15
軟膏は覿面に効いた。
単に火照った足を冷やしただけではなくて、筋肉まで解されたかのように元通りになった。歩き出してから驚いている私にアルトは、
「一時的な物だからな、後からくる。完全に治ってるんじゃなくて、誤魔化されてるんだ。だからあまり調子にのってとばさない方が良いぞ」
と忠告した。
横倒しになっていた木を軽快に飛び越えたところだった。
中に入ってみると昨日の森と今日の森は全く違うことがわかった。昨日の森はそこかしこで音がしていたけど、この森は音がしていなかった。
聞こえるのは木々の葉が擦れるザザザ、という音だけだ。
すごく不気味。
アルトが言うには、ここの土壌が問題らしい。汚染された土は人体には影響がないものの、微生物は住めない。微生物を主食とする昆虫も住めず、昆虫を餌にする小動物もそれを餌にする大型動物も住めないのだという。唯一生えている植物は特殊な進化を遂げ、土壌の汚染物と光合成で栄養を作り出して成長しているそうだ。そのため植物の体には汚染物が巡り、生物は食べることができない。
「だからここにはカーマはいねえ」
それを聞いた私があからさまにホッとした顔をしたので、アルトがニヤリと笑った。
またも道なき道を迷いもせず進んでいくアルトを追いかけながら、森を見回す。
向こうの世界では都会ではないけど、街中に住んでいたので、森、というものがすごく新鮮にうつる。昨日は不安が先に立って、回りを見る余裕なんかこれっぽっちもなかった。
幹がすごく太い木に蔦のような物が絡まって育ち、上の方で花を咲かせていたり、茎も葉も出さず、いきなり花が地面から生えていたり、見飽きない。
「前を見て歩かないか?」
時折立ち止まったり、キョロキョロと回りを見る私を胡乱げな目で見たアルトがため息をつく。
「珍しいのはわかるけど、足を動かせ。せめて立ち止まるな」
「・・・はい」
子供を叱るかのように頭をポンと極軽く叩かれた。殊勝な顔をして俯いたのが見えたのか、彼はもう一度ため息をついて、また歩き出した。
私ももう立ち止まりはしなかった。
葉擦れの音しかしない森に私たちの足音だけが異様に響く。
不意に前を歩いていたアルトが立ち止まり、待て、手を上げた。
すぐ後ろを歩いていた私は危うくぶつかりそうになって、寸でのところで踏みとどまる。
抗議の声を上げようとアルトを見ると、彼は目を細めて前方を睨み付けていた。一体何があるのかと、アルトの向こう側を覗き見たけど、特に何も見えない。
「何かあるの?」
「しっ、声を出すな。それ、被れ。急げ!」
油断なく前を睨み付けたまま、私の腰帯についている被り物を指差した。
まわりに誰かいるんだ!
さすがの私でもそれを悟って、急いで被り物を腰帯から外し、頭から被る。
フードを被った上からとかどうでもいい。とにかく穏便に事を済ませたい。
私が被り物を被ったのと、彼らが現れたのはほぼ同時だった。
アルトが前に立っていたからはっきりと人数はわからないけど、少なくとも5人が森の奥から出てきた。
「ああ、珍しいな。担い手様かい」
「と、その見習いか」
「ロラーザへ?」
厳しい顔をしたままのアルトは静かに頷いた。
「そうですかい。儂らも今ロラーザに行ってきたところなんだが・・・お二人がロラーザに着いたら雨は止みますかねえ」
「私たちは知らない。天のみぞ知ることだろう」
アルトが少し体を横にずらして、彼らが見えた。
アルトの手が私の腕をすっと掴む。
「ははは、そうでしたなあ。」
ニヤニヤ笑いを浮かべた彼は数人の仲間と視線を交わし、木々が邪魔して見えない空を仰いだ。
「晴れた方がさぞかし気持ちが良いでしょうなあ、見習い様」
思わず頷きそうになりながら、彼らから視線を逸らす。なんだか答えない方が良さそうな質問に、“見習い”という状態を最大限に活用した。
“見習いの中には師以外とは話さない者もいる”
