結末
僕の正当防衛は認められなかった。
殺人罪が確定し、僕は懲役刑となった。
僕の懲役刑は終身刑にも相当する懲役年数だった。
出所する頃にはもう僕は足元もおぼつかない老人になっているんだろう。
仮釈放は可能だがもう僕の身元引受人になってくれる家族もいないので不可能だった。
この狭い独房の中で僕は過ごさなくてはならない。
そのことを改めて認識するとフォークを持つ手が何とも言えない恐怖で震える。
「おい。お前」
「なんだよ」
厳つい囚人に絡まれる。
こいつは噂で聞いたが、もとは貧民街で名の知れた組織の一員だったようだ。
「お前、ここは俺たちの場所だ」
「……どこで食べても一緒だろう」
僕は貴族の誇りは失わない。こんな奴らに屈することはしない。
「あ? 分かってねえな。この監獄の中でも序列っていうのがあるんだよ。とっとと……どけっ!」
「——っ——」
看守から見えない角度で足を踏まれる。
男の後ろにはこの男の派閥らしき男らがこちらを睨んできた。
「人間扱いしてほしかったら所場代くらい持ってこい。得意だろお前らお貴族様は……できねえなら、端っこでおとなしくしてろ」
金で人を雇い表沙汰にできないことを平民にやらせることがある。こいつもきっと雇われて捕まったのだろう。だから、貴族に対していい感情を持っていない。
ここでは貴族であるということは優位には決して働かない。むしろこういった余計なトラブルを生む。
僕はこの場から離れることにする。あんな連中と一緒にしてほしくはなかった。
……
………
…………
ここにきてどれくらいの年月が経過しただろうか。
少なくともここにきて季節は2回は巡っていた。つまり2年だ。細かな日数はもう数えなくなっていた。なんとなくでしか年月が分からない。
起床・3食・運動・就寝の時刻が細かく決められ、食事の時間以外は労働も可能だ。と言っても殺人の罪を犯した者は監獄内で労働することもできない。自由時間は多いが、過ごせるのは独房の中だけだ。長期の独居による心理的負担が大きい。
「……………」
誰とも話せず、何もすることがない。差し入れで嗜好品があればそれを嗜むことは許されるが僕に届くものは何もなかった。
独房にいるときが本当に虚無の時間だ。
年単位で誰とも会話をしていない。
誰も僕に会いに来ることはないから当然だ。
「おい。お前に面会だ」
「……僕に?」
そんな中、僕に面会があるという。
誰だろうか。両親とはしばらく会っていなかった。もしかしたら両親かもしれない。
面会室に行くと叔父のレダースが来ていた。
本来の面会であれば格子越しだが、親族ということで看守の立会いの下の小部屋での面会だった。
この人はアンヌの手紙を燃やしたという証拠隠滅罪で投獄されていたと聞いていた。それさえなければ僕は捕まることはなかったというのに。
——なんでこの人はもう釈放されているのに、僕は……。
電気通信省の部長だったころの面影はもうほとんどない。
着ている服もみずぼらしく、その日をやっと暮らしているといったような風貌だった。
「……久しぶりだな……なんだ、その目は?」
「叔父さんが余計なことをしなければ僕は捕まることはなかったはずです」
ずっと言いたかったことだ。
この人が事態をややこしくして、僕を殺人犯にした元凶だ。
「お前がアンヌと結婚するために私たちに協力を求めてきたんだろう。私は協力してやっただけだ。人の所為にするな。それに……お前が捕まったのはお前が人を殺したからだろう」
「あれは事故だっ!」
とうとうこの人も僕を殺人犯だという。
面会室の看守に「静かにしろっ!」と怒鳴られ、僕は押し黙る。
だが、叔父さんは関係ないようだった。
「……はっ、まだ認めないのか。お前はそういう奴だよ。アンヌがお前を嫌っていたというのにお前は都合のいい解釈ばかりしていた」
「……何を言っているんですか?」
叔父さんは僕を嘲笑う。
「やっぱり知らなかったんだな。アンヌはお前のことが嫌いで逃げ出したんだよ、世間じゃお前が攫い監禁や殺害しているってことになっているが、私にはわかる。アンヌは生きている」
「……」
僕はその時アンヌが生きていたという安堵よりも、自分よりもアンヌを理解しているという叔父への嫉妬でどうにかなりそうだった。
——手紙なんてものは僕はもらったことがない。
その手紙を燃やすなんて何を考えているんだこの男は。
「……それなら、アンヌはどこにいるんですか?」
出所したら会いに行こうか。
せめて一目だけでも会えれば……それにアンヌならわかってくれる。
だが、叔父の次の言葉に僕の望みは潰えることになった。
「……さあな。アンヌもお前なんかに会わなくて清々しているんじゃないか? 『婚約者にさせられて非常に迷惑』『私はあの男が大っ嫌いです』『そもそも初対面から私はあの男が嫌いでしたから』とか言っていたからな」
「……嘘だ」
「結婚できると喜んでいたのはお前だけだよ、『あの男と結婚するくらいなら死んだほうがマシです』だとさ……アンヌはお前が嫌がらせをしていたことも知っていたぞ」
「——っ——」
「お前の馬鹿な企みも知っていて、お前と関わりたくないから黙っていてやったそうだ」
「……」
アンヌは知っていたのか?
