失踪
アンヌ・ユグノーが失踪した。
事の発端は休暇明けのアンヌが出勤日となっても出勤してこなかったことにあった。
長期休暇明けと言うこともあり、「おそらくは寝坊だろう」とか「しっかり者の彼女でもこんなミスをするのだな」と思い誰しもが苦笑した。
レダースが呆れたように寮に連絡を入れ、寮の管理人にノックでもして起こしてもらおうとする。レオンハルトが自分が起こしに行こうかと手を挙げたがレダースに却下される。
管理人の一人が部屋の前まで行き部屋をノックしたが物音ひとつしない。
いくら何でも静かすぎることを不審に思った管理人がレダースに折り返し連絡した。
その連絡を受けてレダースは自ら女子寮へと向かった。
女子寮は本来であれば男性立ち入り禁止ではあるが、レダースがアンヌの職場の管理職ということで、管理人の一人が付き添う形で立ち入ることを許された。
レダースもアンヌの部屋をノックするが返事はない。「何かあったのかもしれない」とやや焦ったレダースの声。結婚前にネガティブな感情になることがあると言われ、最悪な状況になっているかもしれないと言われ、レダースに部屋の鍵を開けるように指示されると持ってきていたアンヌの部屋の鍵を使い部屋に入った。
レダースが最初に部屋の中を確かめると先に部屋に入った。
管理人も部屋の中を覗き込むが物言わぬ死体がないことに内心ほっとした。
だが、部屋の中には誰もいなかった。レダースが部屋の中を見渡し出てくる。
「捜査局に連絡を……」
部屋から出たレダースのこの言葉から、女子寮管理事務所より捜査局に通報が入った。
◆
アンヌ・ユグノー失踪については事件なのかはまだ不明だが捜査に当たるのは捜査局の主任であるアルバート・クローズだった。
部屋の中を確かめるが部屋が荒らされた形跡はない。
むしろ部屋の中は綺麗に片づけられている。この部屋に誰かが侵入し拐かしたという可能性は薄かった。
「何か手がかりは? 手紙などもないのか?」
「何も見当たりませんね。本の間とか戸の隙間とかも探してますがありません」
部下に何か失踪の手掛かりとなるものはないかと尋ねるが「ない」と断言された。
まずは家族に確認をとらなければならない。
アンヌがかつて暮らしていた家は王都にある。
多くの貴族が住まう貴族街だ。
貴族と言ってもピンからキリまである。貴族街に住まうことは貴族にとっての一種のステータスだが、豪華絢爛な屋敷もあればお化け屋敷のような古臭い屋敷まである。アンヌの家は後者だった。
古い家の呼び鈴を鳴らすと使用人が出迎える。
ご家族に事情を説明したいということで応接室に案内された。
家族は4人。アンヌの祖父、父、母、兄だった。祖父の髪は白いが家族は全員赤毛で似た顔立ちをしているが皆細いと言ってもいいくらいなのに兄だけはやたらとふくよかだったというのが第一印象だった。
家族らにアンヌが寮におらず行方が分からなくなっていることを伝える。この時点で家に居ただけであれば迷惑な話ではあるが笑い話で済む。
「ええっ! アンヌがですか!?」
母親が驚く。
アルバートがアンヌがここに帰ってきていないかと尋ねるが、家の者たちは首を横に振る。家の者たちの驚きようを見ると本当のことだろうとアルバートは思った。
「最後に会ったのはいつで、どなたでしょうか?」
「……私です。アンヌの結婚のことで、1か月ほど前のことでしょうか。寮にまで会いに行きました」
答えたのはアンヌの母だった。
「その時はアンヌ嬢に何か変わった様子はありませんでしたか?」
「……結婚のことで少し動揺していたのかも……しれません」
「それ以外は何も……」と妙に歯切れ悪そうに母親は答える。
「ご結婚される予定なのですか? 失礼ですが、お相手は?」
それならば婚約者という男に当たるために婚約者の名前を尋ねる。
「ウォルターズ家のレオンハルトさんです。2人は同じ職場で……結婚して幸せになるはずだったのに……」
ここで母親は泣き出してしまう。
「ふむ……わかりました。また何か気になることや心当たりがあることは捜査局までご連絡をお願いします。それと捜索のためにアンヌ嬢のお写真をお借りしたいのですが、お写真をご提供いただけますか?」
アルバートとしては至極まっとうなことを言っているつもりだった。
写真はひと昔前こそ高価だったが今では一般にまで普及している。貴族令嬢であれば婚約者を探すうえで釣書に必要なため必ず撮っているはずだ。
