ララァ・スンとフォウ・ムラサメ
ララァ・スンとフォウ・ムラサメは全く違う悲劇のヒロインだと思う。
どちらも印象が強く、
どちらも死によって記憶に残る少女だ。
でも、この二人はまったく別の役割を持っている。
決定的に違うのは、
「物語として機能しているかどうか」だと思う。
ララァ・スンは、徹底して物語の中にいる。
彼女は、
シャアとアムロをつなぎ、
ニュータイプという概念に意味を与え、
二人の対立を深めるために存在している。
彼女の死は、
悲劇ではあるが、無駄ではない。
死んだことで、
登場人物の感情が整理され、
物語が前に進む。
視聴者も理解できる。
「ああ、そういう役割だったんだ」と。
痛みはあるが、
意味は残る。
だからララァは、
物語的に“回収される”。
一方で、フォウ・ムラサメは違う。
フォウは、
誰かの思想を完成させない。
誰かの目的を果たさない。
死んでも状況は好転しない。
彼女がいなくなっても、
戦争は続くし、
世界は何も変わらない。
そこにあるのは、
理由のない喪失だけだ。
正しい行動をしても、
分かり合えたとしても、
結果は変わらない。
この「何も起きない感じ」が、
フォウの本質だと思う。
だからフォウは、
悲劇のヒロインとして整理できない。
救済もないし、
教訓もない。
あるのは、
空虚だけ。
それは欠点ではない。
むしろ、現実に近い。
現実の戦争や事故は、
誰かの成長や物語の完成のために
起きるわけじゃない。
意味がないまま、
人は失われる。
フォウ・ムラサメは、
その現実を、
初めて真正面から突きつけた存在だった。
だからトラウマになる。
ララァの死は、
語れる悲しみだ。
フォウの死は、
語りきれない傷だ。
後のアニメに影響を与えたのは、
ララァの神話性ではない。
フォウの空虚さだと思う。
努力が無効になる感覚。
愛情が報われない感覚。
正しさが意味を持たない世界。
それらは、
後の作品で意識的に使われる
構造になっていく。
ララァ・スンは、
物語の中で輝く。
フォウ・ムラサメは、
物語の外側に穴を開ける。
どちらが上でも下でもない。
役割が違う。
でも、
「忘れられない」のは、
たいてい後者だ。
意味のある悲劇より、
意味のない喪失のほうが、
心に長く残る。
ガンダムが残したものの中で、
いちばん重たいのは、
フォウ・ムラサメの、
あの空白なのかもしれない。




