそれぞれの空間になる。
ほどほどのプライバシーが、間取りによって自然に保たれている。
そんな中で、唯一の不満がカーペットだった。
引っ越す際、私は奥さんをねぎらう意味も込めて、押し入れをクローゼットにしてもいいと言った。
荷物も多いし、服も多い。そうした配慮のつもりだった。
ところが、なぜかその言葉は、
「自分の部屋を好きに模様替えしてもいい」
という意味に変換されたらしい。
不思議である。
業者が呼ばれ、部屋全体どころか、私の部屋にまで改装計画は侵食した。
壁紙が追加され、床をフローリングからカーペットにリフォームするという話が出た。
元が畳なら、まだわかる。
だが元はフローリングである。
しかも毛長の絨毯だという。
汚れる。
掃除しにくい。
ダニの温床になる。
ハウスダストが溜まる。
私は大反対した。
せめてラグマットにしよう、と提案した。
汚れたら交換できる。
めくれば掃除も楽だ。
合理的な落としどころだと思った。
だが、その案は頑として受け付けられなかった。
拒否権はなかった。
常任理事国になりたいと、本気で思った。
結局、押し切られて絨毯は敷かれた。
そして半年が経った。
ある日、奥さんが鼻が詰まって寝られないと言い出した。
そりゃそうだ、と思った。
絨毯は掃除しにくい。
ダニの温床になる。
ハウスダストが溜まる。
奥さんはアレルギー体質である。
私は鈍い。何も感じない。
「だから反対したじゃん」と言うと、
「繰り言いっても仕方ないじゃん」と返ってきた。
絶句。
しかし、その通りだと思った。
正しいが、今それを言っても意味はない。
さらに私に向かって、
「掃除して!!」
と言う。
自分でやれ。
自業自得だ。
そう言うと、
「私、掃除の才能ないもん」
掃除って才能だろうか。
そう思いつつも、結局私は動いた。
ロボット掃除機、出動。
私はコロコロを手に取り、めくってはコロコロ、めくってはコロコロ。
無限ループである。
家中の空気清浄機を、奥さんの部屋に集結させた。
総力戦だった。
その結果、
無敵の奥さん部屋が完成した。
正しかったかどうかは、もうどうでもいい。
勝ったか負けたかも、どうでもいい。
ただ一つ言えるのは、
生活というのは、正しさで動いていないということだ。
理屈は通っていても、感情は別に動く。
間取りは便利でも、床材一つで空気は変わる。
そして、最後に動くのは、たいてい鈍い方である。
私は、今日もコロコロをめくっている。
めくっては、コロコロ。
めくっては、コロコロ。
常任理事国になる日は、まだ先のようだ。
振り返ってみれば、勝ち負けを決める話ではなかった。
誰が正しかったかを証明する話でもない。
ただ、鼻が詰まって眠れない夜があり、
コロコロをめくり続ける時間があり、
空気清浄機が一部屋に集結しただけだ。
結果として、奥さんの部屋は無敵になった。
それでよかったのだと思う。
生活は、論理よりも先に体調が支配する。
正論は、眠れない夜の前では力を失う。
今日も私は、コロコロを手に取る。
拒否権はないが、掃除権はある。
それが、今の我が家のバランスである。