だが、家族の反応は意外なだった。
「……あったか?」
「私に聞かれても……」
「俺の誕生日会とかのがあるだろ?」
「わしゃしらんぞ」
家族は心当たりがないようだった。父親が使用人たちにアンヌの写真を持ってくるようにと命じるが一向に見つからない。
写真を見つける間に出された2杯目の紅茶もとっくに冷めていた。
不味い紅茶だ。茶葉も古ければ淹れ方も悪い。出された手前1杯目は我慢して飲んだが2杯目は飲む気になれなかった。
「旦那さま。やはりアンヌ様のお写真は見つかりません」
「……」
アンヌの父親は何も言えなかった。
結局、屋敷で写真は見つからなかった。
「子供の写真なのに一枚もないのか……」
成人してからどころか幼少期のころの写真すらない。アルバートは呆れて口にしてしまった。両親は気まずげに視線を落とす。
まずはアンヌの写真を入手することから始めることになったが、友人も少なく、職場にも部屋にもどこにもアンヌの映っている写真はなかった。
◆
写真は見つからないため代用として似顔絵で探すということになり、アンヌの外見的特徴を家族から聴取をする。
だが、家族の反応は微妙なものだった。娘の顔をはっきりと覚えていない家族に呆れるしかなかった。
兄といえど双子なのだからと兄をモデルに似顔絵を描き、アンヌを知っている職場の人たちに見せたが反応はいまいちだった。
「こんなに太ってはいなかった」
「髪は赤毛で……長い髪をまとめていました。あと、こんなに太ってないです」
「目はもっと大きいです。あ、眼鏡をかけてました。あと、こんなにも太ってません」
「目の大きさ? 女の人はメイクで顔が変わるからなぁ」
「普段はメガネはかけていたか? 仕事の時だけだったような……」
結局、分かったことは「赤毛」ということと「太っていない」ことしか確実なものは分からなかった。
似顔絵を描いた部下が持っていたペンを床に叩きつけるくらい不確定なものが出来た。修正した絵ですら毎回太っていないと言われ3回ほど絵のアンヌの顔を痩せさせた。
「あの兄が太りすぎなんですよっ!! それに描いてる時もいちいち横から口出してきて自分の顔を美化させようとしてきてっ!! こんな絵が捜査に役立つとは思えません!!」
だが、一応は捜査資料ということでこの似顔絵に似た人間を探すようにと捜査局に公開された。
◆
翌日の新聞でアンヌが行方不明になったことが公開された。
捜査局は情報を伏せていたのだが、人の口には戸が立てられないということなのかとアルバートは溜息を吐いた。寮の人間、アンヌの家の使用人など心当たりが多すぎた。
各新聞の見出しには『幸せになるはずだった女性』『結婚を控えた女性が』などと失踪したことを悲劇的に伝えていた。憶測を交えた内容が多い。
アルバートは女子寮へと再度訪問し、寮の管理人たちに最後に見た時の状況を尋ねた。
「彼女を最後に見たのは……彼女の休暇が終わる3週間ほど前でした。その1週間前くらい毎日同じ時間に買い物に行ったのを覚えています」
「どこに行かれたか聞いていますか?」
「いえ。詳しくは……」
「何か変わった様子は?」
「……なにも、いつもと同じだったと思います」
服や身に着けているもの、持ち物などを聞き情報を集める。
「アンヌ嬢がご結婚されるという話は聞いていましたか?」
「はい。ここにいる人たちはみんな知っています。レオンハルト様はよく寮を訪ねてこられました」
「あ、レオンハルト様ってその3週間の間にも来てたよね」
「会いに来てたのですか?」
ならば、レオンハルトが最後にアンヌを見たということになる。
「アンヌは少し素直になれないって感じでしたね」
「そうそう。照れてたんですよ」
女性たちは勝手に話を始めるが一人が「あっ」と思い出したように声を上げた。
「……もしかしたらレオンハルト様と結婚するって聞いた人に……学院に通っていた時にも嫉妬されていましたし」
「嫉妬?」
失踪の手掛かりになりそうな言葉な上に事件性が高まってくる。
「レオンハルト様は学院に通っていた時から女性から人気の方で……よく嫉妬されていたのを見ていました」
「どのような方に?」
「えっと……」
女性は昔の記憶をたどり、一人ずつ名前を挙げていった。
アルバートはその各家に部下に走らせ捜査させる。
アルバートはレオンハルト本人も事情を尋ねるということで彼の自宅を訪ねた。
