限界
いきなり女子寮に姿を現したあの男。
もうすでに私と結婚するような口ぶりで女子寮どころか私の部屋の中にまで入ってこようとしていた。
私はあらん限りの力ですぐさま扉を閉め、すぐさま鍵をかける。
部屋に入ってくることは阻止できた。
『あれ? アンヌ。どうしたの? まだ体調悪かったりするの? 僕が看病しようか? ねえ!』
ドンドンドンドン——!!
何度かノックの音はしたがしばらくすると音が止んだ。
危機が去ったことに安堵し息を吐くが心臓がかつてないほど動悸する。
今もドアノブから手を離せない。その手が小刻みに震えカタカタとドアノブが音とたてていた。
あの男が帰ったタイミングを見計らい扉を開けた。
最後にノックされてから30分ほど経過してから扉を開けたのが幸いしたのか部屋の前には誰もいなかった。
私は安心で息を吐いてから、すぐに寮を管理している寮管理事務所へと向かった。
「なぜ、この女子寮に男性がいるのですかっ!!」
乱暴に扉を開けた私の剣幕にやや戸惑ったような事務室の女性職員たち。
「ち、ちょっと待って。何のことですか?」
掃除業者まで女性であるこの寮の中に男性がいたとなれば、さすがに動揺しているようだった。私はその様子に少しだけ落ち着くことができた。一度深呼吸をして事情を話す。
「私の部屋に男性が訪ねてきたんですが、寮の管理は一体どのようになっているのでしょうか」
「え。何それ……誰か知ってる?」
この人は関わっていないようだ。誰かいないのかと周りを探すと一人の女性が手を挙げた。
「あ、私です。婚約者に会いに来たとおっしゃってました」
悪びれもないその様子から自分は全く悪くないと思っていることが伝わってきた。
そして、婚約者と言う単語を聞いてほっとしたのか話していた女性はころりと笑顔を向けた。
「あら、ご結婚されるの?」
「違います!」
「えー、でも相手はあのレオンハルト様ですよ」
「あの人が勝手に言っているだけです!!」
どうやらあの男はここでもそれなりの人気があるらしい。
美形と言うのは中身までいろいろと美化されているようだった。外と中身はまるで違うのに。腐った卵と同じように割ってみないと中身が判断できない。
「照れてるだけじゃない?」
「相手が相手だと気後れするのも無理ないわ」
誰一人として私の言葉が届かない。
美形の男に言い寄られて照れているだけだと判断された。
「……お願いしますから。男性を立ち入れないようにしてください。寮の規約でもそのようになっています」
私は真剣に頭を下げる。私がこの寮に住むことを決めたのは家族ですら容易にここに入ってこれないと聞いたからだ。実際に家族でも面談室を使うようにと寮の規約にも記してある。
「んー、でも話し合いも必要だと思うのよね」
「一度は彼の話を聞いてあげたらどうかな」
この瞬間に私はこの人たちに期待することはやめた。
ここも私が安心していられる場所ではなくなってしまった。
その日の夜は、扉の前に机を置いた。窓にもしっかりと鍵がかかっていることを確認し、決して開かないようにロープで固定した。自意識過剰かもれないが、そうでもしないと夜も眠れなかった。
◆
その次の日も、その次の日もあの男はやってきた。
私の母が来たこともあった。
「ほら、早く出てきなさい。結婚前には準備が必要なんだから。今から準備しても遅いくらいよ」
私は決して認めてなんていないのに結婚の準備をさせようとする。母は向こうの気が変わらないうちにと急いているみたいだった。あの男の家から何か言われたのかもしれない
あの男もあの男で何か変わるわけではなく遠慮なくドアをノックする音が耳を劈く。
『おーい! アンヌー!』
声が聞こえるとあの男がずっと部屋の前にいるということだ、私はその間は部屋から出ることができなかった。外泊をすることも考えたが、お金が尽きたらもう後がない。なるべく使わないでおく。
扉の向こうにいる男が早く去るようにと私は神様に願った。
一人で勝手に話をして、しばらくすると諦めて去っていったがもしも部屋の外にいると思うと私はなかなか外に出ることができなかった。
寮の人たちは私の言葉を聞いてくれない。
人に期待できないということは人を信用できないということだと思う。
もともとひねくれ者の私だ、それくらいは分かりきっていたのに。なぜこうも悲しく思えてくるのだろう。
次の日も扉がノックされる。
わずかに肩が震える。
もうノック音すら私は怖くなっていた。
『アンヌさん。お客様がいらしてます』
あの男ではないことにほっとした。
だが、この寮の人だと分かると私は疑いの目で見てしまう。
どうにもここの人たちは私とあの男の状況をまるで恋愛劇を見ているかのように楽しんでいる節がある。もう何度もあの男をここに連れてこないでほしいと言ったのだが、私の話は何も聞いてくれない。