でも、あれは僕がアンヌに頼ってもらうために必要なことだった。人を頼れないアンヌに人を頼ることを教えるために必要なことだった。
だから仕方がない——。
「そうだよな。話しかけることも嫌な人間への対応なんて考えたくもないよな。レオンハルト、お前はアンヌから話しかけられたことが一度でもあるのか? 名前すら呼ばれたこともないだろ」
叔父に指摘され、アンヌとの日々を思い出す。
名前……アンヌから名前で呼ばれたことは……。
「…………」
「……図星か、あハハハっ! アンヌがいなくなったのは間違いなくお前の所為だぁ! アッハハハハハ!!」
面会室に叔父の笑い声が響き渡る。
看守が「静かにしろっ!」と再度怒鳴ると叔父は笑いをピタリと止める。
まるでゼンマイが切れた人形のようだった。その切り替えの早さになんだか不気味さを覚える。
「……私はさ、考えたんだよ……どうして私が捕まって、仕事も解雇されて、家族と離れ離れにさせられたのかって……お前を庇ったせいだよ……お前みたいな人の気持ちを鑑みることのできない馬鹿な人間の所為で……」
ぶつぶつと言っている。
恨みつらみを聞かされる、アンヌについて出まかせを言う。
僕も言い返したくなった。
「僕が庇ってほしいなんて一言でも言いましたか?」
「…………」
その言葉を放つと、叔父さんの手が僕に向かってゆっくり伸びてきた。
何をするのかと思ったが、次の瞬間には叔父の手が僕の首にかかる。
尋常ではない力で首を絞められる。
血走った目をしている叔父の爪が首に食い込むが、すぐに看守が叔父を引き離すと看守たちに連れていかれる。何やら叫び声をあげているが徐々に聞こえなくなる。もう会うことはないだろう。
そのまま僕は再び牢屋の中へと戻される。
誰もいない、何もない。煩わしいことは何もなくなったと考えよう。
『あの男と結婚するくらいなら死んだほうがマシです』
叔父が聞いたというアンヌの言葉は嘘に決まっている。
叔父が僕を恨んでいるから僕が苦しめばいいと思ってついた嘘だ。
だが、今の僕の自身の手を見る。
昔のような綺麗な手ではない。
毎日風呂に入れるわけでもないので肌は乾燥し、すえた臭いもする。
でも、それでもきっとアンヌは——
「……は、はは、あははは!!」
笑え、笑うんだ。
そう思っていても涙が出てきて止まらない。
「は……」
この日になって自分が全てを失ったのだと改めて自覚し、これから死ぬまで続く虚無の時間を過ごすことに絶望した。
「……あ、ああ、うあぁぁあ……」
独房の中で僕の泣き声だけが響いた。
もうここに来て2年経過したが、たった2年だ。まだまだこれからの長い人生がある。
この監獄で生き続けなければならないことが何よりも辛かった。
◆アンヌ失踪から17年後——
僕、ヨハン゠アーネストはエリス・ナスターシャという作家の大ファンだ。
処女作である『サン゠ジュスト家の怪死事件』から彼女の新作小説が出るたびに心が躍った。
彼女の作品は実在の事件がモチーフに書かれていることが多い。
まるで実際に見てきたかのような作品は彼女が事件に関わっているのではないかという憶測を生んだが、彼女は全くの無関係だった。王都捜査局も彼女のもとへと調査へ赴くほどだが、何の成果も得られずに空振りで終わったという。関与を疑われた時のエリス様はいつも可笑しそうに笑っていたそうだ。
彼女の作品は文学としても非常に優れていた。実話ベースの説得力もあり読者を惹きつける。
僕は彼女の作品に魅せられ、独自にモチーフとなった事件を調べるのが趣味となっていた。いや、研究と言ってもいい。もうその研究を20年ほど続けている。
そのモデルとなった彼らの足跡をたどりまとめた。
今回は『なぜレオナールを頼らなかったのか』だ。
まずは失踪したアンヌ嬢の両親と祖父だ。
彼らはカルロを殺害されたことでウォルターズ家を訴え、慰謝料を得た。
レオンハルトの両親も息子が犯した事件ということでその慰謝料を支払った。だが、あっという間にその金を賭け事で使い切ったそうだ。さらにそこで借金を重ねた。祖父はとっくに亡くなっており、両親は貧民街で行方が分からなくなったそうだ。貴族としての生き方以外知らない人間たちだ、その上、貧民街で借金を重ねた。それも大変よろしくないお相手に借金をしてしまったそうだ。もう両親も恐らくこの世にいないと思ってもいいだろう。生きていたとしても何をさせられているかも分からない。
