価格を決めないという選択〜希望小売価格はいつ決めるべきか〜
ただ、ずっと引っかかっていたことがある。
希望小売価格という言葉が、
いつからか「正しい価格」や「守るべきもの」のように扱われ、
そこから外れた瞬間に、誰かが悪者になる。
本当にそうだろうか、と。
市場は、もっと単純で、もっと正直なはずだ。
高ければ買わないし、欲しければ払う。
それだけの話なのに、
そこに正義や感情が入り込んだ途端、話はややこしくなる。
これは、転売の話ではない。
価格をどう決めるか、
そして「決めない」という選択について考えた、
ただそれだけのエッセイである。
希望小売価格という言葉を、私はあまり信用していない。
とくに、ある特定メーカーが市場を独占しているゲーム機のような商品では、なおさらだ。
希望小売価格とは、本来、市場に競争があり、供給が安定している状況で、はじめて意味を持つ。
代替品があり、他社も同じ土俵に立っているからこそ、「このあたりが妥当だろう」という目安になる。
しかし、独占状態の商品は違う。
そのゲーム機は、そのメーカーしか作れない。
同じものは他に存在しない。
発売初期は供給も明らかに足りない。
この状態で提示される希望小売価格は、もはや「価格」ではなく、「メーカーの希望」にすぎない。
市場は正直だ。
安すぎれば、即座に反応する。
それが転売価格という形で現れる。
転売が悪だ、という議論をよく見かけるが、私はそうは思わない。
貴重なものを手に入れ、それを欲しい人に売る。
これは商売の基本中の基本だ。
問屋も、小売も、不動産も、株も、すべて同じ構造をしている。
転売だけを切り出して「悪」と言うのは、感情論でしかない。
本当に歪んでいるのは、価格決定の放棄だ。
メーカーが「安く売る」ことを正義にしてしまうと、必ずこうなる。
需要が供給を上回り、品薄になり、市場が別の場所で価格を決め始める。
その別の場所が、オークションだ。
だったら、最初からメーカーがオークションをすればいい。
これは変な話でも、過激な話でもない。
むしろ一番素直だ。
オークションにすれば、
欲しい人が、払える額で買う。
買えない人は、価格が下がるまで待つ。
市場原理が、きちんと働く。
転売業者が入り込む余地もなくなる。
メーカーは赤字を出さずに済む。
消費者も「価格の結果」として納得しやすい。
よく言われる反論がある。
「金持ちしか買えなくなるじゃないか」と。
正直に言うと、それが何か問題なのか、私にはわからない。
ここは資本主義の国だ。
高額商品が、まず購買力のある層から渡るのは当たり前だ。
新車も、最新の電子機器も、高級家電も、最初はそうだ。
一般の消費者は、需要と供給で価格が下がるまで待つ。
それだけの話である。
なぜかゲーム機だけが、「みんなが同時に、同じ値段で買えるべきもの」扱いされる。
その前提こそが、幻想だと思っている。
メーカーが価格を決めることを恐れ、
市場に委ねることを避けた結果、
転売叩きという奇妙な正義が生まれた。
私は、転売を成敗したいわけでも、メーカーを責めたいわけでもない。
ただ、思うだけだ。
独占商品なら、最初から市場に価格を決めさせればいい。
それだけで、ほとんどの問題は消えるのに、と。
――そして、ここからが本題だ。
需要が一巡し、
「この価格ではもういらない」という層が現れ、
市場価格が自然に下がり始めたとき、
そこで初めて、希望小売価格を出せばいい。
希望小売価格は、最初に上から押さえつけるためのものではない。
価格が下がりすぎないように、下支えするための目安として使う。
本来の役割は、そこにある。
最初は市場に任せ、
需要が満たされたあとで、
「このあたりが妥当だろう」とメーカーが示す。
それなら、希望小売価格も、市場も、どちらも嘘をつかない。
書き終えてみて、
この文章は「希望小売価格を否定する話」ではなかったのだと、あらためて思う。
問題は、希望小売価格そのものではない。
それをいつ、どの順番で出すのかという話だった。
最初から価格を決めてしまうから、
市場は別の場所で正直な値段を作り、
その結果として、転売や怒りや誤解が生まれる。
一度、市場に任せてみる。
需要が満たされ、価格が下がり始めたところで、
下がりすぎないための目安として、希望小売価格を置く。
それだけで、多くの摩擦は消える。
この考え方が正解かどうかは、正直わからない。
ただ、感情や正義を持ち込まずに考える余地は、
まだ残っているはずだと思っている。
価格は、善でも悪でもない。
ただの結果だ。
この文章が、
誰かが少しだけ冷静に「値段」を見るきっかけになれば、
それで十分だと思っている。