「……どなたですか?」
私を訪ねてくる人間は限られている。
両親だったらもう応対するつもりはない。
あの男と尋ねないのは、あの男は勝手にここまでやってくるからだ。
『レダース部長です』
レダース部長は私の上司の名前だ。
まだあの人であればと思い、私は最低限の身だしなみを整えてから面談室へと向かった。もしかしたら仕事の事かもしれない。
面談室に行くと部長が立ち上がり私を出迎える。
「……アンヌ。元気か?」
「何の御用ですか?」
元気とは言えない。私は用件を尋ねる。
無礼とは分かっているが今はこの人に礼を尽くす気にはなれなかった。向こうも今回の負い目のこともあり何も言ってこない。
「聞いたんだが、レオンハルトと結婚することになったのか?」
「……私はお断りしました。婚約もしていません。母にも言われました。何度もお断りしていますが、そのことはお聞きになってないんですか?」
「……アンヌがレオンハルトのことを嫌っているのは知っているんだが……」
もごもごと口を動かすのは何か言いにくいことがあるときのこの人の癖だということが最近になって分かった。
「……その結婚受けてやってくれないか?」
分かっていたがこの人もあっち側の人間だった。私はさらに警戒心を強くする。上司でなかったら殴っていた可能性もある。
「なぜ部長があの人の結婚を気にかけるのですか?」
「……実は俺はあの子の叔父にあたるんだ。俺が婿に入ったから姓は違うんだが……生まれたときから知っている」
道理であの男に妙に甘いはずだ。この人があの男を叱っているところを見たことがない。 あの男も自分が部長と親しい関係ということで自由にふるまうことが出来るのだろう。
今回の一件だって甥っ子のためだと大人がしゃしゃり出てきた。もう十分「大人」と言ってもいい年齢なのにみっともない。それともこれがこの国の貴族子息の生態なのだろうか。比較対象が兄とあの男なので分からない。もしもそうなら、この国の未来は明るくないだろう。違うと願いたい。
「……お断りします。申し訳ございません、あの人は無理です」
私は断固として断る。照れ隠しなどの誤解が無いようはっきりと伝える。
レダース部長には私が嫌がっているのが伝わっている。それでも私にあの男と結婚しろと言うのだから酷い人だ。
レダース部長は机に手をつき頭を下げた。
私のような小娘相手に親の年齢と同じくらいの人が頭を下げている。その光景は見ていてあまりいい気分ではなかった。
「そこを何とか。あの子の気持ちを汲んでやってほしいんだ……あの子も結婚すればきっと変わる。レオンハルトは今ちょっとだけ素直になれないだけで」
この人に対しての最低限の礼儀というものがなくなっていく。あの男の身内とわかったのならこの人も私にとっては嫌悪の対象に入ってしまうようだった。
あの男を「あの子」と呼んでいる。実の親のように親しい関係なのかもしれないが、いつまでも子ども扱いしているからあんな風になったと思ってしまう。生まれた時から知っているこの人も間違いなくあの男の人間性を作った要因の1つでもある。
「それに、キミの家族のこともあるだろう。言っては何だが、キミの兄はその……いろいろと、なぁ?」
ちょうどいい言葉が見つからなかったが、決していい意味ではないことは分かる。
だが、それがなんだというのだ。家族を引き合いに出せば私が折れると思っているのなら私を買い被りすぎた。あの家族のために何かしようと言う気持ちはとっくに無くなっていた。
「……私の気持ちはどうでもいいのですね」
「それは……」
「頼んでもいないのに勝手に婚約者にさせられて非常に迷惑しています。他の人たちの幸せのために私だけが我慢してあの男と結婚してからも嫌味や嫌がらせに耐えろと? そんなのは絶対に御免です。私はあの男が大っ嫌いです」
「……どうすればいい?」
レダース部長はまだ食いついてこようとする。
私は内心舌打ちをした。
結局、私の話なんて聞くつもりはない。最初から自分たちにとって都合のいい返事以外は聞くつもりはないようだった。
「……どうしようもありませんよ。もうどうにかできるくらいの段階をとっくに超えています。そもそも初対面から私はあの男が嫌いでしたから」
初対面から私を舐めているあの態度。本人は余裕がある態度をとっているつもりのようだが、あれではただ人を煽っているだけだ。少なくとも私にはそう見えた。「一目惚れ」と言う言葉があるのだから、一目で嫌いになることだって当然ある。
「知ってました? あの男、私の書類を改ざんしていることがあるんですよ」
「さすがにそれは君に勘繰りすぎでは……」