電気通信省の職員や寮の管理人たちはアンヌ嬢の一件に多くの人間が関わっていた。
女子寮の管理体制は改めて見直され、厳しい監査が入ることになった。上役ほど責任は重くそのような人間に管理など任せられないという結論が出たことにより管理人たちは全員解雇となった。今はさらに安い給与の職場で働くことになったという。
電気通信省の職員は業務を止めることができないため長期間の減俸などの処分が下された。プライベートでは離婚したものもいれば、恋人の家族に別れるように言われ別れることになった人間もいる。
ローダースのモデルになったレダース・カートライト。
電気通信省は解雇となり、家族と離れ離れになった彼は出所後も家族と会うことは許されなかった。彼はエリス様の作品である『なぜレオナールを頼らなかったのか』を肌身離さず持っていたという。彼は今回の騒動の一因となったレオンハルトの面会時に彼に襲い掛かり、監獄内で制圧された。傷害の現行犯逮捕ということになったのだが、レオンハルトと同じ監獄内では再度接触する恐れがあると判断され、王都から遠く離れた地の監獄へと送られた。出所後は、修道院に身を寄せ家族やいなくなったアンヌのために祈っていた。
そして、レオナールことレオンハルトに科された懲役刑は50年というものだった。
彼はこの独房暮らしの未来に絶望し獄中内で自殺を4度図った。
1度目はフォークを利用して自ら喉を貫いたが、怯えにより手元が狂いわずかな出血で済んだ。これ以降、彼の食事は全てが手づかみとなる。
2度目は自ら食を断ち、栄養失調で倒れたが医師の懸命な治療により回復。やがて苦しいだけで死ぬことができず、諦めたかのように水を飲み再び食事を始めた。
3度目は他の囚人に自身を殺させようと凶悪犯に自身の殺害を依頼した。最初こそ誰もが鼻で笑っていたが、あまりにもしつこかったため囚人たちに私刑にあった。結果は体の骨のいたる所を骨折しただけで終わった。監獄内の暴行は刑期が伸びることもあり、これ以上は誰もがレオンハルトに近寄ることを拒んだ。あまりにも問題行動を重ねるのでレオンハルトは何度も懲罰房へと移されることになる。
4度目はベッドシーツをドアノブに括り付けての首つりだが、看守が発見し未遂に終わる。これ以降、彼は部屋の中でも手枷の着用を義務付けられる。
そして、とうとう彼は現実に耐えきれず発狂したらしい。
彼は事件から15年以上経過し40代だ。だが、監獄の中で見たレオンハルトはもうすでに70代のような風貌をしていた。綺麗な顔も暴行により歪んでしまっている。食事もまともにとっていないのか瘦せ細り、枯れ木のような手足をしている。手枷をしている意味がなさそうだが、手枷を外すとすぐに自傷行為を行ってしまうそうだ。ついこの間も手枷が外れた瞬間を見計らい自分で自分の首を絞めたという。
彼はもう自分自身もうまく保てなくなっているように見えた。
加害者たちの末路はこんなところだ。
そして、被害者であるアンヌ・ユグノー嬢はついぞ発見されることなく死亡という形で捜索は終了した。亡くなっているのであれば心よりお祈り申し上げる。もしも生きているのであれば、その人生が幸せであることを願う。
そして、この小説が社会に与えた影響というものもある。
小説が発売されてから、アンジーのような女性をもう二度と生ませないと意気込む貴族女性たちがいた。
発足人はメイドを助けるために脅迫男を成敗した貴族女性たちだった。貴族平民問わずアンジーのような女性を助けることに尽力する“アンジーの会”を結成し、その活動は国にまで認められるようになった。
彼女たちは全員エリスの小説のファンであり、エリスの影響力も本人のあずかり知らぬところで大きくなっていった。
現実と小説の絶妙な嚙み合わせが僕やファンを捉えてやまない。
まるで彼女の小説をなぞるように破滅していく。これは偶然なのか、それとも彼女の才能が引き寄せた結果なのかは不明だ。
そして、エリスの小説である『なぜレオナールを頼らなかったのか』が発行されてから15年以上が経過していたが、今も売り上げが落ちず一定の需要がある。
