再会
誤字脱字報告ありがとうございます。
多くの方に読んでいただき感謝申し上げます。
領主館の執務室で紅茶を飲みながら新聞を読んでいるエリス様。
私——アンヌ・ユグノーを改め「アン」としてこの領主館で働くことになった経緯を思い出す。
ナスターシャで休暇を楽しみながら仕事を探していた私は酒場で知り合ったラリーに声をかけられた。
『仕事を探しているんなら、領主館で働いてみない? 私が働く前にメイドさんとか大量に解雇されてまだ人手が全然足りないんだよね』
『……ここの領主様ってどんな方なの?』
大量に解雇と聞いて私は不安を覚える。身内贔屓で座っているだけの無能な上司のようなものはもう二度とごめんだった。
『んー……怒ると怖い人?』
ラリーから情報がうまく引き出せない。
貴族であるのなら使用人とあまり口を利かない人もいるから分からないというのが正しいのかもしれない。
だが、この田舎でできる仕事なんて日雇いの農業とかくらいだった。
農業なんてしたことがない私には無理だった。半ば藁にも縋る思いで私はラリーの伝手を頼って仕事を紹介してもらった。
領主館で領主様と面接の機会を設けてもらい、私はエリス様と再会した。
『……エリス様……』
『……貴方は学院の図書館で』
エリス様は私を覚えていてくださった。
メイド——ラリーに紅茶を淹れさせる。ガチャリと食器の音が大きく鳴る。多分、ラリーもこの仕事にまだ慣れていないのだろう。少し手が震えている、本人もそのことが分かっているようだった。
エリス様は私に座るように促すと面接を始めた。
領主自ら面接なんてありえないが、私の出自を知っているということもあるのだろう。
『以前はどのようなお仕事を?』
『……電気通信局で働いていました。ちょっと職場の人間関係が上手くいかなくて……』
少しだけ後ろめたさを感じた。
無論、それはあの職場の人間たちではなくエリス様にだ。
退職届も出してきたし、あんな職場で働きたくないなどという恨みつらみをしっかりと残してきた。二度とあの職場に戻るつもりもない。
『……何か事情がありそうね? 話せる?』
「咎人を雇うようなことはしたくないの」とエリス様ははっきりと告げた。私はエリス様の雰囲気にわずかに息を呑んだ。
『……嫌いな人と結婚させられそうになり、逃げ出してきました』
『……そう、その話を詳しく聞かせてくれる?』
そこからが不思議だった。
エリス様が質問し私が答える。
すると聞かれてもいないことが口から出てきた。
エリス様は相手の話を聞くことが非常に上手い。
いや、聞くというよりもこの人は『うまく他人の話を聞き出せる人』だ。
『……あら、もうこんな時間ね。ごめんなさいね』
一体、この面談の中で私は自分のことをどれほど話しただろう。多分、エリス様から打ち切らなければもっと話をしていただろう。
けれども、私の中に不快感はなかった。
『いえ、むしろ話を聞いてくださりありがとうございました』
誰にも言えなかったことが言えた。
家族の事、上司や同僚の事、あの男の事。
今が面接の途中だということも忘れてしまっていたくらいだ。この人が捜査局で取り調べとかしたらすごいことになりそうだ。
『あと、ここで働きたいのなら絶対に守られなければならない条件があるのだけれど……』
『なんでしょうか?』
貴族というのは秘密主義なところがある。
どのような条件があるのかと私は息を呑んだ。
『……この領主館では私の指示を最優先に聞いてもらう事になるわ』
『……それは当然のことでは?』
私は肩透かしを食らった気分だった。
エリス様は溜息を吐く。
『それができない人間が世間にはいるのよ。人の話を聞かない人間がいるようにね』
もしかしたら使用人の大量解雇の原因はそこにあるのかもしれない。
使用人として絶対にしてはならないことをしてしまったようだ。
『わかりました』
それからエリス様は私の話をまとめて本を書きたいと言い出した。