「同じ書類を2枚作って渡したことがあります。あの男に渡したら渡した書類だけ数字が書き換わっていました」
いくら何でもおかしいと私だって気が付いた。
時間はかかるが同じ書類を用意して数値もミスが無いようにした。だが、あの男の手に渡った瞬間に数値が変わっていた。どう見てもあの男の仕業だろう。
「私が倒れた原因はあの男です。ここからなにがどのように変わるのですか?」
「……俺があの子を変えてみせる。信じてくれないだろうか?」
「あなたの一体何を信用しろと?」
私からの信頼と言うものがとっくに無くなっているのが気が付かなかったのだろうか。こんなことなら償いに休みをもらうのではなくあの男との接触を一切断たせるようにすればよかった。ああ、でもそれは現状を鑑みれば期待できないか。
「……もう二度と私に会いに来ないように言っておいて下さい。いつも部屋の前まで来られて非常に迷惑しているんです。結婚なんて冗談じゃない。はっきり言って……あの男と結婚するくらいなら死んだほうがマシです」
私は心の底からそう思う。
死ねば一瞬だが結婚すればあの苦痛が生涯にわたって続く。私にとってはそちらの方がつらい。
「いいですか。「私に会いに来ないでください」と「結婚もお断り」です。この二点をしっかりとお伝えください」
聞き間違いや都合のいい解釈などできないようにもう一度伝える。
「あ、ああ。わかった、伝えておく……」
——無理でしょうね。
私はレダース部長にはもう何も期待しない。
◆
そして、案の定というべきか今日の夜もあの男は私の部屋の前にやってきた。
『アンヌー! いいワイン持ってきてあげたよー。入れてよー』
声の調子から部長から私の言葉は一切聞いていないのだろう。レダース部長は結局、何もできなかったんだ。
次の日も、その次の日も変わらずあの男はやってきて私の部屋をノックする。
この音が私を狂わせる。
ドンドンドンドン——
『アンヌー』
夜眠っていても夢の中にまで聞こえてくる扉を叩く音とあの男に名前を呼ばれ私は目を覚ました。悪夢。まさしく悪夢だ。夢にまで見るなんて最悪だ。
自宅からも結婚についての話が進められていく書類が届く。すでに実家では婚約者という扱いになっているようだった。
最初から私の意思なんて聞くつもりがなかったようだ。
それでも私に声をかけたのは結婚生活を少しでもまともにさせるための最低限の措置だったのかもしれない。親としての優しさを見せたつもりなのだろうか。
私は限界だった。まだ残業していた方がマシだった。
怪我をするような嫌がらせをされているわけではないので事務局も動いてくれない。あの男は「婚約者に会いに来ているだけだ」と言い逃れをするだろう。それに婚約は家が認めたことだからただ私一人が喚いているだけだと一蹴されるだけだ。
そう遠くない未来に私があの男と結婚させられる。
「今まで放っておいていたくせに。こんな時だけよってこないでよ……」
長く一人でいた所為か、すっかり独り言が癖になってしまった。
私は決意を固める。
「……逃げよう……」
こんなところに居ても私は絶対に幸せになれない。
私が学院で勉強を頑張ってきたのはこんな日々を過ごすためではない。
絶対に違う。気が付くのが遅すぎたくらいだ。頑張って手につけた職を手放すことには抵抗はあった。だが、それらを全てを手放しても逃げると決めた。
あの男と結婚するくらいなら死んだほうがマシだと言ったが、どうして私が死ななければならないのか。
不思議なことに「逃げる」と一度心に決めると力が入る。その力の源はあの男への怒りや憤りからくるものだったに違いない。
私はすぐに行動に移せるように計画を立てる。
女の一人旅と言うのは危険だ。
女性が馬車も使わず一人で夜道を歩けばいろいろな目的で襲われる可能性が高い。何より襲いやすいことこの上ない。なるべく公共交通機関を使っての移動が主になる。
服も平民用の服を用意する必要がある、道中に旅の目的を尋ねられ「家庭教師の赴任先に向かうために」という言い訳を用意しておいた方がいいだろう。カモフラージュのための教科書などをそろえる必要もある。
そして肝心なのは逃亡先だ。
私は地図を眺める。
なるべくあの男が来なそうな遠方がいい。心理的にも物理的にも距離をおきたい。
——どこかいい場所は……。
他人を信用できないのであれば、いっそ人がいないところへ行きたい。
「……ナスターシャ……」
大きな湖と古い町並みが残る人もあまりいない田舎だ。気候も良く過ごしやすいと聞く。
ここがいいかもしれない。
「あいつらなんかの幸せのために不幸になってたまるものですかっ!!」
すくなくとも私の中に後悔や悲嘆の感情はなかった。
生きるために逃げるんだ。
◆
誤字脱字報告ありがとうございます。




