ウィキペディアと断捨離
ネットで活動するとき、私は「累ヶ淵」という名前を使っていた。
本名でもなければ、特に意味のあるペンネームでもない。
ただ、ネットの中の私は“幽霊みたいな存在”だと思っていたから、怪談の「真景累ヶ淵」から名前を借りただけだ。
画面の向こうにいるのは、姿のない自分。
魂の切れ端みたいなものだけが漂っていて、
誰の記憶にも残らず、触れれば消えてしまうような存在。
そんなイメージが、妙にしっくりきていた。
ある日、テレビで「断捨離」という言葉が紹介されていた。
当時はまだ一般的でもなかったし、SNSで盛り上がっているわけでもなかった。
ネットの住民たちも、こういう“生活改善”の話題にはまるで興味がない時代だった。
で、ふと Wikipedia を覗くと——
「断捨離」のページが、ない。
あ、載ってないんだ。
じゃあ書いとくか。
それくらいの気持ちだった。
初めてに近い Wikipedia 編集だったし、ルールもよくわかっていなかったから、
出典も貼らず、リンクもつけず、
ただ「こういう意味ですよ」と簡単な説明を書いただけ。
そのままページを作って、そっと閉じた。
そして忘れた。
数年後、なんとなく思い出して Wikipedia を覗いてみた。
自分の書いた文章は——全部、綺麗に消えていた。
「あっらー」とだけ思った。
それ以上でも以下でもない。
誰かが書式を整え、
誰かが出典を貼り、
誰かが文章を肉付けして、
今やひとつの“文化概念”として立派な項目になっていた。
私の文章は跡形もなかったけれど、
ページのいちばん下にある編集履歴には、
ページ作成者:Kasanegafuchi
と、しっかり残っていた。
幽霊みたいな存在の私が、
知らない間に文化の土台に触れていた。
そんな不思議な感覚だった。
別に誇らしいわけでもないし、
「私が最初です」なんて主張する気もない。
ただ、あのとき漂っていた“ネットの幽霊”が置いた小さな種が、
いまでは大きな木みたいに育って、
誰かの役に立っているのかもしれない。
それがなんだか妙に面白くて、
私は今日も画面の向こうにたましいを浮かべながら、
「あっらー」と笑っている。