無論、名前は変えるということだが、私の話が本になるというのは一体どういうことなのかと私は首を傾げた。
「こんな感じね」とお試しということで私はエリス様から『サン゠ジュスト家の怪死事件』を借り受けた。ここ最近は忙しくて本を読もうとすら思わなかった。久しぶりに読書をしてみるのもいいかもしれない。
私は宿に戻るとその本を早速読むことにした。
「………暗いわね」
復讐を題材にしたこの本について最初に抱いた感想はそれだった。
内容に笑いなんてものはなく、人の心の暗い闇を見ているかのようだった。
本の中から主人公であるミズ・フューリーの殺意がひしひしと伝わってくる。殺害された相手への不快感もある。
「——っ——」
けれど、まるで本に呪われているかのように本から手が離せず、ページをめくる手が止まらない。思わず目を逸らしたくなるような描写もあるが、それでも目が離せない。あと少しだけと思いつつもあっという間に読み終えた。
読み終えた後、息をつくために天井を仰ぎ見る。
「ふふ……」
誰かの笑い声が聞こえた。
部屋には誰もいない。
私だけだ。
◆
次の日に私はエリス様のもとへと再度伺った。
「本をありがとうございました」
「もう読んだの?」
「はい。本を読むことは嫌いではないので」
「図書館によくいたものね……感想を聞いてもいいかしら? 忖度なんてしなくていいわよ。私の本は万人受けするものではないことくらい分かっているから」
それでもエリス様が書いた本だ。否定はしたくはない。だが、嘘もつきたくはなかった。
「……主人公が陰湿ですね。家族だった人を皆殺しにして悦に浸っているところが特に」
「……それだけ?」
エリス様はさらに言葉を出させようと意見を求める。
「彼女の復讐に賛同したらそれは法律の否定となります」
法の代わりに制裁する復讐という行為は法の否定だと私は考える。
いくら酷い目に遭ったからと言って、何をしても許される免罪符にはならない。相手を責める前に、自分の振る舞いに悪い点がなかったかを確認し、そして気づくところがあったなら素直に改める必要がある。必ずしも相手がすべて悪いということはないのだから。
「復讐と言っても法律内であれば問題ないと思います。例えばよく言われるのが「一番の復讐はあの人よりも自分が幸せになることがいちばんの仕返しだ」ですね——私もそれに賛同します」
模範解答のようだが、それが私の答えだった。
「……でも、それだと私が楽しくないわ」
エリス様ははっきりと言った。
「私はそもそも自分を苦しめた人間が今日もどこかで笑っていると考えるだけでも不快だったわ。不満や怒り、後悔、悲しみを最後に残して死んでほしい——と思ったのよ」
その答えを聞いて私は背筋にうすら寒いものが走った。
そんなことを笑みを浮かべながら話すエリス様は美しいがどこか怖かった。
「……思うだけよ? 現実で私は何もしないわ。だって、捕まりたくないし、償いのために残りの人生を使うなんて御免だもの。私はただ単に物語を書くだけ、それでだれが何を思うかまでは責任を取るつもりはないの」
「——っ——」
ああ、でも確かにそうだった。
あの『サン゠ジュスト家の怪死事件』の内容を思い出す。
もしかして、あれはエリス様の話なのだろうか。
なら余計にあの話を肯定してはいけない。
ダメ、ダメ、ダメ、ダメ——
頭の中で理性が否定する。
『違うのですお姉さま!! 奪ったのではありません!! 申し訳ございません! お姉さま! お姉さま! ごめんなさいっ!! 助けてっ!!』
『ま、待て。ぼ、僕がし、死んだら事業はどうなる。く、国を傾けるのは、き、キミも本意ではないだろう』
『や、やめっ——!!』
ミズ・フューリーに無残に殺害された彼らの最後の言葉が私の中で反響する。
何も殺されることはなかったはずだ。彼らも決して悪気があったわけではない。
そうだ、そうに決まって——
