不本意
職員や寮の管理人たちは現在は職務が停止され、寮の部屋や家で謹慎という形になっていた。
寮の場合各部屋の前には見張りということで捜査局員たちがいる。
部屋から出られないということ以外は自由に過ごしてもいいということだったが、誰かと2人きりで会うことは禁止されていた。荷物も送られてくるがその荷物は検められ、こちらから外に手紙を送ることは禁止されていた。
『レオンハルト・ウォルターズ 婚約者の拉致容疑で捜査局に拘束』
少しでも外の情報を知りたくて読ませてもらった新聞にそんな見出しが書かれていた。詳細を読むと新聞を持っている手が震える。
自分たちは犯罪幇助の疑いをかけられている。
そのことがたまらなく恐ろしかった。
◆
レオンハルトを女子寮の中に招いた管理人の一人は取り調べの中で言った。
「私は何も知りませんっ!! 私はあの2人が婚約者だと聞いていましたっ!! だから会っても問題ないと……」
必死に否定するが取り調べを担当している捜査員は冷静に問う。
「……女子寮内では面談室以外での面会は禁止されているのに、ですか?」
「ですから、あの2人は婚約者で……会っても問題ないと……」
「金品をもらい便宜を図ったと?」
「そ、それは……」
確かに金品を受け取った。
今まで黙っていたことを追及されるとうまく口が動いてくれなかった。
「わ、私はお金を要求したことなんてありません。あの人……レオンハルトに「受け取ってくれ」と言われて」
自分の手を握り、そっと手の上に金貨1枚を置いた。政府機関で働く職員は高給だ。寮の管理人の給料とは雲泥の差だった。それだけでも自身の1か月分の給与だった。それに貴族ということもあってこんな大金をすぐに出せるのだろう。さすがは貴族だ、チップも奮発してくれると深く考えなかった。
「それに、私だけではありません。みんなもらっています……」
美形のレオンハルトに優しく手を握られ微笑まれたことや金貨の輝きに自身の心が揺らいだことを今更ながら後悔した。
「アンヌ嬢は散々レオンハルトと会いたくないと言っていたようですが、そのことはご存じでしたか?」
「照れ隠しで否定していると……周りもそう言っていて」
「なら、どうしたらあなたたちは本気の拒絶ではなく、照れ隠しだと判断できたのですか?」
「………」
自分はアンヌではないからそんなことわかるわけがない。
みんなが照れ隠しだと思っていた。だから、自分もそう思った。
寮の中で会うのは婚約者同士が会うのなら問題ないと思っていた。
あの2人は婚約者同士だ。
両家が認めていれば公式な婚約者ではある。家格はウォルターズ家の方が上だ。ユグノー家はギリギリ貴族という所だが、レオンハルトたっての希望ということでレオンハルトの両親は納得した。
けれども、それはレオンハルトたちが言っているだけであってアンヌだけは否定していた。管理人たちはレオンハルトだけの言葉を信じていたことは事実だった。
この職員は知らないことだが、すでに婚約は両家の間で結ばれていた。
2人は公式な婚約者だ。貴族社会の常識では逃げ出したアンヌに非はある。それでもアンヌは逃げだしたのだ。
管理人の耳にはアンヌの必死な訴えの声が今になって響いていた。
◆
2人の仲を応援していた同僚たちは言った。
「レオンハルトは、アンヌに頼られる男性になりたいと言っていました。そのことは同僚のみんなが知っていることで……」
レオンハルトから頼まれた。
仕事を大量に任せて自分に頼って貰う計画を持ち掛けられた。いい大人が子供みたいな計画を立てていると思ったが、自分たち自身も仕事で楽ができるということもあって同僚たちはレオンハルトの計画に乗った。
「レオンハルトがアンヌ嬢に対して嫌がらせをしていたことも知っていたのですね」
「……あれは嫌がらせではなく……」
「書類を改竄される、人に話を聞いてもらえない、仕事を手伝ってもらえない……これらが嫌がらせではないと」
しかし、アンヌは優秀な女性で無理だと思われるような仕事量もこなしてしまう。
そのことにみんなは唖然としていたが同時にさすがはレオンハルトが見込んだ女性だと納得した。そして、思い通りに事が進まないレオンハルトの悔しそうな顔が何とも滑稽だった。
『……はあ、まだ僕は頼りないのでしょうか』
『そんなことはないさ。お前はよくやってるよ、結婚はいいぞ~』
『アンヌも鈍いからなぁ』
『お前がアンヌにしか興味を示さないから、諦めた女だっているくらいだぞ』
