打診
「……エリス様が領地で療養されることになった」
職場の連絡事項でそんなことを聞かされる。その報告に部署内がざわつく。
私は信じられなかった。通信事業で要となるのがサンチェス家の人間が投資した電話だ。あの発明によりこの部署が誕生したと言ってもいい。エリス様はいわばこの職場のトップに近しい立場の人間だった。
「御病気ですか?」
「……詳しくは分からないが、なんでもお倒れになったらしい。色々と無茶な仕事をされる方だったしな」
自ら視察に赴いたり、色々と動き回る人だった言う。
あの人のおかげでどこよりも先にこの行政機関内に電話が普及した。
機関内でのみ使える電話だが、そのおかげもあって業務効率がかなり上がった。担当者への取次もしやすくなり、必要以上に動き回る必要がなくなったのは非常に助かっていた。
「……療養か」
私はエリス様が学院に通っていた時のことを思い出す。
いつも図書館で勉強をされていた方だ。その面だけしか知らないが努力家だということは知っていた。学院をご卒業してからは話すらできない。この部署を訪ねられることがあったが、私のような末端が然う然う話をできる方ではない。
「それで、この課はどうなるんですか?」
一人がこれからのことを尋ねる。周りもそれが気になるのか部長の言葉を待った。
「……妹のクリスティーナ様が指揮をとられる。まあ、特に問題はないだろう」
その言葉が余りにも楽観的だということはこの時には誰も気が付くことはできなかった。
◆
エリス様が療養されてから5年が経過していた。
部署内にはせわしない空気が漂っている。頭がズキリと痛む。
「はあ? 北の地に通信塔を3か月で作れって? 無理に決まってんでしょう!! 設置場所の選定と各種調査・許認可の確認などもあるんですよ!! 何度も言ってますが建てればいいって話じゃないんです!!」
電話に向かって上司が大きな声で抗議する。
技師の手配。都市計画・道路などの法規制。土地の持ち主や周辺住民への説明などを考えれば3か月で作れなんて無理に決まっている。以前にも似たようなことがあった。案の定無理だった。今もその通信塔は建設中だ。二度とこのようなことが無いようにと言っていたのに舌の根の乾かぬ内とはまさにこのことだった。
上司は溜息を吐きながら電話を切った。
電話を切ったのを確認して部下たちが声をかける。
「あそこって隣国との関係もありますよね。電波の越境で隣国との混信が起こりやすいとか……」
「傍受とか妨害のリスクもありえる」
「軍事的なことを考えたらリスクでしかないですね」
「お偉いさんは世論や現場を知らないのか。机上の空論ばかり言って」
「知らないからこんなことを言えるんでしょう……どうします?」
「あー、くそっ。とりあえず……」
頭を掻きむしりながら職員たちは部署から出ていく。
指揮がクリスティーナ様に替わってからすぐに上からの無理難題が始まった。
クリスティーナ様と言えば私と同い年の女性だ。クラスこそ一緒になったことはないが、試験の時にはいつも1位に名前があったのは覚えている。学生の頃は天才と呼ばれていたが、かなり現場に無理を強いる体制だった。勉学面では優秀だった人間が社会に出て通用するとは限らないいい例だった。
——たしか、この前も無理な工期で怪我人が出てた……。
現場に雇われる技師も無尽蔵にいるわけではない。
ほかにも強引な土地の立ち退きなどがあり、暮らしが変わってしまったという苦情もあり、上にも下にも相当な不満が蔓延していると聞く。
「エリス様の時にはこんなことはなかったのに……」
誰かのその呟きはみんなの心境と一致していた。
最近は私だけではなくほかの人も残業に追われるようになってきたが、職場環境も忙しさを増していた。私はここのところ休日を返上で働いている。
「本当に忙しい……」
誰にも聞かれないように私はぼやく。
何度も書類を処理してもまた別の書類が私を待っている。
「アンヌ。ちょっといいかい?」
「……なんでしょうか?」
この忙しい空間で私に話しかけてきた人間はあの男だった。
「この書類は差し戻しね」
「……なぜですか?」
「ここの金額、間違えてるんだけど。もうちょっとよく見ようね」
お金と言うのは重要だ。銅貨一枚でも揉めるときは揉める。金銭についてはかなりシビアだ。特にお金の部分なんて言うのは細心の注意を払って記入している。持っていく前にもほかの人に見てもらってから提出するようにしていた。