『この主人公と家族は意思の疎通をもう少しすべきだったと思います』
自分の言葉を思い出した——
「ハッ——」
笑ってしまった……バッカみたい。
相手を許し、微笑むことができれば苦労しないっていうのに。
こんな正しいだけの言葉を真実だと言える人は自分はできる人間だと勘違いしているんじゃないだろうか。世間を知らなすぎでしょう。
自分の主張を聞いてもらえない環境にいたり、追い込まれたりもする。あのミズ・フューリーはまさしくそんな状況だったのだろう。
——ああ、ダメだ。私もあの人——フューリーの気持ちが分かってしまう。
無駄だと思った。
私も分かっていた。
この世の中の人間は聞きたいことしか聞かないし、信じたいものしか信じないのが大半だ。
「……貴方はどうしたい?」
エリス様の言葉を聞いて私は自分の復讐をエリス様に委ねることにした。
この本を読んで笑っていたのは他ならない私だったんだ。
◆
そして、エリス様の本が出版された。高速印刷機が開発されてから大量印刷がさらに効率的になった。出来上がった本を頂き、少し心が震えた。
この本に出てくる“アンジー”という女性は私がモデルだった。自分の分身が本に出てきているのはなんだか照れ臭かった。
この本の中には私がされたことが全て記されている。
そこにエリス様が少し脚色を加えた結果、あの男をモデルにした“レオナール”は客観的に見てもかなり気持ちの悪い人間となった。この男の所業を思い出すとさらに苛立ちが増す。
「書いた私が言うのもなんだけれど、かなり気持ちの悪い人間になったわね。これは読者から嫌われるでしょうね」
「それくらいでいいと思います。あれに好感を持つ女性というのが私には理解できませんし」
自分の捨てたものを後生大事に持っているとかコレクションしているとかは現実にされてはいないけれど、どうせ物語の中だ。この男——レオナールにはとことん気持ちの悪い男になってもらい——死んでもらおう。
レダース部長をモデルにしたローダースは同僚たちによって私刑に。
同僚や管理人たちは一生消えない傷を背負い、互いが疑心暗鬼になりながら互いが互いの死を望むような地獄の毎日を。
レオナールは愛していたアンジーの依頼でフューリーによって監禁され、地下牢で生涯を終えた。
そして、アンジーはどうなるのか。
「貴方はどうしたい?」
「……私は——」
私の願望をしっかりと伝え、エリス様は微笑んだ。
「アンヌ・ユグノー嬢失踪——あなたはここにいるけどね」
「私はアンですよ」
ここで働くことが決まってから私は「アン」と名乗った。
ギリギリ貴族という立場であっても貴族令嬢がいなくなれば騒ぎにもなるものなのかとどこか他人事だった。
最初は世間を騒がせてしまっていることに申し訳なさを覚えた。だが、王都に戻るつもりもない。
印刷技術が発展し、大量印刷が可能になったのは新聞もだ。
王都よりは情報は遅れてくるが、それでもこのナスターシャにも王都の情報が入ってきた。
本の出版と同時に徐々に徐々に新聞の内容がより物騒なものへと変わっていく。
『失踪令嬢は誘拐か——』
『レオンハルト・ウォルターズが重要参考人として捜査局により身柄を拘束』
『レオンハルト・ウォルターズの自宅より令嬢の私物が確認される』
『電気通信省の人間も関与か、聴取を開始』
『レダース・カートライト 証拠隠滅罪により拘束 燃やされた手紙の内容とは?』
『レオンハルト・ウォルターズ釈放』
エリス様と私はありとあらゆる新聞を取り寄せ、私の失踪が書かれている記事を集めた。ゴシップ記事には私が既に亡くなっているという説や、あの男によって捕らわれ監禁されているという説まで書かれていた。
「退職届も出しましたし、仕事をやめる原因を書いた手紙も残しましたが、なぜこんなことに……」
「……レダースという人が証拠隠滅罪で捕まっているわね。この人が手紙を燃やしたと自白したみたいね」