男性の同僚たちはレオンハルトを励ました。
『アンヌに気がありそうな人はこっちでけん制しておくからさ』
『この前も食事に誘おうとしてた人もいたけど、こっちでうまくやっておいたからさ』
『あ、今度資料室に用事があるからアンヌにやってもらうから手伝ってあげなよ』
『ありがとうございます』
女性の同僚たちはレオンハルトとアンヌの場を整える役を積極的に買って出ていた。
部署の人間は全員がレオンハルトのアンヌへの好意を知っている。
知らないのはアンヌ本人だけだった。その2人のかみ合わなさが何とも可笑しかった。ちょっとした恋愛劇を見ているような気分だと思う。そこに自分が関わっていることもあって楽しんでいた。
やがてアンヌは過労で倒れた。
その時になってようやく自分たちがアンヌに仕事を押し付けすぎていたことに気が付いた。残業をしていたことすら知らない者までいた。
アンヌが復帰してきたら謝罪しようと心に決めていた。
アンヌが休暇中に2人は結婚するという報告を聞かされた。
もしかしたら自分たちの知らないところで愛を育んでいたのかもしれない。アンヌの普段の様子は自分たちに知られたくないためのカモフラージュだと思った。
2人の婚約に部署はお祭り騒ぎとなった。
レダースだけがどことなく暗い様子だったが、レオンハルトの婚約を祝福はしていた。
祝福していたのに——。
「……けれども、まさかそんなことまでしているとは知りませんでした。アンヌも言ってくれれば……」
「言っても聞いてくれなかったから、このようなことになってるとは思いませんか?」
捜査局から知らされたレオンハルトの身の毛がよだつ所業。
そんな人間だと知っていたのならこんなことは絶対にしなかった。
◆『なぜレオナールを頼らなかったのか』
「はあ……はあ……こ、殺しましたよ」
何も言わない——言えなくなったローダース。
じんじんと自分の拳が鈍い痛みを持つ。人を殴ったときの柔らかいのに芯のある生々しい感覚が今でも手に残っている。
ここにいる人間たちでローダースを殴り殺した。
だが、自分だけではない。
みんなでやったことだ。
だから自分だけが悪いわけではない。
ローダースが何か言葉を発しようとしていたが口を開く前に殴り止めた。
命乞いなんて聞きたくない。
覚悟が鈍るからというわけではなく、自分たちを助けてくれなかった人間が命乞いするなど烏滸がましかったからだ。
ローダースの顔は原型が分からないほどだった。瞼も腫れ上がり、鼻も曲がっていた。歯も折れ、内臓も傷つけたのか口から血の混じった泡を吹いていた。腹の下から腿全体が紫色に膨れ上がり、ふつうの人間の倍くらいある。腹の中はおそらく血でいっぱいになっているだろう。
それでも暴行は止まらずローダースはあっという間に事切れた。
誰もやめることはしなかった。暴行が終わったのはローダースが完全に事切れてからしばらく経ってからだった。
「これで、私たちは助かるんですよね……」
安堵した。
——よかった、この男が死んだから私たちは——
「……なぜ?」
フューリーは訳が分からないと言ったように首をかしげる。
「……あ、なぜって……」
「私はローダースさんを貴方たちが『殺した』からと言って貴方たちを助けるなんて言わなかったですよ?」
フューリーがローダースにした提案は、『ローダースが死ねばみんなが助かる』と言うものだ。だが、彼は何も答えなかった。なぜローダースを殺せば自分たちが助かるという勘違いをしたのか分からない。
フューリーがローダースにした提案という点。ローダースは答えなかったという点。殺せとは命じていない点と1つ1つ挙げていく。
「貴方たちが『勝手に』ローダースさんを殺したのです。私はただ牢屋の中に入れただけです」
確かに殺せとは命じていなかった。
自分たちはただ単に自分自身の感情で、自分たちの判断でローダースを殴った。
「お、俺は殺すつもりはなかったっ!!」
一人が自分には殺意がなかったという。
そこから彼らの弁明が始まった。
「僕もです!」「私も!」と牢の鉄格子を掴み必死に弁明する。
「せ、先輩が先に殴ったから」
「はあ!? 俺の所為にするなよっ!!」
「けれど、最初に殴ったのは貴方でしょうっ!!」
「わ、私は皆さんを助けようと……」
牢の中で他人を売りあう。
自分が最も汚れた役をやりたくないと必死だった。
そして、牢の中に感情が満ちる。
コップの中から水が溢れるように牢の中の人間の感情も今にも爆発しそうだった。