目の前の男は私が不服そうな顔をしていたのを目ざとく見つける。
「ミスをするときは誰でもミスをするものなんだよ。誰であってもね。これを作ったのはアンヌだよ。午後までに必要な書類だから急いで作ってね」
「かしこまりました」
書類を受け取ると私は頭の中で優先順位を変更する。
書類を作成し、あの男のところにまで持っていく。
私が書類を持っていくとなぜか不満そうな顔をするが、何も言わずに受け取る。周りは笑っていた。もしかして、ミスをしていることに気が付いて黙っていたのかと勘ぐってしまう。
その後も、私の書類だけの差し戻しが増えていた。
周りはそれをにやにやと笑って見ている。
通常業務に加えて、そのミスを取り戻すために仕事を増やされればさすがに疲れる。何度も書類を書いている。ペンを持っている右手が痛かった。
「……」
「おい、アンヌ」
「……はい」
「大丈夫か? 顔色が悪いぞ」
「……大丈夫です」
その言葉を発した瞬間に私は倒れた。
耳の奥で耳鳴りが聞こえる。誰かが私を呼んでいるようだったが、私はそれに応えることはなかった。抗うことのできない虚脱感に襲われそのまま瞼を閉じた。
◆
どうやら気絶してしまったようだ。
気絶していたのはほんの10分ほどらしいだったが、顔色は悪く、ふらつきは治っていないためそのまま医務室へと向かった。
あの男や上司が付き添いを申し出たがこの人たちに触れてほしくないため私は一人で医務室に入った。
「うん。明らかに過労だね」
医師に言われる。
「……はい」
「今日はもう休みなさい。ここのベッドで少し休んでから帰るといい」
医務室のベッドで少しだけ眠らせてもらうことになった。
目を覚ました私は体を起こし、看護師を呼ぶ。
医者から軽い問診を受け、今日はもう帰ろうと思っていたタイミングに上司がお見舞いに来た。
「……すまなかった」
ベッドに座っている私にいきなり上司が頭を下げる。
「倒れるまでの負担をかけていたとは……」
今更、そんなことに気が付いたのかと私は内心溜息を吐いた。部下の業務量を把握していないと認めたようなものだ。
「残業は何をしていたんだ?」
「はい、頼まれた仕事を終わらせてから書類のミスがないかチェックをしていました」
あの男が指摘した書類も何度も何度もミスがないが確認した。それでもなぜか書類が差し戻ってくる。
「休日はどうしていたんだ?」
「間に合わなかった分の仕事をしていました。残業しても終わらなかった分ですね」
「……私が帰宅した後も残っていたのか?」
「はい」
「……食事は……夜はどうしてるんだ。その時間は寮の食堂は開いていないだろう」
「昼と同じです。買い置きしてあるパンを食べていました」
「……もう少し人を頼ることを覚えろと言っただろう。レオンハルトなんていつもキミを——」
呆れるように言う。
私はその表情と言葉にイラッとした。
「あの人が頼れる人なら頼っていますよ。他人の揚げ足をとると数日間は揶揄ってきますね。そんな人間に頼れるわけないでしょう。他の人に頼ろうにも周りも馬鹿の一つ覚えのように「あの男のところに行け」と全く意味がありませんでした」
「いや、それは……」
何か言いにくいことがあるのかもごもごと口を動かすだけで言葉にはならない。
私はそれをいいことにさらに言う。
「……私が今までなぜ何も言わなかったのか教えてあげましょうか? いつあなたが気が付けるかと思っていたんですよ。結局、私が倒れるまであなたは気が付けませんでしたけどね」
上司は愕然とした表情をする。普通はここまでしないだろう。だが、あいにくと私はひねくれ者なので。
別にこの上司に期待していたわけでもない。やれるだけやって倒れたらこの人の責任になるだろうと思って意地になっただけだ。それ以上に——負けたくなかった。
「私はあの男の嫌がらせに屈するのが嫌でした。頼りにしろと言うのは私に嫌がらせをしてくる人間に屈しろと言っているのですか? それとも人を頼らない私が降参するのを待っているのですか? おめでとうございます。私は倒れました、「私の負けです。これからは私をお助け下さい」と言えばよいですか? 人としての尊厳を踏みにじることを推奨されると……実に素晴らしい職場ですね」
私はあの男と職場に溜まっている鬱憤をぶつける。
私の言葉を聞いて上司は俯いて、ようやく言葉を発した。