読むのではなく別の使い道で利用されるようになった。
◆
「う……うう。どうしてわかってくれないのよ。嫌だって言っているのに……」
王都の中等学院の茂みで一人の女子生徒が泣いていた。
一人の男子生徒から苛めを受けていた。相手は幼いころから知っているいわゆる幼友達というものだったが、女子生徒は友人だと思ったことは一度もない。そして、男子生徒は幼い頃から彼女に意地悪をすることが好きだった。
両親や教師に相談したが「男の子にはそんな時期があるものだ」と微笑ましいものを見るように言われて何も解決してくれなかった。
幼いころから知っていることもあり、人の失敗をいつまでもバカにしてくる。せっかく地方の初等学院から王都の中等学院に進学し心機一転頑張ろうとしていたのに、男もついてきた。
『女の子一人だと不安なのよ。ほら、王都についてきてくれるために勉強まで頑張ったのよ。根はいい子じゃない』
『そうか頼りになるな。このまま縁談を勧めてもいいかもしれない。頼れる人が近くにいてよかったな』
実家に帰省した時にそんなことを聞かされ絶望した。
今日も幼いころの失敗を人前でバラされ、恥ずかしい思いをしていた。
結婚させられたら、これからもそんな思いをしなければならないのはたまらなく嫌だった。
茂みで隠れて泣いていると例の男子生徒が友達と一緒にやってきた。
「だーから、あれとはただの腐れ縁だって。ここに進学したのもあいつが「ついてきてほしい」って言うからでさ」
「おー、愛してるね」
「違うよ。頼まれたから世話してるだけ。地味だし、人見知りもするし、鈍くさいし好みじゃない。一緒にいるのも仕方なくだし、俺以外に躾できる奴がいるなら任せたいくらいだ。ま、結婚も頼まれたんだからするしかないか」
「気が早いな、まずは婚約だろ? お前から打診すればあの子も喜んでくれるんじゃないか?」
まるで私を手間のかかる愛玩動物のように貶める。
——どうせ私が離れても離してくれないくせに。結婚なんてまっぴらごめんだ。
何度も距離を取ろうとした、無視をしたり、強く拒否したりしてきた。ついてきてほしいなんて口が裂けても言うわけがない。
その度に「拗ねるな」とか意味の分からないことを言って、自己完結の仲直りをしてきたくせに。
結婚となったらもう言い訳することも意味がない、これから先もあの男と一緒に居なければならないのが辛い。
「……大丈夫?」
「!?」
知らない男子生徒に声をかけられる。
眼鏡をかけている赤毛の男子生徒だ。その男子生徒も茂みに身を潜めるようにしてこちらへとやってきた。
「いきなり声をかけてごめん。泣きながら茂みの中に駆けこんでいくのを見かけたからさ」
「い、いえ。私の方こそ、驚いてごめんなさい……」
「……もしかしてあいつらに何か言われた?」
視線の先には今もバカみたいな話をしているあの男たちがいる。
「……何度も辛そうにしているのを見かけてたけど、声をかけるのを躊躇ってたんだ。さすがに泣いているのを見たら何か力になれたらと思ってさ」
「……」
こんなことを言われるのは初めてだった。
その日から赤毛の男子生徒——ギルバートと話すようになった。
彼も地方の初等学院の出身らしい。お互い田舎の出身ということで気も合った。
「……それであの男と結婚させられてしまうかもしれなくて……」
「……僕の母さんも大っ嫌いな相手と政略結婚をさせられそうになったんだよ。嫌がらせもされて耐えられなくなった母さんは逃げ出してさ、逃げ出した先で父さんと知り合って結婚したんだ」
「羨ましいな」
「ラリー叔母さんもそう言ってた。「うちの弟にアンは勿体ない。私が男なら絶対に私がアンと結婚してた」ってさ」
「すごいお母さんなんだね」
「うん。領事館で経理の仕事を任されてるんだ。尊敬してる」
好きな人と結ばれるなんて言うのは物語ではありきたりだけれど、間違いなく幸せなことだ。
「……そういえばさ、ちょっと考えたんだけどさ」
彼の手にあるのは1冊の本だった。
「この本を知ってる?」
「あ、はい。エリス・ナスターシャの『なぜレオナールを頼らなかったのか』だよね。この人の作品は全部読んだわ。ちょっと怖かったけどね……」
けれども、加害者たちが凄惨な目に遭うシーンはちょっとすっきりした。怖さよりも愉悦感が勝る。