彼はアンヌの失踪がショックで相当に憔悴しているようだった。
アルバートが「アンヌ」という名前を出すと掴みかかってアンヌの安否を尋ねていた。本気で心配をしている。これが演技とは思えなかった。
調査の結果、嫉妬していた令嬢たちはすでに全員が結婚しており、誰もアンヌが失踪した件についても全く心当たりがないとのことだった。
だが、しばらくは監視対象ということになった。この国で監視対象となった場合は出入りする商人や私的なやり取りの手紙も開示しなければならなくなる。貴族にとっては醜聞以外の何物でもない。夫に「お前の所為で余計な恥や気苦労を」と要らぬ怒りを買い、アンヌに嫉妬していた女性たちは時間が経ってから報復された気分になったという。結局、捜査としては空振りだった。
◆
王都捜査局の一室ではアンヌ失踪の件について捜索本部が立てられていた。資料などが掲示され、関係性のありそうな人間たちがリストアップされている。
寮の管理人たちがアンヌを最後に見たのは3週間以上前だが、レオンハルトはその間にもアンヌの部屋を訪ねている。アンヌの部屋の前で話をしているレオンハルトの目撃情報もあった。
「けれど、二人は婚約者ですよね。実際はこのアンヌ嬢を疎ましく思っていたとか?」
似ても似つかない似顔絵を指さす。
兄のカルロを痩せさせて女性化したような似顔絵はお世辞にも美人とは言えず本物のアンヌとは似ても似つかない似顔絵だ。
「……レオンハルトの方がかなり惚れ込んでいたと聞いているが、学生のころから片思いしていて、婚姻の申し込みも彼の方からだと」
「……家の遺産目当てとか?」
「それならユグノー家の人間を全員殺ってからだろう。そもそもまだ結婚もしていない。それにあの家に大した財産があるとは思えん」
古臭く、修繕も疎かになっている家を思い出す。使用人の数も必要最低限であり、質もいいとは言えなかった。出された不味い紅茶の味を思い出しアルバートは眉を顰めた。
「ともかくレオンハルトがアンヌ嬢を最後に見たのは間違いないそうです。寮の管理人たちがアンヌ嬢を最後に見た三週間の内に「今日はアンヌと話せた」と寮の人間に話していたと言っていました」
「その言い方だと頻繁には会っていなかったのか?」
「家族や寮の人たちの話だとアンヌは結婚前の不安があったようですよ。顔が見えなくてもレオンハルトは毎日会いに行っていたようです」
それは多くの人間が証言していた。
「最後に直接会ったのはレオンハルト……」
ウォルターズ家の周囲には捜査員を複数人配置している。もしもアンヌが誘拐され身代金などを要求するとしたら貧乏な実家よりも比較的裕福なウォルターズ家に要求が来ると思われたからだ。現状、ウォルターズ家には誰も訪ねてきてはいないようだった。
状況的に怪しいのは最後にアンヌの姿を見たレオンハルトだ。詳しく話を聞いてみる必要性がある。
アルバートは立ち上がり、ウォルターズ家へと赴こうとするとその前に扉が開いた。
「……失礼します。ある女性がアンヌ嬢のことで話したいことがあるとお越しになっています」
その女性の言葉が捜査をさらに難航させる。
◆
捜査局を訪ねてきた女性はヘイゼル・ロマーノと名乗った。
「あの、私はアンヌ嬢の部屋の隣に住んでいます。どうしてもお伝えしたいことがありまして……」
アルバートは彼女と自分用の紅茶を用意するように部下に頼むと記録官を呼び、同席させる。
「発言は記録させていただきますがよろしいでしょうか?」
「……はい。構いません」
やや緊張したそぶりを見せるヘイゼル。捜査局を訪ねてきた人間ならば当然の反応だとアルバートは思う。
準備が整い、ヘイゼルが話すのを待つ。彼女は少し息を吐くと言葉を発した。
「まず……アンヌ嬢はレオンハルトとのご結婚を望んでいませんでした」
その言葉に捜査局職員が全員が驚く。
「結婚し、幸せになるはずだった女性が突然失踪した」という前提が覆る一言だった。
「本人からそれを聞いたのですか?」
アルバートは冷静を装って尋ねる。
「いえ。私はアンヌ嬢と親しいわけではありません。ですが、アンヌ嬢がいなくなる前にレダース部長との会話を聞いたのです。アンヌ嬢ははっきりと「あの男と結婚するくらいなら死んだほうがマシです」とおっしゃってました」
そのときヘイゼルは父との面談をしていた。父親もその話を聞いていたから証人にもなれる。