「……すまなかった……キミには本当に申し訳ないことを……償いをさせてくれ」
言いたいことを言ってやった。
それでも私の溜飲は下がらない。
「……それでは申し訳ありませんが、明日から2か月ほど休ませていただきます。それともう少し仕事の分担を考えてください。それが私への報酬と償いでよろしいですか?」
「……ああ」
むしろ仕事の分担は当然のことだが、この上司は口にしないと実行しないだろう。罪悪感にかこつけてやらせることにした。
私たちの話はそれで終わった。
私はそのまま帰宅させてもらう。
しばらくは私の好きにさせてもらう。これでも、もし職場環境が変わらないのであれば職を辞することを本格的に考えていた。
頼りない上司。
私を嘲笑う同僚たち。
そして、何よりもあの男。
不安な要素は人間関係であると私自身にも問題はあると分かっている。
だが、私という人間性を差し引いてもあの部署には問題がある状態だ。
そして、それから3日後。
私は寮のベッドの上にいた。3日の連休で体調は戻ってきたはずなのだが、思うように休めない。
寮にいるというのも影響しているのだろうか。周りは仕事に行っているのに私だけが休んでいるという居心地の悪さがあった。しかし、私はほかに行く場所もない。
実家なんてもの選択肢にすら挙がっていない。向こうも家を出てから連絡すらない。こちらからもするつもりはない。これは意地などではなく私はもう諦めているからだ。
久しぶりに外食でもしてみようかと考えていると扉がノックされる。
「はい」
「ユグノーさん。お母様がいらしてます」
「は?」
思いもよらない来客に私は間抜けな声を上げた。家族のことを久しぶりに思い出したからだろうか。
寮内にある面談室。
その席に座っているのは母だった。
あまり関心なんてものがないというのに、母親だという実感があるのはやはり血だろうか。
私が来たことに私の心情などお構いなしに母は私に向かって笑顔を見せる。こんな笑顔を私に初めて見せる気もする。
「久しぶりねっ! 元気だった?」
「ええ。まあ……」
私が今職場を休んでいることなんて家族に伝えても意味がないので教えてはいない。話を広げるつもりもないから適当に言葉を濁す……と言うよりもどのように答えていいか分からなかった。
「今日はね。貴方にいい話を持ってきたの」
「なんですか?」
母親だと分かっているのに自然と敬語が出てくる。
「あなた、お見合いしてみない?」
「はあ? お断りします」
予想外のことで動揺はしたが拒否だけはしっかりとできた。
「ど、どうして? ほら女の幸せは結婚っていうでしょう? あなたの同級生だった人たちなんてみんなほとんど結婚しているのよ」
私が断るのが意外だと思っていたのか、今度は母が動揺する。
周りの同級生は結婚か。それは学院に通っているときから婚約者がいたりすれば結婚しているだろう。私の場合は婚約者がいなかったからだ。
「私はその必要がありませんので」
結婚なんてまるで想像できない。
よく知りもしない相手と結婚させられることが無くてむしろ幸運だと思っていたくらいだ。こればかりは親が私に無関心なことに感謝していた。
「そんなことを言わないで。お相手を聞いたらびっくりするわよ」
そう言って釣書を見せられる。
このままでは帰ることもままならないので、私は仕方なしに釣書を開いた。
若い後妻を探している老貴族か、はたまた色欲丸出しの中年かと思っていた。
「……は?」
そこにある写真と書かれている名前に驚いた。
だが、そこには決して喜びはなく、むしろ殺意というものが湧いたくらいだった。
——レオンハルト・ウォルターズ
腹立たしいくらいに聞いたことのある名前とこの休み中は見たくもない男の姿だった。
「かっこいい人でしょう。学院のころからの親しい仲であなたが勤めている職場の人だっていうじゃない。いきなり婚約の打診があったからびっくりしたわ。教えてくれればよかったのに」
学院の事すら何1つ聞かなかったのはどこの誰だったと思っているんだろうか。嬉しそうに好き勝手に話を始める母親。
「……無理。この人だけは絶対に無理っ!」
あの男と夫婦になるなんて冗談じゃない。
ただでさえ職場でストレスのはけ口にされているようなものなのに、家に帰ってもあの気に入らない男を見ないといけないなんて、確実に私は気が狂う。
何よりこの男と夫婦になる姿なんて想像できない。顔を知ってからそれなりの時間は経っているが、私はあの男のことを知っているわけではない。むしろ顔くらいしか知らない。知りたくもない。