「……もういいわね」
フューリーは興味を無くしたように彼らから視線を逸らす。
牢の中の人間は互いが互いを罵り合いフューリーが出て行ったことにも気が付かない。
フューリーは部屋を出ると扉の中に薬を流し込んだ。
液体だった薬が気化し、空気に溶け込む。
聞こえてくる罵声は徐々に徐々に小さくなり、やがて何も聞こえなくなった。
◆
同僚の女性の一人に家族から差し入れがあった。
『なぜレオナールを頼らなかったのか』という小説だった。
時間だけは余りある。
暇つぶしと思ってその本を読んでみた。
一人の女性に付きまとう男。
女性はその男からの陰湿なアプローチに徐々に疲弊し、一時は自ら命を絶つ道を選んだ。
そして、彼女の同僚の人間はまるで自分たちを絵に描いたかのような存在だった。自分のしてきたことが客観的に見ればいったいどれほど異常だったかがはっきりとわかる。
家族からこの本が送られてきたのは「お前がしたことはこういうことだぞ」という家族からの批判だった。
そして、アンジーからの復讐が始まる。
ミズ・フューリーという最悪の犯罪者を味方にして。
小説に出てくるレオナールの協力者たちは殺されてはいなかった。
◆『なぜレオナールを頼らなかったのか』
牢屋で眠らされて、目が覚めた時は拉致された場所だった。
悪い夢を見ていたと思いたかったが、手にはローダースを殴った感覚が今も残っていた。そして、服についているのはローダースの血だろう。男たちの顔には牢の中で争い合った痕があった。
夢ではない。
あの悪夢もたった一晩の出来事だった。
自分たちは人殺しをしたのだと実感されられる。
誰も何も言わなかった。
誰も何も話すことができなかった。
職場ではローダースが来ていないと話題に上がる。
ローダースの名前が出るたびに動揺した。
その答えを同僚たちだけは知っている。
これは自分たちだけの秘密だ。
そして、ローダースの遺体が発見された。
まるで遺体をさらすかのように公園の木に吊るされていた。
遺体は明らかに一方的に暴行を加えられ、殺害されたという。
瞬く間にその話は職場でも広まった。
「聞いたか? どんだけ人から恨みを買えば、顔が何倍にも膨れ上がるくらいにまで殴られるんだよ」
「一人じゃなくて複数人による暴行らしい」
「体の骨で折れてないところはないみたいだ」
「内臓もぐちゃぐちゃだってさ」
ローダースの事を噂で聞くたびに苦しかった。
あの生々しい感覚が蘇ってくる。
一人が良心の呵責に耐え切れず捜査局へと自首しようと思ったが、同僚たちに鬼気迫る様子で止められた。
「ふざけるなっ!! 俺たちまで巻き込む気かっ」
「で、ですけど……私はもう……」
女性は泣き出す。
そんな涙に絆される者はここには誰もいなかった。
「いいかっ! お前が捜査局へと自首しようとするなら、お前の家族を殺すぞっ!!」
「そ、そんな……」
周りの男たちは本気だった。
すでにローダースを殺害していることで男たちの殺人への抵抗感は薄れていた。簡単に「殺す」という言葉が出てくる。そして、実行できてしまう人間たちだった。
これから彼らは互いが互いを監視し続ける毎日を送ることになった。
誰がいつ裏切るか分からない。
重度の疑心暗鬼にとらわれた同僚や管理人たちは気が気でなかった。
家族にも誰にも言えない。ある意味、心を許せるのはあの時ローダースの殺害に関わった人間たちだけだった。
ある日、自首をしようとしていた女性がとうとう自身の犯した罪に耐え切れず首を括った。家族に害をなされないためかローダースのことを記したものなどは何も残っていなかった。
「……秘密を知る人が一人減った……」
彼らの中にあるのは悲しみなどではなく、安堵だった。
◆
本を読み、涙が流れる。
泣いたところでアンヌは帰ってこない。
アンヌに謝罪をしたい。
そう思っていてもアンヌがどこにいるのかもわからない。
アンヌの無事を祈ることしかできない。
もしも見つからなければ、一生この後悔を背負って生きていくことになる。これからのことを思いレオンハルトの協力者たちは項垂れるのだった。
世間はもはやレオンハルトが誘拐犯という認識だった。
だが、レオンハルトは証拠不十分ということで釈放されることになった。
レオンハルトは喜んだが、これから現実を知ることになる。
誤字脱字報告ありがとうございます。至らぬ点が多々ございますがこれからもよろしくお願いします。