心臓の音がやけに響いて聞こえる気がするのは、多分気のせいじゃない。
嫌でも目に入る。
彼らの身に纏っている空色が。
「ローグどの、私たちは天からのご指示あってこそ行使するのであって、コルティリア3世の為には行使しない」
「なんと無礼な!」
「良い良い、担い手様もそうしたくてしてるわけではないさ」
興奮して声を上げた別の男性をローグと呼ばれた彼は笑って諌めた。
「おっと、儂らも急いでるのだったな。引き留めで悪かったですなあ」
ちっとも悪びれずに何を言うんだ。
「どうぞお二人の空が晴れますように」
「ああ、ローグ殿も」
アルトは私の腕を掴んだまま早足で歩き出して、ニヤニヤ笑いを浮かべたままのローグの横を通りすぎた。
半ば引きずられているかのように歩かされて、掴まれている腕が痛い。
すれ違い様、彼らと一瞬目が合った。
アルトとずっと言葉を交わしていたローグは、禿げ上がった頭をテカテカと光らせて、右耳にリング状のピアスをつけている。
ニヤニヤ笑っている口許に黒子が1つあって、前歯が1本ない。
それだけ確認して、何の感情も見えないように目をそらした。
万が一出会ってしまった時の為に、彼の特徴を頭に叩き込まないと。そんなこと起きてなんかほしくないけど。
無理に追って来ようとしないところを見ると、彼らは私が託されし者だとは気づいてなかったみたいだ。アルトに引きずられながら、見えない場所まで来たところでホッと一息つく。
「いや、気づいてるな。瓶を見てないから確信出来てないだけだ」
者の見事に否定されて私の一息はため息に変わった。
「コルティリア3世って王様?」
「そうだ。現国王は若干17才で王位に着かれたから、もう40年以上になるな。コラルータでは最も長い治世をおいていて、賢君と言われている。で、さっきのローグは宰相に当たる人物なんだが、宰相ってわかるか?」
「王様の次に偉い人?」
「まあそんな感じだな」
それまでずっと厳しい顔をしていたアルトがフッと微笑んで歩みを弱めた。側にもうローグたちはいないからと気づいて、息を弾ませながら安堵する。
「そんなに偉い人が外で人探しなんてしてていいの?大丈夫、この国?」
「さあ?俺は政治はわからねえからな。でも普通はヤバいと思うよなあ」
彼はさっき私をかるく叱った時と同じ様にやれやれと肩を竦めた。
「まあ俺らには関係ないこった」
「じゃあとりあえず、あの禿げは偉くて、捕まるとヤバいから逃げる。その認識であってる?」
「それでいい」
アルトの笑い声が葉擦れの音に重なった。
森から出たとき、アルトは眉を歪めて空を見上げた。
「雨が止んでる」
ずっと降り続いていた小雨はいつの間にか止んでいた。青空までは見えないけど、空はずいぶん明るく見える。
「もっとしっかり晴れてほしいよ」
むすっとした顔で私も空を見上げる。
「どうだろうな」
それを見てアルトは曖昧に頷いた。
森はコルネリアのときとは違って、いきなり途切れることはなかった。鬱蒼と茂っていた木々が疎らになり、苔に覆われていた地面にはむき出しの土がちらほらと表れる。
さらにその先に壁があった。それはコルネリアのように周りから身を守るかのように背の高い壁だった。でもそれ以外に同じなのはレンガ造りという点だけで、こちらの方がずっと古い印象を受ける。
ところどころ崩れていたり、中が見えそうなほど深い穴が空いている場所もあった。
「これがロラーザ?」
「そう。門はあっちだ」
アルトが指差した方向、ずっと遠くに確かに門のようなものが見えた。
「そんなに大きくないね」
端から端まで見えるし、人が米粒には見えない。というか、見える範囲には人はいないけど。
「これが普通サイズなんだよ。コルネリアは異常なんだ。俺たちでも端から端まで確かめたことはねえ」
壁をもう一度見回して、私たちは歩き出した。
ありがとうございました。