夫婦になるということはあれを夫として敬い、あれの子供を産む。
想像しただけで今まで感じたことのないような寒気が襲う。あまりの気色悪さで皮膚が粟立った。
「私は結婚なんてしないからっ!」
「だ、だめよっ!!」
私の拒絶を必死に止めようとする母親。
この様子は何かおかしいと私は思った。
母が必死になることと言ったらいつも兄のことで……。
「あの人——兄が何かしたんですか?」
私は証拠などはないが確信をもって問いただす。
母はビクリと体を震わせる。
「あ、あの子は悪くないの。あの子は……」
もともと学院の在学中にも兄と婚約しようという女性は現れなかった。
原因はあの口の悪さだろう。そこに我が家の長男至上主義からくる男尊女卑の思考。
女性を前にすると緊張して生意気な初等学院の男児のようなことしか言えないのだ。内心の見下しも加わって相手を傷つける。学院でも女子から避けられていたのは私でも知っていた。
学院を卒業するまでに同年代の女性はほとんど婚約している状況だった。
そして、兄の噂も広まっていた。婚約者に別れを告げられ辺境で領主として暮らしている女性の縁談を勧められたが向こうから断られたという。
同年代の女性からの縁談は全て断られる。何か利点があれば変わるのかもしれないが、利点というのが思い浮かばない。むしろいなくなっても問題ないというのが利点と言ってもいい。
あの男のことを知っていれば断るのは当然だろう。年上の女性を勧めてみたが兄は「絶対に嫌だっ」と言って聞かないのだ。若くして未亡人になった女性や離縁してしまった女性もいるが兄は頑なに「他の男の手垢のついた女は嫌だ」と断っている。
——なんて恥ずかしい人……というより気持ち悪い。
このままでは我が家の直系の血筋が絶えてしまう。
どうすればいいかと悩んでいると兄の友人であるレオンハルトが私に縁談や援助を持ち掛けてきた。その援助の中には兄の縁談の世話も含まれているそうだ。類は友を呼ぶってことね。
「……」
「ね? いい話でしょう」
「お断りします」
私は断りを入れて席を立つ。
母は私を逃がさないと言わんばかりに腕をつかんだ。
「待ちなさいっ!」
「私、この人のことが大っ嫌いですので。この人が私に対してどれだけ無礼を働いてきたか知らないでしょう」
無論、私に興味がないこの人たちが知るわけがない。もしも知っていてこの男と結婚を勧めてくるのであれば悪意があるということだろう。
断る理由とすれば十分だ。
だが、母はそれを認めない。
「結婚すれば人は変わるわ」
「これまでの経緯があるので無理ですね」
極論、人殺しをした人間が「これからは善人になります」なんて話を信じられるだろうか。被害者からすればそんなものはどうでもいいし、あるいは「死んでしまえ」とさえ思うだろう。素性を知った他人は心の奥底では疑いの目を向けるに決まっている。
たとえ本心から改心しようが、過去が消えることはない。
「……お願いよ。アンヌ、私たちを助けると思って……」
家族から長らく呼ばれてもいなかった私の名前。
この人はこれまでもこれからも今迄私の名前を呼んでいなかったことに気が付くこともないだろう。
「お断りします」
「縁談」と「家族を助ける」2つのことを断る意味で私は母の腕を振り切り部屋へと戻った。私が面談室を出るまで何か言っていたが無視して部屋に戻った。
ベッドに横になり、天井を見上げる。
「……なんで休んでいるのに余計に疲れないといけないのよ」
結局、母との話のせいでお昼ご飯を食べに行くことができなかった。
夕飯をどうしようかと悩んでいるとまた部屋をノックする音が聞こえる。またろくでもない要件かもしれないが私が部屋にいることは分かりきっている。私は仕方がなく扉を開けた。
「……やあ、アンヌ。大丈夫かい?」
「……ここは女子寮ですが?」
当たり前だが、女子寮に男性の立ち入りは禁止されている。
面会が可能な人と言えばそれは身内くらいだ。だが、その身内でも面談室の利用をするようにと規則で決まっている。なんで身内でもないこの男がここにいるのだろうか。
「事情を話したら入れてもらえたよ」
その続きは聞きたくない——。
「もうじき僕と結婚するんだし」
私の身体がブルリと震えたのが分かった。
誤字脱字報告はありがたく使わせていただいております。