ヘイゼルはアンヌとレダースが面談室で会話をしている話を聞いたのだという。女子寮の面談室は簡単に区切られているだけで話し声は聞こえる。同じ面談室を使っている人がいれば当然その話の内容は聞こえてくる。
「何度も結婚を断っているのにレダース部長はしつこくレオンハルトとの結婚を頼み込んでいました。いいえ……頼むというよりもアンヌ嬢の家の事情を盾にしているような言い方もしていました」
「アンヌ嬢の家……」
アルバートはアンヌの実家であるあのボロ家を思い出した。部下の一人に指示を出し、ユグノー家を財政状況や交友について調べさせる。
「なぜ今になってそのようなことを話されたのですか? 管理人らは結婚を嫌がっているとは言っていませんでしたが」
「……むしろ周りが言っていたからです。集団の中で一人だけが異なる意見を言うのは……異物として孤立してしまいます」
誰しも心当たりがあることだった。身分差もあり言い出せずにいたようだった。
アルバートは頷き話を促す。
「他には何か聞いたことは?」
「あります」
ここまで話して少し喉が渇いたのかヘイゼルは出された紅茶を一口飲み喉を潤し、唇を湿らせて話しやすくする。
「アンヌ嬢はレオンハルトから嫌がらせを受けていたようでした。書類の改ざんをしてアンヌ嬢の責任にしていたと言っていました。それと失踪前にアンヌ嬢は一度倒れたらしく、それもレオンハルトの所為だと」
「……」
初めて聞かされる情報。
職場の人間やアンヌの家族はそんなことをは一言も言っていなかった。自分たちも一面しか見てなかったことを反省させられる。思い込みで捜査をしている部分は確かにあった。
「先ほどの言葉以外にも「頼んでもいないのに勝手に婚約者にさせられて非常に迷惑している」とか「私はあの男が大っ嫌いです」とか「そもそも初対面から私はあの男が嫌いでしたから」とも言っていました……皆さんは照れ隠しだと言っていましたが、とてもそのようには思えませんでした。あれは本当の拒絶です」
ヘイゼルの言葉の中身は具体的で説得力があった。
それにヘイゼルが嘘をつく理由がない。嘘をつけば「虚偽供述」ということでヘイゼルの経歴に傷がついてしまう。そんな意味のないリスクを背負う理由はないはずだ。
ヘイゼルの父親も「そんな男に嫁がせるくらいなら一生独身でもいい」と言っていたという。
「それに、女子寮は男性立ち入り禁止なのにあの男は毎日アンヌ嬢の部屋の前を訪ねてきていました」
それは寮の管理人たちの話で聞いている。だが、男性の立ち入り禁止と言う言葉は聞いていない。
「家族でも面談室以外の出入りは禁止されています。だから私は父と面談室で話をしていました。なぜあの男が入ってこれるのか疑問でしたが私は「婚約者ならばいいのか」と勝手に解釈していました……」
「それでも……」と一度言葉をためる。
「……あの男ははっきり言って異様でした。何度も何度も部屋の扉をノックして、ずっと扉に向かって話しかけているんです。おかしいですよね、仲がいいのなら普通は部屋に招くのにあの男はずっと部屋の外にいたんですよ。それもほぼ毎日です」
ヘイゼルは自分の腕をさすり「気味が悪い……」とぼやいた。
「……情報の提供ありがとうございました。こちらの情報は貴方から聞いたなどということは一切伏せさせていただきます」
「はい。ありがとうございます」
そのことにヘイゼルはほっとした表情を見せる。ヘイゼルは平民だった。貴族に睨まれたらと思うと怖かったのだろう。
「しかし、仮に裁判などになった場合には証言のため出廷を命じられる可能性もあります。その時は何卒……」
「……わかりました」
ヘイゼルへの見送りを一人の部下に頼む。
彼女が部屋を出て、窓から彼女が王都捜査局を後にしたことを確認する。
アルバートはすぐに動き出した。
「アンヌ嬢失踪を改めて事件として扱う。レオンハルト・ウォルターズの身柄を確保する。そして——」
最も疑われたのはアンヌの婚約者であるレオンハルトだった。
「自白させる」
◆
この時、ここにいる誰も彼もがアンヌが自ら逃げ出したとは微塵も思っていなかった。未婚の貴族女性が家を出るだけで、家や自身の評判に大きな傷がつく可能性が高く現実的ではないと知っていたからだ。
本来であればアンヌが部屋に残した退職届や手紙を見れば、事件でも何でもなくアンヌが自ら逃げ出したという話で終わっただろう。
だが、それがなくなっている。
状況的にそれを奪えたのはたった一人だ。




