アイドルは尊い
アイドルという存在を、少し距離を置いて眺めてみると、
そこには感情論では片づけられない、
妙に整った、そして少し歪んだ構造が見えてくる。
この文章は、誰かを裁くためのものではない。
怒るためでも、正しさを証明するためでもない。
ただ、その構造を見たまま置いてみたら、
最後に残った言葉が「尊い」だった、という話だ。
アイドルは尊い 、という言葉を聞くと、たいていは「かわいい」とか「一生懸命」とか、そういう文脈で使われる。
でも、私が最近思う「尊い」は、もう少し違う場所にある。
アイドルという言葉の語源は「偶像」だ。
つまり、信仰の対象。
現実の人間でありながら、現実以上のものを背負わされる存在。
恋歌を歌う。
けれど恋愛は禁止される。
大人の感情を表現する。
でも私生活では、それを持ってはいけない。
冷静に考えると、かなり無理がある。
しかも多くの場合、アイドルは未成年、あるいは二十歳そこそこだ。
その年齢で恋人がいない方が不自然なのに、「いない設定」を守り続けることが求められる。
それを破れば、謹慎。
下手をすると引退。
職場環境として見れば、ブラックもいいところだ。
それでも、アイドルは舞台に立つ。
笑顔で歌う。
恋の歌を歌いながら、恋をしていないことを期待される。
ここで、ふと気づく。
これは努力とか根性の話じゃない。
これは信仰だ。
ファンは、わかっている。
本当は恋人がいるかもしれないことも。
普通の人間として生きていることも。
それでも信じる。
信じることを選ぶ。
それは、嘘を真実だと思い込むこととは違う。
「そうであってほしい世界」を、みんなで支える行為だ。
だから私は思う。
それを真に受けているファンは、ある意味で偉大だ。
そして、その期待を一身に背負わされるアイドルも、同じくらい偉大だ。
尊さとは、清らかさのことじゃない。
壊れないことでも、間違えないことでもない。
無理な構造の中に立たされながら、
それでも誰かの夢を壊さないように立ち続けること。
その姿勢そのものが、尊い。
だから私は、アイドルを尊いと思う。
理不尽な構造を理解した上で、
それでも「笑うしかない」と距離を取りながら、
なお敬意を失わずにいられる存在として。
皮肉だけど、
そうやって見たときに初めて、
アイドルは偶像ではなく、人間として尊く見える。
アイドルは尊い。
それは、夢だからではない。
現実の矛盾を一身に引き受けて立っているからだ。
書き終えてみて、
結局この文章は、アイドルについて書いたようでいて、
人が「信じる」という行為そのものについて書いていた気がする。
アイドル=偶像
つまり、アイドルシステムとは偶像崇拝だと思う。
夢だと分かっていながら、
それでも壊さないように扱う。
矛盾していると分かっていながら、
あえて目をそらさずに受け止める。
その態度は、
批判よりもずっと難しく、
皮肉よりもずっと誠実だ。
「笑うしかない」と言いながら、
それでも敬意を失わない。
その距離感こそが、
本当の意味での尊さなのかもしれない。
この文章を読んで、
何かを好きでいる自分のことを、
少しだけ肯定できたなら、
それで十分だと思っている。