「この本をあの男に贈ってやろう」
「どうしてですか?」
「自分のしたことを客観的に分からせてやるんだよ。「この本に書かれていることが私の気持ちです」って」
「……」
効果はあるだろうか。
言葉が通じない相手だ。本を読むかもわからない。私があの男について知っていることなんて何もないのだ。
「みんなの前で渡してあげるんだ。この本を読んだことがある人は君の気持ちに気が付くしね。きっと君の味方もできるよ、意にそわない婚約から女性を守る「アンジーの会」っていうのもあるし、僕も協力する」
周りにも私の心情を理解させる。
正直、なにかが変わるとは思わなかった。
けれども、他ならぬギルバートの提案だから私は頷いた。
ギルバートはにこりと笑う。
たとえ失敗しても彼は私と共にいてくれるだろうと分かった。
彼はポケットから包み紙を取り出し私に手渡す。
「キャラメル食べる?」
「いつも食べてるわよね。そんなに好きなの?」
「好きなのもあるけど、母さんの影響でね。友人との思い出の味だって、仕事中でもよく食べるんだよ。キミと僕も似たような関係だ」
「……友人」
なんだか、複雑な思いだけれど私は彼からもらったキャラメルを口に含む。
香ばしい甘みが口に広がると自然と笑みがこぼれた。
◆
いつからか女性が嫌っている男性に『なぜレオナールを頼らなかったのか』を贈る風習ができた。
言葉が通じないのであれば自分の行動を客観的に見せてやる。
照れているのではなく、本気の拒絶。
言葉も交わしたくない相手に対する一冊の小説の贈り物。最後の贈り物。
女性が男性にする最大限の侮蔑と軽蔑、決別の意味を込めてこの本を贈ることが広まるようになった。
その小説を受け取った記念すべき最初の人物は「これが私の気持ちです」と愛の告白のような言葉とともに贈られたプレゼントに「こんなところでやめろよ」といつものように悪態をつきながらも喜んでいたが、それを見ていた周囲はその本を見て贈ったときの言葉の意味を察し、ギルバートの協力もあって二人の接触を邪魔するようになった。
アンジーの会に所属する貴族にも話が届き、強い後ろ盾を得てようやく家族に言葉が届くようになった。家族は今までの誤解を謝罪し男子生徒との婚約は打診の段階で潰された。
この本が贈られた意味を理解し、自分のしてきたことを猛省した男子生徒だが、謝罪する機会すら設けられなかった。
そして自分ではなく、赤毛の男性の手を取る女性を見て膝から崩れ落ちて涙を流した。
◆
『復讐は終わったわね。この後が大切よ。あなたはこれからどうしたい?』
『……私にこれからがあるのでしょうか?』
『「あなた以外の人が幸せになる」か「あなた一人が幸せになる」ただ結果が逆になっただけよ。自分と相手の立場が入れ替わっただけ……だから、幸せになってもいいのよ。あの人たちがそうしようとしたのだから、彼らの犠牲の上にあなたは幸せになるだけよ』
『……ありがとうございます』
アンジーはフューリーの前に片膝を折り深く低頭した。
その意味を理解したフューリーは笑って手を差し伸べる。
『……では、これからもよろしくね』
『はい。ミズ・フューリー』
『なぜレオナールを頼らなかったのか』の本を閉じる。
もう何度も読み返し、ボロボロになったがそれでも大切に持っていた。
「エリス様。ギルバートが紹介したい人がいるということで今度帰ってくるそうです」
「そう。それはよかったわ」
エリスは再び小説を書くためにペンを動かし、アンも仕事を再開する。
お互い歳を重ね、母となったが学生の時の空気を感じていた。
それが嬉しくてつい仕事中なのに笑みがこぼれた。
『なぜレオナールを頼らなかったのか』のシリーズはこれで終わりです。
後半はかなり未来の話となっています。ヨハンの考察も同様に彼の研究レポートであり未来の話とお思いください。
多くの方に読んでいただき誠にありがとうございます。
誤字脱字報告はありがたく使わせていただいております。この場を借りて感謝をあなたのおかげで拙い文がよくなりました。
この章でも色々な感想をいただきました。何よりの励みとなっています。返信などはしていませんが、かなり嬉しいため、いつもにやけております。
次章も考えてはおりますので、今しばらくお待ちくだい。