私は納得できてしまった。
あの部長なら私が書いた手紙が自分の評価に関わると思って最初からなかったことするくらいのことはやりそうだ。その所為で甥っ子が捕まっているのは自業自得としか言いようがない。
そして——
『レオンハルト・ウォルターズ。アンヌ・ユグノー嬢の兄カルロ・ユグノー殺害により逮捕』
そして、あの男が兄のカルロを殺害したという記事が載った。
あの兄が亡くなった。しかも殺された。
幼いころから家族から優遇され、私を見下し妬んでいたあの兄が死んだ。
家族はどうなったのだろうか。他の家族の安否は新聞には載っていない。
だが、別の情報は載っていた。
あの家の借金は土地を担保にして借りていた。跡取りもいなくなり、借金を返すためにも土地を売り払うことになったようだ。
——ヘタをしたら私も巻き込まれていたわね。
文字通り負の遺産を背負うことが無くてよかったとは思う。
兄の冥福くらいは祈ろう。
こちらに来られても迷惑だから安らかに眠ってほしい。
こんなことを思えてしまうくらいには私たちは兄妹として兄妹らしいことを何一つしていなかった。
◆
「……離婚ね。それくらいは分かるでしょう?」
刑務所の面会室で僕、レダース・カートライトは妻と面会していた。
女子寮の面会室と名前こそ同じだが、雰囲気がまるで違う。
机2つ分の距離が離れている妻との心の距離はもっと遠くに感じる。
かつて愛しあって結婚した妻の目は汚物を見ているようだった。
ウォルターズ家は兄が当主を辞し、親戚が別の家名を名乗りウォルターズ家を切り離した。
つまり、婿入りしていた僕に帰る家はどこにもないということだ。
今回の罪により僕は数年の懲役刑が確定、そして職場も懲戒免職処分となった。
かつての同僚たちも仕事を辞めたものや、離婚し家族と離ればなれになったものもいるという。職場でも犯罪の協力者として扱われ、左遷され出世など到底望めない部署へと異動となったものもいると妻から聞かされた。
「……子供たちは?」
「犯罪者の父親なんていらないそうよ。昔から甥っ子よりも可愛がってあげれば懐いたでしょうに。今日、ここに来るのも嫌だそうよ」
僕の子供たちは僕よりも妻によく似ている。レオンハルトは若い頃の僕によく似ていた。
自然と自分と似ている甥っ子を可愛がっていたことを今更ながら咎められる。
「……待ってくれ。今回の件は本当に僕が悪かった……だが、離婚だけはやめてくれ。家族を愛しているんだ。本当に愛しているんだ……」
これは嘘偽りのない本心だった。
僕のもとには誰もいなくなってしまう。一人になるのは嫌だった。
「……その愛が迷惑なのよ。貴方とまだ縁があると思われたら私たちにどれだけの迷惑がかかるか分からないの?」
「……それは……」
「私たちの気持ちも汲んでくれない? 貴方が反省しようが更生しようがどうでもいいの。起きたことは変わらない。この話はあなた一人が我慢すればいいだけのことよ」
かつてアンヌにも似たようなことを言ったことがあった。
あの時のアンヌはこんな気分だったんだな。気持ちがわかるというのも烏滸がましいな。
僕の発する言葉は全て僕にとって都合のいい言い訳になるだけだ。
「もう二度と私たちの前に現れないで頂戴——あと、この本を受けとりなさい。獄中で読むといいわ」
そういって渡された本は『なぜレオナールを頼らなかったのか』という本だった。
その本を受け取る。
これが家族からの最後の贈り物だろう。
有罪判決を受けた場合、離婚は相手側の同意なく可能というのがこの国の法だ。
妻は離婚するということを伝えに来た。
懲役刑が終わっても、僕を迎えてくれる場所はどこにも無い。
面会が終わると妻はこちらを一度も振り返ることなく去っていった。
「う……ぐう……」
僕はただ面会室で泣くことしかできなかった。
次回はレオンハルトとその後の話を書いてこの章は終わりの予定です。




